同郷トリオと一緒 06 [ 53/167 ]
午前二時を回った頃、ベルトルトはやや眠気を覚えて来た。
(コーヒーでも淹れるか....)
気休め程度にしかならないだろうが、今眠る訳にはいかないのだ。
ふらふらと立ち上がって台所がある共有スペースへと向かう。
部屋から出る時にちらとベッドの上のエルダに視線を向けるが、本に没頭している所為で自分がいなくなった事にも気付いていない様だ。....うーん、その集中力が羨ましい。
自室の扉を静かに閉めて....以前扉の開け閉めの音が五月蝿いとアニにイチャもんを付けられた事があるので...軋む廊下を歩く。
(........ん?)
しかし、少しの間廊下を歩いていると、明らかに何者かが背後をつけてきている気配を感じた。
....まあ、何者かが...というか...大体正体は分かっているのだが...。
「.....どうしたの?」
背後の小さな物体に首を回して声をかける。
「えっ....えっと....その、私もお兄さんが行く方向に...用事があるとゆうか...」
「そう....?まあ、いいけど....」
何やらもじもじと言葉を発するエルダだったが、ベルトルトがあまり気にした様子なくまた歩き始めるとほっと表情を和らげる。
(.....あ、そうだ。)
コーヒーを淹れる前にこっちを先に済まそう...。とベルトルトは進行方向を修正した。
それでもなおエルダはついてくる。.....?何の用事があるんだ?だってこの先には.....
「......エルダ。ここに、用事....?」
自分が今まさに入ろうとしている場所の前でエルダに尋ねた。
彼女はずっと俯いて歩いていたらしく、首を傾げて顔を上げる。
そして複雑な表情をしたベルトルトと今自分がいる場所を確認すると、そこに一気に朱が差し込んだ。
「さっさっ、流石にっ....ここには...よ、用事は...ありませんっ....!!」
それだけ言うとエルダは廊下の向こうに走り去る。しかし相当慌てていたらしく、盛大にずっこけた。
「だ、大丈夫?」
「大丈夫ですっ!おかまいなく!」
声だけ残してエルダは曲がり角の向こうに消える。ベルトルトは首を傾げてその様子を見送った。
――――
少しして男性用の手水場から出てくると、すぐ傍の壁際で膝を抱えているエルダが目に入った。
まだ頬が赤い所から、先程の自らの行動を相当恥じている様だが、ベルトルトの姿を確認すると少し表情を和らげる。
そして再び彼の後ろについて歩き出した。
(...........。)
後ろを振り向くと、少し不安げに...しかし微かに笑う彼女と目が合う。
無言で手を差し伸べてやると、嬉しそうにそれに自分の掌を重ねて握り返して来た。
....手が小さい。自分との身長差も凄いから....ほんの少し屈まないと手が繋げないなあ....
でも僕は....13年後の君とは、手を繋ぐ事すらままならないから...ましてや自分からなんてとんでもない話だ...だから今、この時間を大切にしよう。
.....エルダはずっとこのままなのかな....それとも戻るのかなあ....どっちでも良いか。
どんな君でも、傍に居られればそれだけで僕は幸せだ...。
―――――
「コーヒー!大人ですね!...あっ大人ですよね!!」
インスタントコーヒーを入れたマグに沸かしたお湯を注いでいるとエルダがきらきらした瞳でそれを見つめた。
「.....そうかなあ。20才は全然大人じゃないよ....」
「そんな事ないですよ!しかも大きいお兄さんは背だって大人じゃないですか!」
「いや僕、15の時にはもう190cm以上あったし...」
「....ほー。私も早くその位に大きくなりたいです...」
カウンターに指を引っ掛けて湯気が上がるマグを興味深げに眺めながらエルダが言う。
「流石に僕並みに大きいエルダは嫌だな....」
「そうですか?でもお兄さんと同じ目の高さになって色んな物を見てみたいです。きっと遠くまで見渡せるんでしょうねえ。」
エルダの為に牛乳を温めていたベルトルトはオレンジの光が灯る電子レンジから少女に視線を落とす。
頭をぽんぽんと軽く撫でてやると、「どうしました?」と笑ってこちらを見上げてきた。
「.....んー、僕と同じ目の高さなら、すぐになれるよ?」
細くさらりとした髪の毛に梳く様に触れながら、穏やかにそう返す。
どういう事だろう、と首を傾げたエルダに目線を合わせる様に軽く屈むと、おもむろにその小さな体をひょいと抱き上げた。
「......わ!!」
突然の事に驚いたらしいエルダはベルトルトの首に腕を回して精一杯しがみつく。
「......軽い。凄いね、中身ちゃんと入ってる?」
「は、入ってますよ!みっちりきっつきつに入ってますう!!」
エルダはあまり人に抱き上げられる事に慣れていないのか軽いパニックに陥っている。
