ベルトルトと切り取られた空 02 [ 65/167 ]
「まあまあ、困ったわねえ」
鍵穴から外を覗き込んで小さな溜め息を吐きながらエルダが言う。
......あまり困っている様に見えない。
あれから...何をどうしても入口は開かなかった。扉と格闘して疲れ切った僕は倉庫の壁にもたれて座り込んでしまっていた。
「大丈夫よ」
その隣に腰を下ろしたエルダが話しかけて来た。....何が大丈夫なんだと視線で訴える。
「だって、ここは立体起動装置の倉庫よ?
明日になれば皆がこれを使用する為に必ず訪れるし、開かなかったら何かしらの対処がなされる筈だもの」
だから明日の朝まで我慢すれば良いのよ、とエルダは微笑んだ。
(言われてみれば確かにそうか...)
少しほっとした心持ちになる。
しかし...暗くて狭い場所で一晩も過ごさなくてはならないという事実は変わらない。
好きな子と二人きり....とても嬉しいのだが、情けない姿を見せてしまうかもしれない...という希有の方が今は強かった。
後は...様々なよしなし事を妄想しても、相手はエルダだし...生憎僕は然程の勇気を持ち合わせていない。
....100%何も起こらない。期待するだけ無駄だ。
「....ごめんなさい」
エルダがぽつりと零す。
「え....」
「....私に付き合ってもらった所為で、貴方に迷惑をかけてしまったわ...」
彼女は膝を抱いて、目を少し伏せた。
「違うよ...」
憂う様な表情を晴らしたくて否定する。...本当に違う。僕が勝手に付いて来ただけだ。
「ただ、僕は狭い所とか暗い所が...あまり得意じゃないだけで...」
......しまったと、思った。しかし、零れた言葉は戻ってはくれない。
情けないと...そう、思っただろうか。いや、きっとエルダはそんな事は考えない。とても優しい人だから。
......これは僕自身の問題なのだ。
僕が人間の形を失った時の姿が天を衝く程の巨体なのも...多分、この心持ちが少し関係している。
どんなものにも閉じ込められず、どんなものにも光を遮られない為に、高く、高く...
そうやって....嫌な事から力を頼って逃れて、僕は結局弱いままだ...。
「うわ....!」
暗い思考の淵に沈んでいた意識が急浮上する。
横から抱きすくめられ、そのまま体を引き寄せる様に倒された。
そして今度は後ろから首の辺りに腕が回る。
.....深藍のカーディガン越しでも分かる細い腕...。同じ人間なのに、僕のものとは全く違う生き物の様だ。
更に言うと....後頭部に何か当たるのだが...これは、うん、これは....うん、まあ...気付かないふりをしよう。
ああ、でもヤバい。すごくやわらか....いやいや、すごくうれし...違う違う、そんな事はない。僕は何も気付かない。何も知らない。
「ほら、あそこを見て」
彼女が指差す方向に目を向けると、天井近くに据えられた明かり取りの窓から、夜空が小さく切り取られて見えていた。
「全くの密室では無いし、完全な暗闇でも無いわ。大丈夫よ」
優しくそう言って、エルダは僕の髪を梳く様に撫でる。
「でも...こうやって固い壁の隙間から空を除いていると、閉じ込められた実感が余計湧くよ...。
....そこに手が届かない事が分かって余計に悲しくなる。」
.....おかしい。いつもなら、彼女にこうしてもらえば心の昏さはすーっと退いていくのに。
「そうかしら。あの空の...周りの見えない部分がどうなっているのか想像できて楽しく無い?」
「...そういう風に考える事ができるのはエルダ位だよ。皆が皆、君みたいに前向きで強くは無いんだ...。」
そうか...きっと、僕は寂しいのかもしれない。
いつもいつも、あまりに君が眩しくて...僕とは決定的に違うものだと思い知らされる事が...。
「...それは違うわ。私は前向きではないし、弱いわ。とても....。」
......ふと、エルダの声が寂しく零された。
「それを隠したくて...強がりばかりを言っている...」
時々自分が嫌になるわ、と呟く様に言葉が続く。
彼女の腕に力こもり、より強く体温が感じられた。
「.....私は嘘つきで、見栄っ張りなのよ。
でも、こうやって虚勢を張り続けていれば...いつかはそれが本当の姿になるかもしれない...。」
そして...彼女は「ごめんなさい...忘れて頂戴」と耳元で微かに囁く。
.....それきり、エルダは黙った。
僕は瞼をゆっくりと閉じる。
目を閉じても、相変わらず閉塞感が息苦しく胸を締め付けてくるが...喜びが小さくそこで芽吹いているのも確かに感じていた。
....そうか。
彼女だって僕らと同じ人間で...同じ様に苦しんで、弱い所も沢山あるんだ...。
それを見る事ができたのが、何だか嬉しかった。
