クリスタと読書さん 01 [ 75/167 ]
(学パロ、if恋愛)
私には、好きな人がいる。
同じ学校の人ではない。
名前も知らない。
向こうは私の存在すら知らない。
顔だけは充分過ぎる程知っている。毎日、毎日、短い時間の中で必死にその姿を目に焼き付けるから。
そして―――――女の人。
いつも....その人は電車の中で本を読んでいる。
本屋の茶色い紙のカバーがかかっているので、何の本かは分からないが....きっと難しい内容だ。
以前ちらりと中身を覗いた時、字の小ささに目眩を覚えた事から、それは分かる。
いつしか私はその人を『読書さん』と心の中で呼ぶ様になっていた。
*
今日は.....とても運が良かった。
なんと、読書さんの隣に立つ事ができたのだ。
混んでいる車内で、少しだけ体が触れ合う距離。
横目で彼女の事を盗み見ながら、何とも幸せな時間を過ごさせてもらった。
―――読書さんの睫毛は長い。
揺れる電車の中でも片時も本を読む事をやめない...彼女の伏せられた目の周りでそれはいつも影を作っていた。
もっと....彼女の事、知りたいなあ。
でも、話しかける勇気は無いし....かといって、ずっとこのままも.....
再びちら、と読書さんの白い横顔を見上げる。
........やっぱり、駄目だ。
せめて同じ学校だったらもう少し話しかけやすいのに....
ああ、....もしかして、恋人がいたらどうしよう。それは凄く嫌だ....
でも、初対面で急に『恋人いますか?』なんて尋ねたら一体どんな不審者かと...!ああ、どうしよう....
そう思って、脳内を軽いパニックに陥いらせていると....ふと、体に違和感を覚えた。
え......
最初....勘違いかと、思った。
でも違う......。
嫌だ.....、どうしよう、でも......
瞳の内側からみるみる熱いものが湧き上がるのを感じた。顔もまたじんとした、痛みにも似た感覚を持つ。
深呼吸をして、瞳を閉じた。
.........我慢、我慢すれば、これ位........
その時、左手が.....少し強く、引っ張られた。
(え....)
読書さんが、私の手を引いて、混雑した車内をするりと歩んで行く。
動けない程ぎっちりと人がすし詰めの筈なのに....不思議だ。
ドアの一番近くまで来ると、読書さんは『次の駅で降りましょう』と小声で言って白いハンカチを差し出してくる。
........そこで初めて、私は自分がとんでもない量の涙を流している事に気が付いた。
*
電車を降りても、私の涙は止まる事は無かった。
読書さんは、「大丈夫、大丈夫よ」と優しく笑って、私が握りしめていた彼女のハンカチを手に取って、頬を拭ってくる。
どうしてここまで泣いてしまったのだろう。.....同じ経験なら何度かした事、あったのに.....
そして、穏やかに笑う彼女を見上げては、この涙は、恐怖の所為だけでは無いのかも知れない....とぼんやりと思うのだった。
「落ち着いた?」
そう言って読書さんは缶のカフェオレを一口飲んだ。私も同じもの...奢ってもらった...を少し飲む。
「ごめんなさい.....わざわざ一緒に降りてもらっちゃって......」
そう言って謝った。胸の中は申し訳なさで一杯だ。
「良いのよ。」
学校をサボる良い口実になったわ、と読書さんは淡く笑う。.....彼女は意外と不真面目らしい。
しばしの...沈黙。
当たり前だ。私たちは初対面で...共通の会話も何も無い。....そう、私が一方的に、想いを寄せていただけで....
「クリスタ・レンズ」
ふと....読書さんの口から私の名前が漏れる。
何かと思って彼女を見ると、その白い指が私の鞄を差していた。
「ちゃんと閉めないと」
それを視線で辿れば、背表紙に名前の書かれた教科書が。
「素敵な名前ね」
笑いながら読書さんはもう一口カフェオレを飲んだ。
その仕草を見て、どういう訳だか胸が締め上げられる。
......言葉を話す読書さんを初めて見れて、嬉しかったのだろう。
いつも姿を追うだけだった貴方に近付けたのは...とても新鮮な喜びで....。
「あの....貴方の、名前はなんて言うんですか.....」
精一杯の思いで言葉にする。
読書さんは目を細めて「エルダよ」とだけ言い、空になった缶を近くのゴミ箱へと軽やかに投げた。
これが、『読書さん』がエルダへと変わった日の話。
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