光の道 | ナノ
ミケの誕生日 01 [ 154/167 ]

『アニの誕生日』直後から、市街地でのアニ捕縛までの期間の話です。
実際アニの誕生月とミケの誕生月は大分離れているのですが。は、離れているのですが………時間の辻褄がまったく合わずに、すみません………)




「ごめんねー。今日もアニ忙しいみたい」


ヒッチは腰の辺りに手を当てながら、椅子に腰掛けていたエルダを見下ろすようにする。

………姿勢正しく腰掛けていた彼女は、ヒッチの言葉に少々落胆したように肩を落とした。


「用事があるなら言付かるけれど?」


ヒッチにしては気の効いた発言である。だがエルダはちょっとだけ目を伏せながら「大丈夫よ」と呟いた。


「へえ……。じゃあなんの用事か教えてくれるだけで良いよ。」

「結局貴方それが知りたいだけじゃないの。」

「良いじゃない。なに、痴話喧嘩?」

「さあどうかしらー?」


エルダは顔を覗き込むようにして近付いてきたヒッチの頬を軽く指先でつついて微笑んだ。

(はぐらかされてる……)とヒッチは少々面白くない気持ちになる。


「べつにね……。ちょっと顔を見に来てるだけなのよ。毎回タイミングが合わなくて残念……」

「ふうん、ほんとにそれだけ。」

「ほんとにそれだけよ……。」


それだけなんだけどね、とエルダは繰り返して小さく呟いた。

それは小さ過ぎた故、ヒッチの耳には届かなかったが。


「あとはね、ヒッチに会いに来てるのよ。」

「…………。またそういうこと言う。」

「あらどういうことかしら。」


エルダの周りを取り巻いていた少しの哀しさは、もう影を潜めていた。


(本当に自分を隠すのが得意)


………それが、ヒッチから見たエルダの印象だった。

穏やかな物腰、優しげな雰囲気ながら何を考えているのか分からない。ひどく不気味である。


(アニはこの女に騙されてるんじゃないの)


時々、そんなことを思った。

……しかしそれは思い過ごしで、エルダという女は本当に心から温良な人物であるのかもしれない。

今のヒッチにはその判別がつかなかった。


(でも)


ヒッチはエルダの顔を覗き込む姿勢を保ちながら考える。

彼女はどうしたの?というように少し首を傾げてみせた。


(もしも今のあんたの姿が猫被りなんだとしたら、ほんとうまくやってる)


別にーと気の無い返事をしながら、ヒッチは笑みを濃くする。エルダも合わせるようににっこりと笑った。


(化けの皮が剥がせるんなら、その本性を見てみたいもんだね。)


興味深いわあ、というヒッチの意地悪そうな呟きに対してエルダは薄く笑い続ける。

しばらく二人は非常に距離が近い、そのままの状態で互いの瞳の奥を覗き合っていた。


「じゃあ……アニの代わりに、私が遊んであげようか。」

そっとヒッチが囁く。エルダの掌をやわやわと触ってから握れば、彼女はこそばゆそうな、そして少しだけ困ったような表情をした。


「その提案はとっても魅力的だけれど、そろそろ戻らないといけないの。」


また今度ね。そう言って、エルダはゆっくりと椅子から立ち上がる。二人の重なり合っていた手もそれと共に、自然と離れた。


「………冗談に決まってるでしょ。馬鹿?」

「まあヒッチったら私を弄んで。いけない女性ね。」


二人は軽口を交わし合っては、ちょっとおかしそうにする。

そうしてエルダは短い別れを告げた後、憲兵団の公舎から去っていった。



「…………。なによ。」


暫時して、斜め後ろからひしひしと伝わる鋭い視線に対してヒッチは不満げな声で応える。


「べつに」


気の無い反応をしながら、アニはヒッチの傍まで歩を進め、先程までエルダが腰掛けていた椅子に座った。


「べつにってことないでしょ。いつもの五割増しも怖い顔しちゃってー。」

ヒッチはいつものからかうような口調を返すが、想像以上にアニが不機嫌そうなので口を噤む。そうしてちょっと肩を竦めてみせた。


「………………。」

「………………。」


少しの沈黙。それもかなりの重たさを持った。そうしてようやくアニが口を開いた。


「………近過ぎじゃない。」

「なにが」

「…………距離。」

(………………やっぱべつにってことないんじゃん)


