光の道 | ナノ
ベルトルトと故郷の星空 [ 88/167 ]

目を開くと、満点の星空が広がっていた。



呼吸をすればその星が空気を伝って肺に流れ込むかと思う程見事な景色だった。


何処で見ても星は美しいが、やはり故郷にかかるこれは特別だ。ずっとずっと探し求め....そして、君に見せてあげたかった。


彼女は必ず喜んでくれる...。そう思っては、孤独な夜をいくつ越えて来ただろうか。



もう一度瞳を閉じて....それから、そっと開く。



ゆっくりと巡る星空が再び僕の瞳の中に――――



「ベルトルト」



しかしそこに映ったのは紺々とした空ではなく、柔らかな薄緑だった。


彼女は少しだけ微笑ってから、僕の隣へと腰を下ろす。



「どうしたの?いなくなっちゃうんだもの、心配したわ」



髪をゆっくりと梳かれながらエルダは零した。



「うん....ごめんね。ちょっと考え事.....」



.......心地よかった。彼女に触れてもらえるのがとても嬉しくて....ずっと、そうしていて欲しかった。



「そう、ご飯の仕度はもうできてるわ。気が済むまで考えたら、家に戻りましょう?」


「.....そうだね。そうするよ.....」



もう一度、体の中を星で満たそうと深く呼吸する。エルダはそんな僕の事をじっと見つめては優しく目を細めた。



「綺麗ねえ....」

囁く様にエルダが零す。


「......うん。ずっと昔からこうなんだ。変わらずに...すごく綺麗で....」

「そうね。ベルトルトの話にはよくここの星空の話が出てきたもの。私、一度で良いから見てみたかったのよ」

「そっか....。それが適って、適える事ができて....良かった。」


エルダの掌にそっと触れた。以前はこれに触れるだけでも随分と苦労したものだよなあ....


「本当に...凄いわ。空だけじゃなくて、湖にも星が映って....どこもかしこも星光で覆われているのね...」

そう言って彼女はほう...と溜め息を吐き....おもむろに立ち上がって、空と湖の狭間を見つめた。


「......なんだか、ここまで明るいと湖の上を歩けそうね」

「流石にそれは無理だよ....」

「やってみないと分からないわ」

「え.....?」


エルダは穏やかにそう言うと....来ていたカーディガンを脱いで、するりと地面に落とした。


「ちょ、ちょっと、エルダ....!?」


気を動転させて思わず身を起こした僕の事等おかまい無しに、エルダは真っ直ぐに湖へと進んで行く。

彼女の着ている白いシャツが青い闇の中で光っている様だった。


エルダは湖の傍で履いていた靴と靴下を脱ぎ、そっと水の中へと足を浸して行く。


「エルダ、待って....そんな事したら危ないって....!」

「大丈夫よ」


変わらない笑顔でエルダは返す。



そしてゆっくりと湖に沈みゆく姿が.....あの日のものと重なって....



駄目、駄目.....駄目だ.....!!!



弾かれた様に立ち上がり、湖へと走り出す―――――


ふと、エルダがこちらを向いた。



「ベルトルトも、おいで」



ゆったりとした響きを持つ言葉と共に、僕へと手を差し伸べる。



(あ.......)



安堵が、体を満たした。



そうか.....違う、違うんだ.....。


あの時とは違って、僕とエルダの想いはひとつで....そして互いにとって唯一人の......



「大丈夫よ。もう水の中も温かいわ。」



エルダがこちらに戻って来て、僕の手にそっと触れ....星屑で満たされた水面へと導いて行く。



......が、僕はそれに従わず、逆にエルダを引き寄せた。



君がいるべき場所は、湖の向こうじゃない。今....ここ、僕の元だ。



「駄目だよエルダ。足を踏み外して溺れたらどうするの」

「大丈夫よ」

「.....エルダの大丈夫はいつも大丈夫じゃないじゃないか」

「そう.....?」

「それに風邪を引いたりしても大変だ」

「まあ....それもそうねえ。」


半分程水に浸かってしまったロングスカートを絞りながらエルダが零す。彼女の白い脚が目に触れて...胸の内がざわついた。


「ほら....ちゃんと着て。」


濃紺のカーディガンを彼女の肩にかけてやる。エルダは嬉しそうに目を細めて、「ありがとう、ベルトルト」と僕を見上げながら言った。


.....彼女の瞳の中にはやはり満天の星が映り込んでいる。


今....この薄緑が、自分の為だけに存在していると思うと、本当に嬉しかった。すごく...すごく、嬉しかった。



カーディガンをかけてやった手を、そのまま彼女の体へと回し、しっかりと....きつく抱き締める。



一瞬エルダは体を強張らせるが、やがてゆっくりとその身を預け、自分も僕の体に手を回して来てくれた。



「どこにもいかないわよ」



そして僕の胸の内を見透かした様に優しく囁く。



「うん.....。どこにも、行かせない......」



腕の力を強めながら囁き返した。



君と別れたあの期間、今思えば短いものだったけれど....当時は永遠の様に感じた。


そして....思ったんだ。....僕には、どうしても君が必要なんだって.....



体を離して、もう一度薄緑の中の星を眺める。


吸い込まれる様なそれを見ていると、自然と言葉が口を吐いて出た。



「......エルダ。僕と....結婚して...。」



エルダは....それを聞いて驚いた様に目を見張る。


が、やがて穏やかに笑った。



「嫌だわ。一緒に住んでいて、お互いの事が好きで....もう、結婚しているのと同じじゃない。」


「うん.....。でも、ちゃんと言っておきたかったから.....」



エルダは少しだけ目を伏せた後、もう一度僕を見上げる。



「良かった....。私も、そう言って欲しいなあ...って、ずっと思ってたの。」


じんわりと、体に沁みる様な言葉だった。僕は目を閉じ、それを全身で感じた。



ゆっくりと瞼を開き....エルダの両頬に手を添える。


屈んで、視線を合わせると、.....愛しいと想う気持ちが溢れて....どうしようもなかった。



何をされるか分かったらしい彼女は少々恥ずかしそうに眉を下げる。



.........エルダ、君で良かった。君の事を好きになって、本当に良かった。



君からは沢山のものを奪ってしまった僕だから....例えそれが許されなくても、ひとつずつ、埋めていってあげたい。



だから僕の傍にいて欲しい。ずっと....ずっと、この空に受かぶ星の寿命なんかより、ずっと永く。



「家に帰ろう。僕らの...家に。」


ようやく満足して、長い行為を終えた僕は....そう呟いてから、しっかりと手を繋いで道を歩き出す。


エルダは一拍置いてから僕に続いた。


彼女がほんの一筋の涙を流した事を僕は気付いていたが....見なかった事にする。


そして、僕も泣いていた。.....やはり、エルダも気付かないふりをして...代わりに、掌を強く握り返してくれた。



そう.....そうなんだ。だから....僕は、エルダを心の底から愛してしまったんだ。


優しい、優しい君だから.......



僕らが結婚したのは、星ひとつひとつが鳴っている様な本当に美しい夜だった。


二人だけがその事を知っていた。


人々は戸を鎖し眠りに入っている。星空の下に、闇黒のなかに。


彼らはなにも知らない。この星空も、この闇黒も。


だから....夜が明けたら教えてあげよう。大切な友人たちに。



僕らは、やっと...........



クオ様のリクエストより
夫婦設定/ベルトルト視点で書かせて頂きました。


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