クリスタとヒストリア 02 [ 74/167 ]
「『いつか、胸を張って生きられる様になった時は皆の傍で笑っていたい』」
ふいに.....エルダがぽたりと零した。
「....え?」
不思議そうに彼女の方を見れば、エルダは笑って「昔貴方が言った言葉よ」と答える。
「......覚えてたの」
少し恥ずかしくなった。
「勿論よ。」
気にしない気にしない、という様にエルダが私の頭を撫でる。
「.......私は、貴方を傷付けるものを許さないわ」
そして.....抱き締める腕に力がこもった。
「狭い壁の中の狭い街の中でしか生きた事の無い...小さな人間なんかに貴方が脅かされる事は無いのよ...」
少しの怒気を孕んだ....そして、聞いた事のある言葉だった。
そうだ....あれは私が熱で魘されていた時.....
エルダが怒っている所を見るのは...長い付き合いの中でも、あの時と今の....たった二回だけ。
....いつもエルダが怒るのは、私に関する事だった。
「.....ヒストリア、必ず皆で同じ場所にいられる日がやってくるわ」
またしても流れ始めた私の涙をエルダがハンカチで拭う。
後から後から溢れてくる為に、それはあっという間に使い物にならなくなってしまった。
「いつかまた笑い合って、お喋りをしましょう?」
エルダは何処からか二枚目のハンカチを取り出して私の頬を再び拭う。
「......うん。」
「その時が冬なら暖かいココアを淹れてあげるわ」
「うん....」
「夏ならレモネードね。私、どっちも凄く上手に作れるのよ」
「知ってるよ....」
「でも駄目ね、サシャったら一人で全部飲んじゃうんだもの」
「見張りが必要だね....」
「そうね、ヒストリアにお願いできる?」
ようやく見れる様になった私の顔に満足したのかエルダは湿ったハンカチを机に置いて微笑んだ。
「私じゃ止められないよ....」
「でもユミルだと暴力沙汰になっちゃうのよね」
困ったものだわ....とエルダは溜め息を吐きながら私の髪を梳く。とても心地良く、力がゆっくりと抜けて、彼女の胸の中に全身を預けてしまう。
「それ位がサシャには丁度良いんだよ...」
「あら、ヒストリアったら中々辛口ね」
「だってヒストリアだもん」
「そうねえ、優しいクリスタならこうはいかないかしら?」
「ううん、クリスタも内心そう思ってた」
「.....知ってたわ」
エルダが笑う気配を感じたので、私も笑った。
「あれはユミルの遠回しの愛情表現だから....。」
「近回しの愛情表現はヒストリアだけよねえ....」
「私はユミルに凄く愛されてるもの」
「ヒストリアは正直ねえ」
「エルダだってユミルに愛されてるんだよ?」
「まあ、それは素敵。」
「.......知ってた?」
「勿論よ。」
エルダがにっこりと笑ってこちらを覗き込んでくる。.....その笑顔から、あのユミルもお手上げな理由がよく分かった。
「...でもユミルったらひどいんだよ。いつも私の背の低さを馬鹿にして....」
「大丈夫よ。うちの兵長さんだって背が低いわ。それでも格好良いでしょう?」
「何....ああいうのが好きなのエルダ....」
「好きか嫌いかで言われたら好きよ。けれど私の蔵書を黴臭いとか何とか言って捨てようとするのをどうにかしてほしいわ」
穏やかな表情で言うが声色が少し低くなる。この二人、時たま険悪な雰囲気になるのだ。
「.....エルダがそうやって本ばっかり読んでると、またサシャが寂しがるよ....」
「あら、ヒストリアは寂しがってくれないの?」
「.....別に寂しく何か無いよ....」
「ほんと?」
「ほんと....!」
ぎゅっと抱き締める力を強くして、胸に顔を埋める。エルダは小さく溜め息を吐いた後、また優しく髪を梳いてくれた。
.....暖かな体温、柔らかい皮膚、優しい匂いに感じ入ってると、少し眠たくなってくる。
「ねえエルダ....」
ぼんやりとした声で名前を呼んだ。
「何かしら」
いつもの、優しい声が返ってくる。
「いつか、本当に...絶対....皆でまた、笑い合おうね。」
そう言えば、体を抱く力がまた、強くなった。
「ええ....勿論よ」
囁く様に、けれどしっかりとした響きを持って、彼女の応えが耳に届く。
「約束してね....」
「ええ、約束よ。」
「エルダだけは....いなくならないで.....」
「うん....」
「お願いだから....」
「うん。」
「傍に居るわ、ヒストリア」
その一言に心からの安堵を感じて...私は静かに瞼を閉じた。
*
.......眠ってしまったヒストリアを寝床まで運び、毛布をしっかりとかけてやる。
それから頬にそっとキスを落とした。
代わりにしかなれないけれど.....私で良いのなら、いつでも甘えて頂戴ね.....。
...隣で寝ているサシャにもキスをひとつ。
切迫したこの情況下で、貴方の明るさに皆は...私は、とても助けられているのよ.....。
そして....もうひとつ隣の.....
