サシャとお夜食 [ 79/167 ]
「うう〜......」
サシャは誰もいなくなった夜の講義室でうなり声を上げていた。
それに共鳴する様に腹の虫も同じ様な音を立てる。
......兵法講義の教本の暗唱を20行、書き取りを10ページ!!....しかも明日まで。
いくら講義中に高鼾で寝ていたからと言ってこんな仕打ちあんまりだ!!.....微妙に不可能では無さそうなのがまた嫌らしいっっっ!!!
そして何より応えたのが.......
また......腹の虫がもの悲しげに鳴った。
夕飯、抜き。
である。
(課題をこなそうにもお腹がすいて何も出来ませんよー...)
机に突っ伏しながらまたうなり声を上げる。
だが....サシャはとある期待を抱いていた。
女神....若しくは、自分にあっまあまの友人...どちらか、若しくはそれのどっちもが必ず助けに来てくれる筈.....と。
そして....遂に、講義室に控えめなノックの音が響く。
(.....来た!!)
もはや犬並みの嗅覚で美味しそうな匂いを感じ取っていたサシャは、それが誰だか勿論分かっていた。
ドアの隙間から、柔和な笑みを浮かべた薄緑の瞳の女性が顔を覗かせる。
「大きなお腹の虫の鳴き声がここからするわねえ」
と少し悪戯っぽく言うので、思わず席から立ち上がって入口へと駆け出してしまう。
んもう、これだから私はエルダが大好きなんですよ!!
「はい、はい!!大きなお腹の虫の元凶が今ここにここに、ここ「やーだ、サシャったら落ち着きなさい。」
エルダは飛ぶ様に傍まで来て扉を勢い良く開けたサシャを嗜めるように言うが、その表情は相変わらず穏やかだった。
「もう、零れたら今度こそサシャの夕ご飯は無くなっちゃうのよ、気をつけなさい?」
そう言いながらエルダはスープとパンを乗せたお盆を持って講義室の中へと入る。早速パンに手を伸ばすサシャに向かって「ちゃんと座って食べれない人にはあげませんよー」と笑いかけながら。
「さあ召し上がれ。」
ようやく先程まで自分が座っていた席に辿り着き、スープとパンにありつくサシャ。
心から美味しそうに食べるサシャを見つめて淡く笑いながら、エルダもまた前の席に...後ろを向いて、向かい合う様に腰掛けた。
「......ん?そういえばこのスープって....」
ようやく落ち着いて来たサシャが残り僅かになっていたスープに目を落としながら呟く。
「これ....いつものと少し違いますね...」
不思議に思いながら再び口に運んだ。.....やっぱり違うな、大味じゃなくて、.....それで懐かしい様な気が....
「....!エルダが、作ってくれたんですか....」
そう言えばエルダはじんわりと微笑む。無言だったが、それが質問への答えとなっていた。
「残り物で良かったのに....」
「残り物なんて出ないわよ。ただ材料だけはほんの少し余ってたからね....」
よく分かったわね、とエルダは嬉しそうに言う。
それから、味は大丈夫、不味く無い?と少し心配そうに言うので、すごく美味しいです、と笑顔で返した。
.....エルダは、この上なく幸せそうにしてくれた。
食べるうちに思い出す。これを昔....確かに食べた事があった。あれは...誰が作ってくれたんだっけ....
『サシャちゃんも、食べていきますか』
「....これね、慰めスープって言うのよ」
その時、頬杖をついてこちらを見つめていたエルダが静かな声で零した。
「悲しい事や辛い事、面倒くさい事....色んな嫌な事にぶつかった時に、これを作っては慰めたり応援してもらったりしたの」
エルダの手がそっと伸びて、サシャの頭を撫でる。優しく、温かな手付きだった。
「だから....きっと、今のサシャにはぴったりだと思って、あ、作ってあげようって....ね。」
ゆっくりと手を離されるのを名残惜しく感じながら....エルダには、誰が作ってくれたんですか?と思って...少ししてから、ああ...と目を伏せた。
「さあ、あともうひと頑張りよ。.....って書き取り三行しかできてないじゃない...。これじゃあ夜が明けちゃうわ」
「うー...だってえ....」
「だってじゃありませんよ。......手を動かすだけじゃない、集中したらすぐよ。」
「お腹減って集中できなかったんですよー」
「それなら今はもう大丈夫ね。はい、再開よ、頑張んなさい。」
「えー....エルダともっとお喋りしたいですよー」
「...............。」
エルダはその言葉を聞いて少し考え込むように顎に手を当ててから、唐突にサシャを抱き締める。
「なっ、エルダ.....!?」
サシャは驚きと喜び渾然一体となった声を漏らした。
....しばらくしてエルダは体を離してから、「もう...」と小さく零す。
「サシャが可愛い所為で私まで夜更かししなくちゃいけなくなっちゃったわ」
そう言ってどこから取り出したのか重たそうな本をクローバーの栞が挟んである所までぱらぱらと捲る。
ちら....と見た表紙から立体起動関連のものだと分かる。教本と比べ物にならない分厚さだ。恐らく...とても専門的な本なのだろう。
疑問符を浮かべるサシャに対し、「付き合うわよ。早い所終らせちゃいましょう?」と優しく微笑んだ後、エルダは本に目を落とした。
そして......エルダは急速に本の世界へとのめり込んで行く。
声をかけるのも躊躇ってしまう位....密やかに、深く.....。
講義室は...しん、静かになった。
一人でいたときよりも、ずっとずっと静かになった。.....けれど、嫌な静けさではなかった。
私も...ノートに、再び文字を書き出す。不思議とペンがすらすら進んだ。
何だか昔に戻ったみたいだ。
私が狩りの道具の手入れや、藁靴を編んでいる傍で、エルダはただ静かに本を読んでいた。
吸い込まれるように静かで、私も何だか、とっても集中できたのを覚えている。
「あの、エルダ.....」
遂々、昔の楽しい事を沢山思い出して、エルダへと話しかけようとしてしまう。
.....だが、その声は穏やかな表情で本を読む彼女を前にして小さくなっていった。
本を読むエルダはとても綺麗だ。そして、真剣。
私はそんなエルダが好きだった。
そして....、お世辞にも体を動かす事が得意とは言えない彼女が、一生懸命に知識でそれを補おうとしているのを見ると....私も頑張らないと...と、思えてきた。
淡く笑って、再びノートと教本に向き合う。気付けば半分程まで課題は進んでいた。
とても面倒くさい課題をこなしていると言うのに、何故か私は幸せな気持ちで、ペンを持ち直しては小さな笑みを漏らすのだった。
ぽー様のリクエストより
夕飯抜きになったサシャにご飯を作ってあげて、可愛がる話で書かせて頂きました。
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