ユミルの誕生日 01 [ 55/167 ]
「....あ、あのっ」
夕食が終わり、宿舎に帰ろうと...その時は珍しく一人で歩いていたエルダを少々上擦った声が引き止める。
不思議に思いながら振り向くと名前と顔だけは知っているかな...といった男性兵士が、非常に緊張した面持ちで佇んでいた。
エルダは首を傾げた後に自分の後ろを確認する。「い、いえっ、後ろにいる人じゃなくて君に用事があるんです!」
次にエルダは自分の左右を確認した。「だからっ、横にいる人でもなくてエルダに用事があるんだってば...!」
エルダが頭上に疑問符を浮かべながら自分の事を指差すと、こくりと首を縦に振られる。
......成る程、と納得し、エルダは彼の方へ近付いた。
しかし近付けば遠ざかる。その距離を詰めようと更に近付けば更に更に遠ざかる。
これでは埒があかないと小さく溜め息を吐いた後、エルダは大きく一歩踏み出し、素早く彼の腕を掴んでその鬼ごっこに終止符を打った。
「捕まえた」
うふふ、と笑いながらエルダは自分よりやや背の高い男の子を見上げる。
途端に彼の頬にはさっと朱色が差し、瞳は激しく泳ぎ、更に目尻には涙が溜まってしまった。
エルダは彼の慌てぶりを宥める様によしよし、と少し背伸びをして頭を撫でてやる。
しかし彼の状態は悪化の一途を辿るのみで、エルダは困ったわねえ...と片手を軽く頬に当てながら少年を見つめた。
「あの....腕...」
ようやく落ち着きを取り戻した彼がぼそりと呟く。
エルダは未だにその腕を握ったままだった事を思い出し、「あら、ごめんなさいね」と言ってそれを離した。
「いやっ...。別に...迷惑とかじゃなくて...」
少し残念そうにしながら焦って弁明してくる。
そんな彼に対してエルダは「大丈夫よ、気にしてないわ」と淡く微笑んだ。
「それで...何の用事かしら?」
エルダが仕切り直す様に少年に尋ねる。
彼はまたしても挙動不審になるが、やがて意を決した様にポケットから白く清潔そうな封筒をエルダに差し出した。
「........。」
エルダはそれを少しの間見つめた後「任せて頂戴」と心無しか楽しそうに笑う。
「.....え?」
何の事だろうと、彼は不思議そうな顔をした。
「どの女の子に渡せばいいのかしら?私はそういう事は疎いけれど頼まれたのなら応援しちゃうわ」
ね、と殊更綺麗に目を細めてみせる彼女の発言に思わず少年はずっこけそうになる。
「だから違う!違うってば!!」
「....あら、じゃあ男の子に?まあまあ....」
「何故正解から遠ざかる!!」
「でも私男の子の友達はライナーとベルトルト位しか....と言う事は....どっちかしら?両方とも素敵な人よね」
「推すなあ!!そっちへの道を僕に推すな!!!」
「あら違うの?困ったわねえ....。」
「それは僕の台詞だ!!」
このままでは駄目だ...と少年は一度息を整える。
エルダもまた彼が体勢を立て直すのを見守った。
「こ、これは...エルダ、君に読んで欲しいんだ...」
いつの間にか指先に力がこもってしまったらしく、真新しくパリっとしていた封筒は皺がよってしなしなになっていた。
「.....まあ」
少し驚いた様にそれを眺めた後、エルダの頬に淡い朱が差す。
「ご、ごめんなさいっ、私勝手にそれがあれでこれなお手紙かと...!やだ、恥ずかしいわ、ごめんなさい!」
「それがあれでこれな手紙で合ってるって!!この鈍子さん!!」
「うふふ、私の名前はエルダっていうの。ちゃんと覚えてね。」
「っだーい!!何この子僕の国の言葉が通じないの!?」
「?国はひとつよ」
「通訳!通訳を呼んでくれ!!」
段々疲れて来た少年はエルダの手の中に無理矢理それを持たせる。
「私に用事ならこの場で聞くわよ?」
エルダがそれに目を落としながら言う。
「いやっ...臆病かも知れないけど...口に出す勇気が無くて...。なるべく一人の時に読んで欲しい...。」
言葉は尻すぼみに小さくなっていく。やや中性的な彼の顔は先程よりもっと赤くなった。
「....じゃあ、今日はこれで...。引き止めて、ごめん。」
それだけ言うと彼は男子寮の方へ駆けていってしまう。後ろから眺めるとその耳が真っ赤になっている事がよく分かった。
「.....まあまあ....」
どうしたものかしら....とエルダは白い封筒を眺める。
とりあえず今日の夜...皆が寝静まった頃にでも読もうかしら...とそれをカーディガンのポケットにしまった。
その時冷たい風がびゅうとエルダの横を通り抜けていった。
黒々とした森はその風を受けて、小さい葉が互いに囁き合う様に揺れる。
この寒い冬はまだまだ続きそうだ。
しかしエルダは空気がきりりと冷えたこの季節は嫌いでは無かった。
小さく鼻歌を唄いながら彼女は女子寮への道を辿る.....
―――――
そんな二人のやり取りを影から眺めていた人物が一人。
(....って、何で私が隠れなくちゃいけねえんだ)
甘酸っぱい雰囲気を醸していた二人がようやく退散したので、ユミルは小さく溜め息を吐いて物陰から出た。
しかし何故か無性にイライラするので、古びた物置の壁に重たい蹴りを一発入れる。それは倒れてしまうのではないかという位激しく揺れた。
「....くそっ」
何故ここまで苛立つのか。
高々あのクソ女が愛の告白を受けていただけだ。誰と付き合おうと自由だし、知ったこっちゃない。
むしろ身の丈と度胸の大きさが反比例しているどこかの誰かと好き合う仲になるよりはずっと良いかも知れない。
.....だが、気に入らない。理由はよく分からないが....
