ベルトルトと切り取られた空 01 [ 64/167 ]
「良いよなお前は」
「........?」
ぼんやり窓の縁に肘をついて夜風にあたっていた僕に突然話がふられる。
何の事だろうと、ベッドの上で話をしていた....現在はこちらを見ている....ジャンとコニーの方へ視線を寄越した。
「当たり前だけどな、立体起動はリーチが広い程有利なんだよ」
ジャンが僕の不思議そうな視線に応える様に口を開く。
「...という訳はだ。お前の成績の良さもそのくそでけえ身長....当然手足も長いよな...のお陰な訳だ」
あー、オレもお前位でかけりゃなあ、と溜め息を吐くコニーとどんだけデカくてもお前はお前だよ、と発言をするジャンを少しの間眺め...僕は再び暗く淀んだ夜の風景に視線を向けた。
......そりゃあ確かに背が高くて良い事もいくつかあるけど...困った事も多々ある。
どんなものでも一長一短...いや、むしろ悪い方へ働くものだ。
そうやって世の中には嫌な事の方が多いと、最初から期待しない方が賢いと思う。
これは何度も繰り返し、幸せを感じてはそれがぬか喜びだったと思い知らされて...ようやく辿り着いた、僕なりの自分を守る術だ。
外は...夜にも関わらず暖かかった。....もう、春なのだ。
只でさえ人気ない夜陰の物寂しさが、この急な連想で驚くほど無気味なものにさせられる。
...別に、あの二人の会話がどうこうという訳では無いのだが....
きっと、常にそうなのだ。...誰とも話をしていない、何もしていない時...自分の心に向き合わなくてはならない時にそれを強く感じてしまうだけで....
ふと、真っ暗な夜の風景の中...淡く光る様な人影が現れた。
滑る様に足音も無く歩く姿から幽霊か何かかと一瞬思ったが.....勿論ちゃんと生きている、一人の女性だ。
本当に沙椰かな気配だった...けれど確かにそこにいる。
....そうか。君だから、僕は気付いたんだね。
.....こんな遅くに、何をしているのだろうか。
一人で出歩くには危ない時間だし...何より、その姿を見ていても経ってもいられなくなる。
辺りを少し見回して、誰も自分に興味を示していない事を確認すると...僕は今まで肘をついていた窓の縁に足をかけ、微かに甘い匂いがする闇の中に降りて行った。
*
夜にも関わらず眩しく感じる程、桔梗色の天球には一面の星座が瞬いていた。
少しの目眩を覚えて額に軽く手をかざす。その光の中に、彼女の頼りない輪郭がぼんやりとして見えた。
....エルダは立体起動装置を抱えていた。
自主練でもしていたのだろう。と、言う事は装置を倉庫に戻しに来たのか...
シャワーを浴びてすぐなのかな...。髪が少ししっとりとしていた。
いつも本ばかり読んでいる彼女から立体起動の自主練というのは想像しにくく...しかし、エルダなりに努力をしているのだなあ、と感心してしまった。
.....近付くと、彼女は微かに唄っていたのだと分かる。
本当に呟く様に小さな、気付かない位の声で。
機嫌が良いのだろうか。と、いうよりもエルダはいつだって楽しそうなのだが...。
それが彼女の魅力であり...僕との絶対的な差であり...その違いに切なくなると同時に憧れはより強くなり...
....唐突にエルダの歩みがぴたりと止まった。
そして...非常にゆっくりと、後ろ...つまり僕がいる方向を振り向く。夜遅いからだろうか、眼鏡を掛けていた。
少しの恐怖を抱いていた表情は、僕の姿を確認した途端に柔らかく解れる。
.......しかし、それと同時にばつが悪そうにしながら、頬を微かに赤くした。
「.......聞いてた?」
小さな声で尋ねる彼女に対して、ゆっくりと首を上下して応える。
頬の朱色を更に深めて、「嫌だ...恥ずかしい」と言う姿が非常に可愛かったので...僕の方も少し赤くなっていたと思う。
....辺りが薄暗かった事に感謝したい。
「こんな時間に一人で歩くのは危ないよ」
エルダの腕の中から装置を奪いながらそう言うと、彼女は取り返そうと手を伸ばす。
しかしどうにもそれが適わない事を理解すると、「ありがとう」と微笑んで僕の隣へと一歩距離をつめた。
「.....倉庫の方で良いんだよね?」
「ええ、そうよ。」
......こうして、非常に喜ばしい事に僕らは二人きりで夜の散歩をする事になった。
*
「夜...いつもは暗くて先も見えない道だけど、これだけ星が出ていると明るく見えるものね」
エルダが空を見上げるので、僕も一緒にその方向を見た。
陽春の夜空の一方をぽっと染めて、星々を横切る様に紅の霞が架かっている。
.....梅だ。甘い匂いの正体はこれだったんだ。
「綺麗ねえ。昼も綺麗だけれど、夜もまた格別だわ」
「.....そうかな」
正直、昼もそこまで気を配って風景を見ていないので分からない。
...梅の花をちゃんと見たのも、今年は始めてだ。
「見慣れたものでも、時間や見方を変えると全然違う風に見えて...また素敵な発見があるのよね。」
.....やはり、その感覚もよく分からなかった。どんなものも、時間を変えて見たってそこまでの変化は無いだろう。梅は梅だ。それ以上でも以下でもない。
きっと....エルダが見る世界と、僕の見る世界は違う。
それを実感すると何だか悲しくなる。....同じ景色を、いつかは見る事ができるのだろうか...
*
......倉庫の中は黴臭かった。
いつも立体起動装置を納める為にここには訪れるが...夜はまた格別に陰気で、空気の蒸せた例の臭いが室内に満ちている。
「ちょっと暗いわね」
エルダが持って来たカンテラに火を点けたので、それを受け取って天井に吊るしてやった。
ぼんやりと姿を現した倉庫は、低い天井と床板と、四方の壁より外には何も無いような閉塞感、
湿っぽくて、塗装が膏薬のように床板の上へ所々貼りついているのがまた汚らしい。
部屋の真中にたった一つの灯り....先程のカンテラが落葉が蜘蛛の網にでもひっかかったようにぼんやり下がって、侘しく灯っていた。
.....なんといか、今すぐにでも外に出たいという凄まじい欲求を駆り立てられる。
僕は...狭い所も暗い所も平気だが...そのふたつが合わさったものは...割と、得意では無い。
「はい、終わりましたよ。」
僕から受け取った装置を所定の場所へ無事返したらしく、エルダが立ち尽くしている僕の元へ戻って来た。
一刻も早く外に出たくて、天井からカンテラを手早く取り外す。
役目を終えたそれにふうと息を吹きかけて灯りを消し、入口のノブに手をかけてようやく広い空の下に....
.....下に......
あれ.....?
し、したに........
........えええええ?
「.....あ、あかない.....」
「まあ」
........なんという事でしょう。
二人きりで密室というのは非常に喜ばしいシチュエーションなのですが....
何故、何故!暗くて狭くて湿っぽくて陰気な倉庫の中なんだ!何故!!
僕はその場にへなへなと膝をついた。
.....そして、カンテラの火を消してしまった自分の事を激しく呪った。
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