「見慣れたものでも、時間や見方を変えると全然違う風に見えて...また素敵な発見があるのよね。」
ふと、先程のエルダの言葉を思い出した。
その意味が少し分かった様な気がする...。
....極僅かこちらを除いている夜空と同じで、全部分かってしまったらきっとつまらないのかな...。
見えないからこそ、新しい発見がとても嬉しいのかもしれない。
「僕は....そういうエルダの事も好きだよ」
そう言えば、小さく笑う気配を感じる。
ありがとう、という淡い呟きが確かに伝わった。
それから二人は静かに...ぽつり、ぽつりと短い会話をしながら...小さな正方形から洩れて来る星明かりを眺めた。
「ベルトルトは大きくて良いわねえ」
ふと、彼女が言う。
「......?」
何の事だろう、と次の言葉を待った。
「だって、私より星や月への距離がずっと近いもの」
羨ましいわ、と言ってエルダは僕の顔を覗き込んでくる。
.....こんな考え方をする人もいるのか、と...少し驚いた。
そして...やはり僕は好きになるべくしてこの人を好きになったんだろうなあ...と、根拠の無い、けれど絶対的な確信を抱いた。
エルダは僕の頭の位置を自分の膝へとゆっくり移す。
そしてまた髪を撫でてくれた。...気持ち良い。もっとして欲しい。
「狭くて暗い所が苦手なら、貴方が落ち着いて寝れるまで傍にいるわ。」
安心して眠りなさい。とエルダはこちらを見下ろして笑った。眼鏡越しに細められた瞳がとても綺麗だった。
僕は眠くなかった。
....この幸せな時間を一秒足りとも無駄にしたく無かったから、寝るなんてもっての他だった。
「......エルダの話が聞きたい」
そう言えば彼女は少しびっくりした様にする。
「私の話なんて聞いても面白くないわよ」
「良いんだ...。何でも良い。君が好きな食べ物や...小説、嫌いなものでも良い。」
僕はエルダの事を、君が嫌う虚勢の裏の嘘も含めて...もっと、もっと知りたいから。
エルダは少し困った様に笑うが....やがて、今までの旅の話や、父親の事、本の事...少しずつ話し始めた。
.....彼女は煮た林檎が好きなそうだ。一番の好物は魚らしいが、食べる機会が減ってしまって残念だと言う。
雷と幽霊がとても苦手な事を少し恥じらいながら打ち明けてくれた。すごく可愛い。
...俗っぽい三文小説も結構好きな事、初恋は冒険活劇本の主人公だった事。
運河を渡る大きな船が大好きでいつまでも眺めていた事や、夕暮れになると火が灯る工場都市の風景は父のお気に入りだったと、穏やかに思い出を語る声はとても優しい。
...沢山の人の死に立ち会ってきたそうだ。ずっと彼女が覚えている...それ等は皆鳥になって壁の外にいる、いつか必ず会えるという父の言葉を、僕にも教えてくれた。
...囁かなやきもちを架空の冒険家に抱きつつ....僕も自分の事も話した。
なんだ....。自分が無いとか言っておきながら、次から次へと話したい事が浮かぶ。
いや、こんなに自分の話をしたのは初めてだったかもしれない。
.....いつもいつも、僕はエルダに慰められてばかりだった。
それが嬉しくもあり、少し情けなくもあり...いつかは、僕も彼女の為に何かしてあげたかった。
だから....今日、僕との会話が...少しでも、君の支えになったら嬉しい。
....聞いてなかった事や話していなかった事、新しいものが交換される度に幸せが胸に沁みて行くのが分かる。
遂に僕らは眠る事を忘れて話し続けた。
空が藤色へと変わり、ようやくうつらうつらとした時には...この狭く暗い空間でも、なろうと思えば充分幸せになれるんだなあ...と、そんな実感が胸にことりと収まった。
多分...君と一緒だから...何処でだって、そうだ...
......いつか見せてあげたいなあ。僕と同じ視線の高さで、故郷の空に架かる沢山の星を。
僕の目には日常でも、君にとっては掛け替えの無いものになってくれると願いながら。
その時には、君の弱音も自身への欺瞞もきっと沢山聞いている筈だし、君も同じ様に僕のそれを受け取ってくれているんだ...。
そして...僕はもっと君を好きになっていると思う。
未来がどこまでも暗くても、これだけは黒い夜空を針で刺した小さい星みたいに輝いて...僕が進む方向をどこまでも示してくれている。
最後にエルダの寝顔の向こうに見た窓からは、夜明けの霧で霞んだ白い光が差し込んでいた。
そこには、硝子一枚を隔てて全世界に通じる大空があるのが、今の僕には....よく分かる。
ニベオ様のリクエストより
ドアノブが壊れ、ベルトルトと二人っきりで部屋に閉じ込められる話で書かせて頂きました。
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