19盲目の猫
(アニが少し嫌な役回りです。苦手な方はご注意下さい)
アニはストヘス区の憲兵団宿舎で目を覚ました。
部屋は散らかり、酒臭さが辺りを漂う。.....この部屋は居心地が悪くて嫌いだ。
......クロエと過ごした訓練所の宿舎の部屋は.....すごく片付いてるという訳でもなかったけれど....帰るべき自分の部屋だと思えた。部屋に帰ればクロエが待っていてくれた。
......ここに私の居場所はない.....。
ゆっくりと体を起こして鏡の前に向かう。....酷い顔だ。
時刻は大分差し迫っている。手早く身支度を整えて、最後に白地に刺繍の入ったリボンで髪をまとめた。
*
憲兵団支部にアニが辿り着く頃には同僚達は既に整列していた。
「やっと起きた....あんたのさぁ....寝顔が怖くて起こせなかったんだ。ごめんねーアニ」
可愛らしいがやや刺のある笑顔の女性がアニに声をかける。
アニは無反応に徹していた。相手をするのも馬鹿らしいと思えたからだ。
「ねぇアニ......このリボン何?今時5才児でもこんなださいの付けないよ.....?」
「.......!!」
しかし彼女の手がアニの髪を結わえたリボンに触れようとした瞬間、その手は乱暴に振り払われた。
ヒッチは驚いてアニを見る。その目には青い炎が静かに燃えていた。
「これは.....あんたなんかが気安く触っていいものじゃない....」
低い声でそう言うと再び元の無表情に戻る。その白いリボンはアニの琴線に触れる物の様だ。
「なにー?もー怒ってんの?ねー」
その後もしつこく声をかけてくるヒッチには完璧に無視を決め込む事にした。
下らない揉め事で神経をすり減らしたくない。
*
私は......きっとマルコに嫉妬していた......
いつもあの子の隣で....幸せそうに笑っているあいつに........ひどく嫉妬していた....
クロエはマルコ...あんたの為に生きていた.....他の何の為でもなく.....
そこまで想われて.....羨ましかったよ....
だからあの子があんたの為に死ぬなんて許せなかった.....
クロエは...私の言葉に呪われて.....今度は私の為に苦しんで生きれば良い.....
「アニ」
護送団の警護に向かう為に街を歩いていると声をかけられた。
「アルミン....」
「やぁ....もう.....すっかり憲兵団だね」
「エレンを逃がすことに協力してくれないかな.....」
アニの目を真っ直ぐ見つめてアルミンは言い放った。
*
「ねぇ....私が協力しなかったらどうやって壁を越えるつもりだったの?」
雨具で身を隠したエレン、ミカサ、アルミンにアニが問う。
「立体起動で突破するつもりだったんだ」
アルミンがそれには答えた。
「無茶じゃない?そもそもストヘス区に入る前に逃げた方がこんな面倒も掛からなくて澄んだはずでしょ?
何で今ここなの?」
「ここの入り組んだ街の地形を利用しなければ替え玉作戦が成功しないと思ったからさ。
真っ向から逆らって逃げるよりある程度従順に振る舞って警戒心を解いてからの方が逃走の時間を稼げるからね。」
アルミンはまるで考えてきたかの様にすらすらと理由を諳んじて見せた。
「そう....納得したよ」
アニは一言そう答えるとまた無言で歩き出した。
「あ!あった...ここだ!」
しばらく歩くと、古びた地下道の入口が出現した。
アルミンはその前で歩を止める。
「.....!ここ?」
「うん...ここを通る。昔計画されてた地下都市の廃墟が残っているんだ。
これがちゃんと外側の近くまで続いている。」
アルミンは地下道への入口をコツコツと降り始めた。エレンとミカサもそれに続く。
「本当か?すげぇな....」
エレンは感心した様に呟いた。
「うん、地上を歩くよりはるかに安全だ。」
「ん?」
しばらく降りた所でエレンがアニの方へ振り返った。
いつまでたっても降りてこないアニの事を不思議そうに見上げている。
「アニ?何だお前...まさか暗くて狭い所が怖いとか言うなよ?」
「...そうさ。怖いんだ.....
