11灰色の蛇
最近座学の成績が芳しくない。
実技がそこまで得意ではないマルコにとって座学の成績の調子が良くないというのはかなり憂慮すべき事態である。
原因は最近どうも集中力が持続しない事にある。
現に今、教本を開いていても視線が文字の表面をなぞるだけで内容は全く頭に入ってこない。
溜め息をひとつ吐いて図書室の窓に視線を映す。
窓の外は寂しい灰色をした雲がたれ込めていた。
『私はね....今も、昔も、ずっとマルコの事が好きなんだよ』ふと先日のクロエの言葉を思い出す。
正直、驚いた。クロエの事をそんな目で見た事は無かったからだ。
これからも、ずっと今の緩やかで心地良い関係が続いて行くと思っていた。
(じゃあ.....断るか......?)
......そうしたら、クロエはきっと傷付く。
クロエの哀しそうな顔を思い浮かべると、マルコの胸もひどく痛んだ。
(クロエには笑っていて欲しい.....)
それに、断ってしばらくしたらクロエはまた別の人と恋に落ちるかもしれない。
クロエの隣に自分以外の男性がいる未来を想像すると胸は更に痛み、体がそのまま散り散りになってしまいそうだった。
(クロエは.....僕なんかで本当に良いのかな....)
自分は成績も桁外れに優れている訳でもなく、何か人に誇れる技術を持っているわけでもない。
こんな自分の事を何故好きになってくれたのかマルコには理解できなかった。
(現に今....それなりに得意と言えていた座学の成績も芳しくないし....)
自分がもっと優れた訓練兵であったら、クロエの気持ちに胸を張って応える事ができただろう。
いつか幻滅されてしまう日が来るのが恐ろしかったのだ。
(もし僕がもっと実技も座学も得意だったら.......)
.........そうしたら、僕が彼女に立体起動を教える事もできただろうか.........
認めたくなかったが、マルコはジャンが羨ましかった。
ジャンに立体起動を教わる事で、クロエは格段に明るくなったし、生き生きとした顔を見せる様になった。
それは素晴らしい事なのだが、彼女にその笑顔を作ってあげたのが何故自分ではなかったのか.....
何故自分ではない人間の隣でそんなに楽しそうにしているのか......
今まで感じた事の無かった黒くて醜い感情が胸の内から溢れ出る様で、二人を直視する事ができなかった。
ジャンは口こそ悪いが良い奴だし、クロエもそんな彼を良く思っている。
それが分かっているからこそ自分一人だけが醜い人間の様な気がして、とても苦しかった。
(......答えは....もう出ているのに.....)
マルコはクロエが好きだ。
幸せにしてあげたいし、ずっと彼女の隣にいたい。
ただ、今の自分の醜い内面を知っても、まだ彼女が自分を好きでいてくれるかは分からなかった。
(....苦しいな)
そうしてマルコはそっと目蓋を閉じた。
図書室のニスの剥げた机も、真っ白なノートも、曇り空に向かって開いていた窓も皆暗闇の中へ消えていく。
(......考えるのに.....疲れた....)
マルコの意識はそのまま浅い眠りへと落ちて行った。
蛇:キリスト教において悪、誘惑、罪、肉欲などを表す。
最初の人間であるアダムとイヴを唆して知恵の実を食べさせたのが蛇に姿を変えた悪魔で、
これにより彼等は楽園を追放されて男は労働、女は出産の苦しみを受ける事になった。目次[
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