「ミカサ」
目をしっかりと開いていた彼女に呼びかける。
「起こしてしまったかしら」
申し訳なく思いながら彼女のベッドに腰掛けた。
「大丈夫....。気にしてない」
「そう、良かったわ」
少しの間...二人は無言で見つめ合う。
「......それ以上は、体を壊す」
ミカサの掌がそっと私の頬を撫でた。
「何故眠らないの」
それは頬から髪へと伸ばされ、さっき私がヒストリアにした様に...優しく梳いてくる。
「眠っているわ。」
彼女の....兵士でありながら淑やかな掌に手を添えて、淡く笑った。
「嘘。たったの一時間程度でしょう。もし倒れても、誰も貴方を助けられない」
「そうね....」
ミカサの掌を彼女の胸の上に戻してやりながら応える。
そっと立ち上がろうとするが、腕を掴まれて適わなかった。
私は掴まれた腕を眺めて....ひとつ息を吐いては、笑う。
「私と貴方では、出来る事が違うのよ.....」
優しく言いながらその掌を解いた。私よりずっと力が強い筈なのに、それは簡単に外れてくれた。
彼女の黒い髪を梳き、皆と同じ様にキスを落とす。
ミカサは私の唇が触れた箇所に触れ、その指先をしげしげと眺めた。
「おやすみ、ミカサ....」
今度こそ立ち去ろうとすると、またしても手を強く引かれてバランスをくずす。くずした先で、....頬を、噛まれた。
(.....???)
じんわりと痛む頬を抑えて不思議そうに彼女を見つめ返すと、「やり方....、違った?」といつもの無表情で問う姿が。
(............。)
少しの思索の後、穏やかに笑い返してやれば、ミカサの表情に安堵を感じる。
「いいえ、大成功よ」
濃艶の髪をぽんぽん、と叩いて答えた。
それから......私は、足音をなるべく立てない様に部屋を後にする。
*
乱雑に資料が積まれたままとなっている集会部屋へと戻り、ランプに油を足し、火を強めた。
下ろしていた髪をひとつに纏め、袖を捲る。眼鏡を外し、拭いて、掛け直す。
そしてまた、ひとつひとつ丁寧に読んで行く。
.......もう一度、もう一度だ。
何も無い筈等ない。誰かが、何処かに残している筈だ。
一冊だけでも、一行だけでも良いから、ある筈だ。
この国の深層に辿り着く...もしくはそれの手掛かりになる書物が。
私に出来るのは本を読み解く事だけだ。
どんなに難解な言語でも、暗号でも、悪劣な環境下故に掠れたものでもそれが文字ならば.....。
進まなければならない。
何も分かっていなくても絶えず、一寸でも、五分でも、身を動かし、進まなければならない。
腕をこまねいて頭を垂れ、ぼんやり佇んでいようものなら、――一瞬間でも、懐疑と倦怠に身を任せようものなら、――たちまち喰らい付かれ、周囲の殺気は一時に押し寄せ、私の体は、父さんと全く同じになるだろう。
私は、私の務めを果たそう。
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