あんたみたいな勇敢な死に急ぎ野郎には.....きっとか弱い乙女の気持ちなんてわからないだろうさ」
「.....大男を空中で一回転させるような乙女はか弱くねぇよ。
バカ言ってねぇで急ぐぞ!」
「いいや私は行かない。そっちは怖い.....地上を行かないんなら協力しない」
アニは頑としてその場を動こうとしなかった。その表情は逆光となり窺う事はできない。
「な....何言ってんだてめぇは!?さっさとこっちに来いよ!!ふざけてんじゃねぇ!!」
エレンが声を荒げた。何かに焦っている様である。
「エレン!叫ばないで」
「大丈夫でしょ?ミカサ。さっきからこの辺にはなぜかまったく人がいないから」
アニの言葉がしんとした辺りに静かに響いた。
建物、物陰、様々な場所からこちらを窺っている多くの調査兵団の兵士の呼吸を感じる。
アニは全てを悟った。
「まったく...傷つくよ。
一体いつから....アルミン....あんたは私をそんな目で見るようになったの?」
アニはアルミンを真っ直ぐに見下ろした。互いの青い双眸がぶつかり合う。
しばらく見つめ合った後、アルミンがゆっくりと、しかし確信を持って言葉を発した。
「アニ....何でマルコの立体起動装置を持ってたの?」
.....そうだ.....私はあの子の一番大事なものを奪ってしまったんだ....「わずかなキズやヘコみだって....一緒に整備した思い出だから....僕にはわかった」
もう.....二度と私はあの子の隣で笑う資格は無い.....「そう....あれは....拾ったの」
どうしてだろう.....何処で間違ってしまったんだろう.....「....!!...じゃあ生け捕りにした2体の巨人はアニが殺したの?」
「さあね....でも1ヶ月前にそう思っていたんなら....何でその時に行動しなかったの?」
「....今だって信じられないよ....きっと....何か見間違いだって思いたくて....そのせいで....
.....でも、アニだってあの時....僕を殺さなかったから、今....こんなことになっているじゃないか...」
「.....あぁ...心底そう思うよ。まさかあんたにここまで追い詰められるなんてね。あの時...何で...だろうね」
「オイ....!アニ....お前が間の悪いバカで
クソつまんない冗談で適当に話を合わせてる可能性が....まだ....あるから.....とにかく!!こっちに来い!!
この地下に入るだけで証明できることがあるんだ!!こっちに来て証明しろ!!」
エレンの悲鳴に似た叫びが狭い地下道の入口に木霊する。
アニはゆっくりと三人から目をそらして顔を伏せた。
あぁマルコ....私はあんたが憎かったんだよ.....
なんの後ろめたさもなくあの子の隣にいるあんたが......
そこはさぞかし居心地が良かったろうね....
「.....そっちには行けない。私は....戦士に成り損ねた」
「だから....!!つまんねぇって言ってるだろうが!!」エレンが絶叫する。
「話してよアニ!!僕達はまだ話し合うことができる!!」アルミンも必死に懇願した。
「もういい」
しかし、ミカサの一言が静かな重みを持ってその口から発せられた。
彼女は雨具を脱ぎ、立体起動装置を手早く身につけ始める。
「これ以上聞いてられない。不毛....」
刃をしっかりと装填するとミカサは鋭い目付きでアニを見上げた。
「もう一度ズタズタに削いでやる。女型の巨人」
自分で選んだ道だ.....後悔はしていない....
それでも心は千々に割かれ何故か酷く痛んでいるよ...ずっとその繰り返しだ....
「アルミン....私があんたの....良い人でよかったね。ひとまずあんたは賭けに勝った....
.....でも私が賭けたのはここからだから」
ありもしない救いを求めてあの子に縋ったこの3年間....私がどれだけ幸せでどれだけ辛かったか....