「エルダ、ほら。」
ベルトルトが彼女を落ち着かせる様に優しく話しかけた。
それに応えてエルダが恐る恐る顔を上げる。
「......わあ。」
台所にある小さな窓から見える景色に、エルダの口から小さく感嘆の声が漏れた。
「.....この窓、私の背では届かないので....。ここから外を見るのは初めてです.....」
小さなはめ殺しの窓の外、すぐ傍には少々どぶ臭く、濁った苔色の河が横切っている。
それを隔てた対岸には大きなビルがいくつか聳え立っていて、窓には明るい光が映っていた。
車が方向をかえるたびに、そういう建物が真っ黒い空にぐるぐると廻転するように見えている。
「あのビルに邪魔されて台所の日当りが悪いってアニは文句を言ってたけど...僕は結構この景色が好きだな...」
少しだけ小さい彼女を抱き締める力を強めながらベルトルトは言った。
「....何だか分かります。
私たちだけでなくこんなにも沢山の人が起きて...確かにそこにいるんだって思うと、夜でも寂しく感じませんね。」
エルダもまた彼に遠慮がちに体を預けてくる。仄かに香った匂いから、シャンプーの種類を変えた事が分かった。
「これで夜も怖くない?」
「はい....。ちょっと、平気になりました。」
「よし子さんももう怖くない?」
「折角忘れてたのに思い出させないで下さいよお!」
自分の首にぎゅうぎゅうしがみついてくる女の子が可愛くて仕方が無く、つい笑ってしまった。
「笑わないで下さいよ!私本当に怖いんですからね!」
そして彼女の為なら悪霊でもなんでもやっつけてやろうと思えた。
「いや....君はさ、僕の前ではいつも余裕で大人っぽくて....とても手に届く人じゃないって思ってたから、こういう人並みな子供時代があったのかと思うと何だか嬉しくて...」
そう言いながら自分からも強く力をこめてエルダを抱き返す。小さくて華奢で、すぐにでも折れてしまいそうだ。
「エルダ。これから夜に...怖くなったら他の二人が起きていても僕の所においで。」
背中を擦りながら穏やかに言う。こんなに可愛いこの子は僕だけが知っていれば良い。
「....でも、私...きっと邪魔になりますよ...。」
「そうかもね。」
またしても少し意地悪をしてしまった。
「う....はい。」
「....構わないよ。僕たちは、僕は....君が好きなんだ。だから一番に頼って欲しいし、出来る事は何でもしてあげたい。」
そこでぱちりと二人の目が合う。思った以上に距離の近さ...初めて同じ高さで交わった視線の中に、確かにあの、彼女の姿があった。
(.......あ。)
そこで初めて自覚する。
僕は....今、....エルダに、...好き....って....
途端に凄まじい勢いで顔に熱が集中するのが分かる。もう視線を合わせてられなかった。
目を伏せて、とっくの昔に加熱を終えていた電子レンジ辺りを意味も無く見つめる。
「.....お兄さん」
耳元で小さな声が響いた。彼女が僕の耳に口を寄せている。柔らかな吐息を感じた。
「私も好きですよ....。大好きです。」
.....この好きは違う。まだこの子は本当の意味を知らずにいる。
もう.....どうしたらいいのか分からなかった。
でも、今は....かつて出来なかった事をしよう。手を繋いで...腕に抱いて...好きだと言って...それで、
「ありがとう、エルダ...。」
白く柔らかな頬に口付ける。少しくすぐったそうにしつつもエルダはとても嬉しそうにそれを受け入れてくれた。
――――
「.....今日、お兄さんの部屋で寝て良いですか?」
少し温くなった牛乳が入ったマグを持ったエルダがこれもまた冷め切ったコーヒーを持つベルトルトを見上げながら尋ねる。
「うん、いいよ。......どうせ僕寝れないし。ベッドも使い放題だよ。」
「そうですかあ...。で、でもちょっと寝た方が良いですよ。ちょっとだけでも...」
「.....一緒に寝たいの?」
期待を持って彼女を見下ろす。途端に屈託の無い笑顔が恥ずかしそうに伏せられた。
「はい.....。」
そして小さな声が返ってくる。
「もう、空が明るくなった頃にちょっと寝るから...それで、良い?」
自然と頬が緩んでしまう。....やっぱり、好きだなあ。どうしようもなく。
「....はい!ベッドの中でお待ちしてますよ!」
「なんか色々誤解を生みそうな発言だね....」
温い牛乳を飲み干したエルダはようやく眠くなって来たらしく、気付くとベッドの上で猫の様に丸くなっていた。
それに風邪を引かない様に布団をかけてやると、気持ち良さそうに寝返りを打つ。
髪を梳く様に撫で、白い頬に触れた。最後に、もう一度同じ場所に口付ける。
......これが、大きくなった君にも届く様に....そう、願って。
[
*prev] [
next#]
top