愛しい雨 | ナノ


16空の天秤  


「所属兵団何にするか決めた?」

「そりゃあ憲兵団が良いけど.....無理だから駐屯兵団....ってところかな」

「まぁそうだよねぇ。私も同じだよー」


廊下をすれ違う同期の女の子たちの会話が耳をかすめる。

(.....所属兵団か.....)

もうそんな事を考える時期になったのだ。


(マルコ....アニ....ジャン....)

クロエの仲の良い人たちは皆憲兵団志望だ。そしてそれを適えるだけの実力も有している。


(多分みんなとはお別れする事になるだろうな.....)

クロエは勿論憲兵団に入れる成績ではない。彼等とは道を分つ事になるだろう。


(それに.....)

あの日以来、ふとした瞬間に自由の翼がクロエの頭を霞めるのだ。

......気持ちはやがて確信に変わろうとしていた。


(私は.....調査兵団に.....)







「はぁ.....アニとお別れするのは寂しいなぁ.....」

その日の夜、部屋のベットに腰掛けてクロエとアニは話していた。
クロエは昼の事を思い出して呟く。

こうして同じ部屋で過ごす生活もやがて終わりが来てしまうのだ....


「あんたも憲兵団に入ればいいじゃないの」

「何言ってるの....無理だって分かってる癖に....」

「それもそうだね」

「相変わらずアニは正直だなぁ.....」


限られた時間の中にいるからこそ、何気ない会話も愛おしく感じる。


.....私はこの3年間、アニと一緒に過ごせて本当によかった.....


「クロエは駐屯兵団に行くつもりなの?」
アニが尋ねる。


クロエは少し考えた後、意を決した様に口を開いた。


「......私はね...調査兵団に入るよ....」


アニの澄んだ青い目が大きく見開かれる。

そして両肩を恐ろしい力で掴まれた。


「ア、アニ.....痛いよ....」

「正気なの......!?何故死にに行く様な真似を....!」

「アニ.....お、落ち着いて......」

アニの肩を押さえてなだめようと試みる。


しばらくして少し落ち着いた様でようやく腕を離してくれた。


「一体どうしたって言うんだ......何故調査兵団なんかに....」

アニはこめかみを軽く押さえながら険しい顔で言う。......私はまだ死ぬと決まった訳ではないのだけれど.....


「そうだね....色々理由はあるけれど.....壁の外の世界を描いてみたいっていうのが一番かなぁ」

なるべくアニの顔の険しさをほだす様に緩い笑顔を作って言った。

しかし次の瞬間両頬が思いっきり左右に引っ張られた。


「アニ、痛い痛い、ほっぺた千切れちゃうよ」

「あんたはバカなのか......!?そんな理由で...!!」

「と、取り合えず手を離して下さいアニ様......!」

アニの手をなんとか自分の頬から引き離した時には互いに肩で息をしていた。


ふとアニの顔を見ると、分かりにくいが泣きそうな表情をしている。

......この3年間、共に過ごすうちに私は大分アニの表情が読める様になった。



クロエはアニを安心させる様にその綺麗な金髪を撫でた。

自分の身を案じてくれているこの不器用な友人が愛しくてたまらなかった。


「そうだよね.....私はバカだよ.....。だけれどそんな理由が私が命を懸けるのに足りてしまうんだよね....」
困った事にね、とクロエはアニの金髪を優しく鋤きながら笑った。

「それにね....私はもう家から追い出されてしまったから二度と家族には会えないけれど、
この壁の中には私が育った家と育ててくれた両親がいる.....

私たちは良い家族とは言えなかったけれども、それでも私をここまで育ててくれた.....
私は何も返してあげれなかったから....せめて父さん母さんや兄弟を守る為に戦いたい....」


「......えるのか」
アニの口から呟きが漏れた。

「どうしたのアニ?」

「あんたみたいな大甘が戦えるのか」

真っ直ぐに目を見つめられる。今まで見た事のない鋭い視線だ。


「調査兵団は常に命がけだ.....
自分や仲間の命が危険に晒されていると判断した時、敵が何であっても殺さなくてはいけない......
そう....巨人であれ、友人であれ、家族であれ.....」

「.......アニ?」

アニの様子がおかしい。


「あんたは殺せるのか......例えば私が敵だった時......私を殺すことはできるのか......

その覚悟が無いのなら調査兵団なんてもう考えるのはやめろ.....」

凍てつく様な瞳で見つめられる。


......やっぱりおかしい。アニは何かに怯えている様だ。


「.......アニは私の敵なの?」
ぽつりと尋ねる。その言葉にアニの目は更に大きく見開かれた。


しばらく私たちは見つめ合ったまま静止していた。

ただ時計が時を刻む音だけがその場に響いている。


「........分からない.....」
ようやく、小さな声がアニの口から漏れた。その瞳は迷子の子供のように惑っている。


「そうだね.....分からないよね....
もしかしたら未来、悲しいけれど私たちは敵同士になってしまうかもしれない....」

クロエの口からも言葉が紡ぎ出された。
未来は誰にも分からない。今日笑い合っていても明日には憎み合う関係になってしまう事だってある。


アニは唇を噛んで自分のつま先を見つめている。......なんだかとても苦しそうだ。


「それでもアニ....私たちは今、確かに友達でしょう.....?」
アニの肩に安心させる様に手を置きながらクロエは言った。

そうしてゆっくりと自分の髪を結っていたリボンを解いた。

白地で端に刺繍が入っているそのリボンは8年前にマルコにもらった物で、クロエはそれをとても大事に使っていた。


そのまま白いリボンをアニの手に握らせる。アニは不思議そうにそのリボンを見つめた。


「もし.....アニが自分が何なのか分からなくなったら.....
そのリボンを見て私の事を思い出して欲しい.....。貴方の事を、とても好きな人がいるって事を覚えていて欲しいの....。」

洗って使ってるから衛生面は大丈夫だよ、とクロエは穏やかに笑う。



「あんたは......本当にバカだよ......」
アニがリボンを握りしめながら言う。目の縁には涙が光っていた。


「そうだね.....バカなんだろうね....」


「でも......ありがとう。.....あんたに会えて良かったよ.....」


「私もだよ.....ね、だからアニ....笑ってよ....
アニが笑っててくれないと私、安心して死にに行けないもの....」


「縁起でもない事言うんじゃないよ......!」

遂にアニの目から涙がこぼれ落ちる。


しばらくアニは静かに泣いた。クロエはそんなアニの手を彼女が落ち着くまでずっと握りしめていた。



その夜、二人は同じベットで眠った。

私たちはやがて別々の道を歩む事になるけれど.....今こうして感じる肌の温かさを忘れる事は決して無いだろう....。





ねぇアニ......いつまでそこで眠っているの.......




天秤:審判を象徴する。正義の擬人像の持物。
天秤でその重さをはかって魂の純粋さを知るというテーマは、
古代エジプトから遡り、更にキリスト教文化にも根付いた。
キリスト教絵画では大天使ミカエルが魂の行く先を定める為に用いている。


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