愛しい雨 | ナノ


10ほどけた葡萄  


空気は清らかで、澄み切った青空がどこまでも遠くまで続いている。

午前中で訓練が終了となったので、クロエは先日手に入れたスケッチブックと色鉛筆を持ち出してこの綺麗な青い空とその下に広がる風景を写生する事にした。

哀しいときも嬉しいときも、頭の上に広がる空はいつだって綺麗だ。

きっと自分の命が失われるときだって変わりなく美しいに違いない。



「......上手いもんだね」


「ぶっへぇ!?」



集中していた時に突然声をかけられたので派手に驚いてしまった。


「アニ....驚かさないでよ....」

「驚かした覚えは無いよ」


背後にはよく見知った美しい金髪の女性が立っていた。

「あとアニ、恥ずかしいからあんまり見ないでよ.....」

アニは心の平静が未だ戻らないクロエの事を全く気にせずスケッチブックを覗き込んでくる。恥ずかしい。

「別に減るものじゃないだろ」

「あぁ、もういいよ....」


しばらくアニの視線を感じながら写生の続きをした。

どこからか穏やかな風が吹いてきて、草原の白い花を優しく揺らしている。


「ねぇアニ.....」
ふと、クロエが口を開いた。

「私ね、マルコに好きって伝えたんだ....」

「へぇ....あんたが....」

「うん、自分でもビックリしたよ....」

「後悔はしてないんだね...」

「そうだね.....確かに応えてもらえなかったら哀しいと思う...
でも例え断られてしまっても、マルコが他の人を好きになってしまっても...
それでも私はマルコの事がずっと好きだと思うから.....だから思いを伝えてしまって、逆にすっきりしているのかも...」

微風がクロエの髪を揺らす。彼女は穏やかに笑っていた。

「私は....本当にマルコを好きになれて良かった.....」
スケッチブックの上の草原に白い花を描き入れながらクロエは言う。

彼女のあまりに柔らかな笑顔に、アニの胸はずきんと痛んだ。

(マルコの事を....そこまで....)

「でも」

クロエが再び口を開く。

「マルコは優しい人だから、きっと私の気持ちに応えられなかった時に自分を攻めてしまうと思う....
それだけが心残りかな....」
そう言って哀しそうに目を伏せた。

「はぁ....なんであんたの中では断られる前提で話が進んでるんだ」
アニが腕を組みながら言う。その形の良い眉はひそめられていた。

「...え?いや...だって...」

「何でも悪い方に考えるのはあんたの悪い癖だ。
未来の事は誰にも分からないんだよ。考えるだけ無駄だ。」

「....そうだね...ありがとうアニ....。」
クロエは自分を見上げるアニに向かって淡く微笑んだ。


アニと私は大人と子供みたいに身長差があるけれど、私はいつだってアニに助けられてばかりだ....。

だからいつかアニに辛い事が訪れた時、貴方に助けてもらった分を必ず返すね....


「絵、他にも無いのかい。」

アニが木に寄りかかりながら言った。どうやらクロエの絵を気に入ってくれたらしい。

「あるよ。この中にあるから自由に見て。」
スケッチブックを手渡しながらクロエが言った。

アニが無言でそれを捲る。しばらく辺りはペラペラと紙が捲られる音だけが支配した。

「この絵、買うよ」
唐突にアニが言った。その青い目は白山吹の花が描かれた絵を見つめている。

「え?.....普通にあげるけど....」
クロエが驚いて言う。

「いや、これは私の自己満足みたいなもんなんだ.....今はこれしか持ち合わせが無いけれどいいかい」
そう言ってクロエの掌に硬貨を3つ握らせた。

「アニ....?」
強引なその行動にクロエは呆然とする。

「これで一番最初にあんたの絵を買ったのは私になるね」
アニはそう言って少し楽しそうに笑った。

「.....あとついでに今描いてる絵、予約しておくよ。いいだろう?」
再び視線をスケッチブックに戻しながらアニが言う。
有無を言わさない声色に、クロエは「.....はい」と言うしか無かった。


「この絵は....私が、憲兵になった時の初給与で買うよ.....」
しばらくしてアニが再び口を開いた。
相変わらずその視線は描きかけの絵の上にある。

「だからさ.......その時になっても.....どうか私と友達でいてくれ.......」

アニの声が弱々しく消えて行った。その瞳は微かに震えている。

クロエはアニの事がなんだか可愛らしく思えて、思わずその小さな体を抱きしめた。

「クロエ?」
アニが少し驚いた様な声を出す。

「もちろんだよ....アニ......!
私は憲兵団には入れないからきっとアニとは離れちゃうけれど.....ずっとアニの事を好きだよ....!」

「.....そうか....クロエ、ありがとう....」


アニの言葉は穏やかな風の中へ消えて行った。

その風はやがて空へと上がり白色に輝く雲の片を運び始める。

世界が残酷であればある程、この世界は美しい。




―――私たちが訓練兵を卒業するまでの間、白山吹の絵はアニのベット脇の壁に飾られていた。

―――アニは憲兵団となった時も、私の絵を自分の部屋に飾ってくれていただろうか。



葡萄:ギリシア神話の酒神ディオニュソスや秋の擬人像の持物。
またキリスト教世界では最も神聖な果物とされ、
聖母子と共に描かれる場合はイエスが将来血を流す事を示している。


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