アニの誕生日 02 [ 148/167 ]
エルダはとても上機嫌だった。
手を繋いだまま、頬をやや染めて終始にこにことアニに笑いかけている。
「なんでも好きなもの言ってちょうだい。今日はアニのお誕生日なんだもの、私奮発しちゃうわ」
そう言って賑やかな昼下がりの街を、久方ぶりに友人の手を引いて歩んでいる。
いつの間にやらアニの誕生日祝いを買う運びになっているらしい。……元よりエルダはそのつもりだったようだが。
「アニも立派な憲兵さんなんだからもう少し私服を綺麗な感じにしてみたらどうかしら。
その格好じゃ折角美人なのに男の子みたいだわ。」
ブティックのショーケースへと視線をやりながらエルダが言った。
アニは「………興味ない」とすげない返事をする。
「でもねえ……。貴方だってもう年頃よ?
ヒッチほど積極的にとは言わないけれど、もし男の子とのお付き合いがあるときとか……「そんなものはない」
エルダの言葉はぴしゃりと遮られる。そう、と彼女はそれ以上追求せずに肩を竦めた。
「じゃあアニは今、なにが欲しいのかしら。」
明らかに不機嫌に険しくなってしまったその顔を覗き込んでエルダは尋ねる。
アニは……途端に脳内に湧き出たよろしくない想像を失せさせようと軽くかぶりを振った。
そうして「欲しいものとか……よく分からない。」とだけぽつりと言う。
「まあ急に言われても困っちゃうわよね。……じゃあしばらくのんびり歩きながら見つけてみましょうよ」
「別にそんな風に……気を遣わなくて良いよ」
「気なんか遣ってないわよ。友達の誕生日を祝いたいと思うのは当然の感情じゃないかしら」
エルダはやはり楽しそうであった。
それを眺めていると、自然とアニの気持ちも穏やかになっていった。
彼女が幸せそうだと、やはり嬉しいのだと思う。
いや少し違う。自分といるときに幸せでいてくれたら嬉しい、だ。
更に言えば、自分と一緒が一番幸せだとエルダが気付いてくれたらとても嬉しい。が正解なのだろう。
愛して、愛されたい。当然の行為に今は憧れて仕方が無かった。
きっとそれが一番欲しいものに違いが無い。……頼めば与えてくれるのだろうか。
選んで、傍にいてくれるのだろうか……。
「ほら、アニ。」
ぼんやりしていると、目の前にずいと何かが差し出される。
…………見ればドーナツであった。エルダの隣には笑顔の売り子。どうやらまんまと買わされたらしい。
「起きたばかりでなんにも摂ってないんでしょう。とりあえず甘いものでも食べて元気だしましょう」
ほら。と彼女はアニの掌の内に紙に包まれているドーナツをひとつ収めた。自分も食べるらしく、売り子から更にもうひとつ買い求めた。
…………お腹は減っている。だからとくに逆らわずに渡されたものを食べた。
素朴な砂糖の味…それから微かにベリーが香って爽やかな気分になる。
「元気が無いときは甘いものよね」
エルダも美味しいと満足そうにしながら呟いた。
「別に元気が無いわけじゃない」
アニが応えると、それなら良かったわとまた掌を繋がれる。
「あんた……手、繋ぐの好きだよね」
「ええ。私アニの掌好きだもの。」
「………………。」
ひと月以上、会わなかった。それなのに昨日別れたばかりのように自然にいつも通りに。
それがとても喜ばしいのにどういう訳か苦しくて、ぎゅうと握り返した。
エルダはアニの一歩前を鼻歌しながら歩いていく。春が近付いているらしく、風は温かく穏やかだった。
*
「………良いんじゃないかしら。」
唐突に声をかけられて、アニはびくりとする。
エルダはにっこりとしながら「良いんじゃないかしら、服も良いけれど靴だって大事よね」と繰り返した。
「別にそういうつもりで見ていたわけじゃ……」
「あらこれも興味ないの」
「そういう、わけでも」
「うん分かったわ。それじゃあお店入りましょうね」
歯切れの悪いアニの応答をものともせずに、エルダは彼女を華やかな夫人靴の店へと入れてしまう。
…………エルダには割と、有無を言わせない力がある。アニは何も出来ずに成すがままになった。
*
「まあ。」
外から見かけて、少々気になっていた釦ブーツを履いたアニを眺めてエルダは思わず声を上げる。
そうして彼女の更に近くまでやってきて、「大きくなったわねえ」とその頭をぽんと軽く叩いた。
「素敵ね、ヒールがあるものを履くと一気に大人らしくなるじゃない」
珍しく、エルダと視線の高さが同じになったことがアニには少しだけ嬉しかった。
……元よりそれを想像してこの靴を眺めていたのだが。
一歩エルダの方へと踏み出すと、かかとがコツと鳴って心地良い。
身なりにあまり気を遣わないアニにも、こんな簡単なことで胸が躍る乙女心が確かにあったらしい。
不覚にも僅かだが笑ってしまった。
「それにする?」
エルダがかわいい靴ねと目を細めながら尋ねるので、アニは無言でこっくり頷いた。
じっと彼女たち二人を眺めていた店主に、エルダがこれ下さいなと機嫌良く声をかける。
…………しかし、妙齢の女店主は瞬きを数回した後に「お嬢さん、おいくつ」とアニに質問した。
「彼女は十六才ですよ。」
それにはエルダが応える。
女店主はうーん、と少し首を傾げてから「………成長期にあまりかかとが高い靴はおすすめ出来ないのよね。」と呟いた。
「あらそうなんですか」
「ええ、折角これから綺麗になるときに骨が歪んじゃうのは勿体ない気がするのよね。少しお節介だけれど」
彼女の言葉に、アニとエルダは顔を見合わせる。それから二人して釦ブーツの方に視線を落とした。
「…………気にいってくれたなら売るけれど、日常的に履くのはあと数年してからが良いかもね。」
お洒落は焦らずよ、と色っぽく零して女店主は片目を瞑った。
「だ、そうよ。アニ」
「そう……。それなら別に買わなくても」
「買っておきましょうよ。それで数年したらまた、履いてるところを見せて欲しいもの」
くださいな、とエルダはもう一度店主へと頼む。
はいはいと彼女は快く了承した。
…………靴が包装されていく間、アニは漠然とあと数年後もこうしてまた二人で街に出掛けることがあるのかと考えた。
そのときに、まだこの店が並ぶ通りはあるのか。そもそも自分はここにいるのか。
エルダと……一緒にいることはできるのか。
(………数年後。)
彼女は、成人している。きっと綺麗になっている。
………私はもう少し背が伸びていたい。かかとの高い靴を履かなくてもエルダよりも大きくなっていたい。
そうして今のこの苦しみも、二人で笑い話にできたなら。
綺麗に包装されて袋に入った靴を、エルダが渡して来た。
お誕生日おめでとう。と笑顔で言われる。
誕生日なんてと斜に構えていたけれど、やっぱり好きな人に祝ってもらえれば、嬉しかった。
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