(まあ..だが...、)
正直に言うとエルダがあのなよっとした男と付き合う様になるとは少々想像しにくい。
恐らくあの調子だとのらりくらりと交わされて終わりそうだし...仮に意外にもがつがつ来るタイプだったとしても、エルダはそういう男が一番苦手だ。どちらにしても彼の恋は実らないだろう....
そう思うと心がすっと楽になる様な気持ちがした。
そうだ....まさかあのエルダがねえ....。
というか...もし奴が誰かと付き合う様になった場合...黙っちゃいない金髪二人、泣いて暴れそうな芋女が一人、自殺しそうなノッポさんが一人...まあ、大惨事は免れないだろう。
エルダが特定の誰かと付き合うのは非常に難しい話である。増して本人がその気が無いのなら尚更だ。
自然と口角が上がり、良い気分になってきた。
ユミルは足取りも軽く、先程エルダが消えていった女子寮へと足を向ける。
そうだ...。エルダは誰とも付き合ったり好き合ったりする必要は無いんだ。
今まで通り、私と...私たちと、みんなで一緒に過ごせれば...それで、良いんだ...
*
その夜、皆が眠りに落ちたのを気配で確認すると、エルダはそっと白い封筒を開けた。
夜目が効かない彼女はベッドの中に居ては読む事ができなかったので、窓の傍まで近寄って月明かりでそれを読む。
勿論その様子は毛布の中からユミルに見られていた。
(.........。)
文字を辿っていく内にエルダの表情が憂いを帯びていくのが分かる。
.....何だよ。何切なそうな顔してんだよ....クソ女の癖して色気づきやがって....
エルダの手紙を持つ手にきゅっと力が入る。そしてひとつ溜め息を吐くとそれを封筒にしまった。
急にユミルの胸の内に不安が頭をもたげる。想像していた反応と全く違うからだ。
こんな...恋する少女の様な素振りを見せるなんて...おい!話と違うじゃねえか!!
そもそも話などしていない。
エルダは何とも言えない儚さをまとったまま自身のベッドへと戻ってくる。
咄嗟にユミルは寝たふりをしようとわざとらしい鼾をかくが、エルダにはそれが全く聞こえていない様である。
ユミルとエルダ、隣り合う二人はそれぞれ胸の内に異なった希有を抱きつつ、眠りの淵へゆっくりと落ちていった。
*
「ユユユユユミル!!!」
「ユが多いぞ」
翌日の朝、食堂まで行くと血相を変えたクリスタとサシャが胸に飛び込んで来た。
サシャを蹴飛ばしながらクリスタをしっかり抱き止め、「どうした、クリスタ。朝から積極的だなあ」と機嫌良く返す。
だがそれに反してクリスタの顔は蒼白だった。何かと思って彼女が震える指で差す方向に視線を向ける。
「だっ....!」
同時にユミルの顔面も蒼白となった。
「ど、どういう事だよこのクソ野郎!!」
近くに転がっていたサシャの胸ぐらを掴んで詰め寄る。とんだとばっちりである。
「し、知りませんよお!...なんか朝からエルダの姿が見えないなあ..って思ったら...ずっと一緒にいるんですよあの二人!!どういう事だよクソ野郎はこっちの台詞で「誰がクソ野郎だって !?ああん!!??」
「ごっごめんなさい....」
サシャはひたすら不憫だった。
......そう。窓際の席には仲良く隣り合って朝食を摂るエルダと例の男の姿が。昨日まで名前しか知らなかったとは思えない仲の良さである。
それは朝日の中でキラキラとした世界を築いていた。
「みんなしねばいいのに....」
隣からぼそりと呟かれた恐ろしい程念の籠った言葉にライナーの肩がびくりと震えた。
「...あー、気持ちは分かるが...関係の無い皆様を巻き込むのは止めろ」
死んだ魚の様な目をしてひたすらパンを千切り続けるベルトルトをライナーが宥める。
「....おうち帰りたいよライナー...ぼくここもうやだ....」
「わがまま言わないの」
そのままベルトルトはテーブルにごつんと頭を乗せて死んだ様に動かなくなった。
.....今日の訓練は休みだな、こりゃ。
「みんなしねばいいのに....」
今度は背後から....またしても不穏な呟きが聞こえる。
勿論ライナーにはその声が誰から発せられたのか分かっていた。
「....アニ。そういう物騒な事を女が言うもんじゃない。」
振り返りながら彼女を落ち着かせようと言葉をかける。アニの瞳孔は開き切っていた。
「じゃああんたがしねば...?」
「八つ当たりMAX!!」
「....そうか。私があいつを...そうか。」
「こわっ落ち着かんかい。
....第一エルダの心があれに向いてるのなら、相手を消せば済むという簡単な話でも無いんじゃないのか?」
「もうやだ...おうちかえりたい....」
「俺だって帰りたいわ!!」
ライナーは溜め息をひとつ吐き、....エルダにはどうあってもこいつ...若しくはベルトルトと付き合ってもらわないと色々困るな...と考えるのだった。
だが...もしも、窓際の二人がそういう仲となってしまっているのなら...中々事を容易に運ぶのは難しそうだ...。
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