......私だって....そこに居たかった.....!
.....私だって....愛されたかった.....!!
でもそれは二度と叶わない......叶わないんだ....
『貴方の事を、とても好きな人がいるって事を覚えていて欲しいの....。』クロエ.....もしも....生まれ変わる事があるんなら....今度こそあんたの本当の友達に.....
*
「こっからだとオレの村が近いんだぜ」
「私の故郷も近いですねー」
サシャとコニーが窓の外をぼんやり眺めながら言う。
「ウォール・ローゼ南区まで来てんのになーんで帰っちゃだめなんだよ...
やる事も無いのに....こーやって....ぼ〜っと一日中過ごしてるだけじゃねぇか」
机の上には散々遊び尽くされたチェスがあり、その場に居る人間たちの退屈加減を表していた。
何故か104期出身の兵士たちは現在上司命令により軽い軟禁状態にある。
「戦闘服も着るな」「訓練もするな」と指示されており、皆私服でぼんやりと待機するばかりとなっていた。
「ねぇライナー」
ふと、コニーとサシャ同様に頬杖をついてぼんやりとしていたクロエが声を発する。
「どうしたクロエ」
クロエとライナーは身長があまり変わらない。その事で彼はクロエに親近感を覚えていた。
「.......アニは元気かな」
クロエはぽつりと呟いた。
ライナーは目を見張る。そして素早くベルトルトと目配せした。
「......急にどうしたんだ...クロエ?」
「ううん、ちょっと気になっただけ....」
そう言ってクロエは淡く笑った。
二人はクロエの様子から彼女に他意が無い事を悟るとほっと胸を撫で下ろした。
「アニは優秀な兵士だ....きっと上手くやっているさ」
ライナーはぽんとクロエの頭を軽く叩いた。
「でもアニって難しいところがあるじゃない.....私も最初はちょっと怖かったし...
憲兵団に入って新しい仲間とうまくやれてるかなぁ....と思って」
クロエが軽く溜め息を吐いた。
「....クロエはアニと本当に仲が良いんだね....」
ベルトルトが少し複雑そうに言った。
「うん....アニは私の命の恩人だから....」
クロエは少し照れくさそうに答える。
「なんだぁ?またアニの話かよ.....!ほんっとーにお前はアニが好きなんだな....
ひょっとするとてめーらできてんじゃねーの?」
「やめなよユミル!
クロエはユミルと違ってピュアなんだからそんな事言っちゃ駄目だよ!」
ユミルとクリスタも会話に入って来た。
「......アニは君と付き合う様になってからどこか変わった....」
ベルトルトがぽつりと呟く。
「そうだな、あいつの楽しそうな顔は初めて見たぞ。.....今度の休みにでも会いに行ってやったらどうだ。」
「迷惑じゃないかな....」
「友達なんだろう?遠慮する事は無いと思うぞ。」
ライナーの言葉にクロエは嬉しそうに微笑んだ。
「そうだね.....私とアニは友達だもの......。私もアニに会いたいな.....」
そう言って窓の方へゆっくりと視線を寄越す。
外は灰色の雲に覆われ、頼りない枯葉を数枚つけた細い枝が風が吹く度に微かに震えていた。
しかし寂しいその風景に反比例してクロエの心の内は温かだった。
次の休みにはアニが好きだった紅茶を買って遊びに行こう......
.....貴方が予約をしていたあの絵も持って行くね....。
そうして紅茶を飲みながら憲兵団の事、私にとって初めての壁外調査の事、アニの新しい仲間の事、.....色々な話をするんだ...。
窓の外では音も無く吹いた風に木の葉が遂に枝を離れて、どこか遠くへとゆっくり飛んで行った。
猫:キリスト教において猫は、しばしば怠惰や好色を意味し、
更には悪魔の化身とみなされる。
また19世紀にエドガー・アラン・ポーの『黒猫』が世に出されると、
とりわけ黒猫は不吉で悪魔的な存在とみなされた。目次[
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