ヒッチは呆れの気持ちから大きな大きな溜め息を吐いた。

どっかりとアニの隣の椅子に腰掛けると、「で。これで良かったの」と明らかにげんなりした口調で尋ねる。


「……………。」

アニは何も答えなかった。

ただ椅子の肘掛けに頬杖をつき、遠くを眺めるに留まる。


「………一回くらい、顔見せてあげれば良いのに?前会ったときからなにを拗ねてるんだか。」


ヒッチの言葉は当然の如く無視された。

アニはひとつ淡い溜め息を吐いては、相変わらず押し黙っていた。







調査兵団の公舎でも、とある見目麗しい人物が溜め息を吐いていた。


「あら溜め息。」


ちょうど書類を提出しにナナバの元に訪れていたエルダが、おかしそうに笑いながらそれに応える。


「幸せが逃げますよ。」

「それは困るな……吸い戻さないと」

「大丈夫です、迷信ですよ。」

「ああ良かった」


二人はひとしきり笑い合い、室内には和やかな雰囲気が流れた。


「………なにか、悩み事でも。」


出過ぎたことだったらすみません、と付け加えながらエルダはナナバに尋ねた。

ナナバは机に頬杖をついたままで「別にどうということでもないんだけどさあ……」と零す。


「………………。聞いてくれる?」

「はい、聞きますよ?」


ナナバは頬杖を解いて今度は机に頭を預ける。薄い色彩の髪が木の机に押し付けられて広がった。

視線だけはエルダを捕えて眺めてくる。にっこりとエルダはそれに微笑み返した。


「ミケが…今日誕生日でさあ。」


ナナバの気怠そうな物言いに、エルダはうんうんと首を縦に振った。


「………一言でも良いから、祝ってあげたくて。」

そう言いながら、ナナバは机の脇に置かれた小さな箱を視線で示す。

深い緑色の細いリボンが巻かれた、シンプルな造りだった。

……ナナバらしい、清潔感あるプレゼントの佇まいに、思わずエルダは笑みを零した。


「あらあら、それは素敵ですね」

「……でもねえ。こーんなに探してるのに、あいつぜんっぜん見つからなくて。」

まあ…忙しいんだろうね。とナナバはもう一度溜め息を吐く。

すっかりと項垂れモードになってしまったナナバを、エルダは心配そうに見下ろす。


「約束とかはしてないんですか?」

そして尋ねた。

元よりお節介焼きである彼女の胸の内には、どうにかしてナナバとミケの二人を出会わせてやりたいという気持ちが舞い降りてくる。


「してないよ」

ナナバは気の無い雰囲気で答えた。


「すれば良かったのに……」

「別にそんな大仰なことじゃないよ。ちょっとこれ渡すだけだし……」

「でもお誕生日ですよ。」

「もう誕生日が楽しみと言える年でも無いしね」

「そういうものですか。」

「そっ。もう私もミケも良い大人なの。君みたいな甘く瑞々しい、青い春を謳歌している若者とは違うのよ。」

自分で言っておいて、ナナバは『良い大人』という単語をなんだか身にしみて感じた。

しめっぽい気持ちになって、本日何度目になるか分からない溜め息を吐く。


(そうか、良い大人なのか。)


胸の中で繰り返して呟けば、切なさは殊更だった。


「だから……別に。今日祝ってやらなくても、プレゼントも後日渡せば良い訳だし……」

そうして、独り言のように呟く。

なんだか、とても下らない瑣末なことを部下の…それも極々新入りに相談してしまったことが恥ずかしくなってきた。


「………そうでしょうかねえ。」


しかし、エルダはいつの間にやら淹れた紅茶をナナバに給しながら呟く。ナナバが彼女の方に視線をやると、エルダはそっと目を細めて笑った。


「別にってことないと思いますよ。ナナバさんが素敵な大人だってことは充分承知していますが、少しぐらい子どもな部分があった方が魅力的な人間だと…」


私は思うんですけれど…?とエルダは殊更穏やかに笑う。ナナバはどう応えたら良いか分からず、……そう?とだけ相槌を打った。


「ねえナナバさん。今日のお仕事、もうすぐ終りますよね。」

何も返さないナナバに構わず、エルダは話を続ける。


「うん………。」

またも、ナナバはとりあえずな返事をする。


「それじゃあミケさんのこと、もう一回探してみたらどうでしょうか。
公舎の中じゃなくて、もしかしたら外にいるのかもしれませんし………」

「いや……でも。そんな大袈裟なことじゃないし……。」

「別に大袈裟じゃないですよ。好きな人にお誕生日おめでとうって言いにいくのは全然普通です。
それとも照れちゃってるんですか?」

「別に照れてるわけじゃない……」

「あら、それはごめんなさい。」


エルダはうふふ、と上品に笑ってみせた。

ナナバはなんだか渋い気持ちでエルダが淹れてくれた紅茶を飲む。

いつもと茶葉が違う。花の匂いが微かに香る紅茶だった。


「………………。それじゃあ、エルダ。」


少しの沈黙の後、ナナバは口を開いた。エルダは相変わらず柔らかに笑いながら、はい、と応えた。


「一緒に、探してくれる?」


ナナバは白いカップの中で揺れる紅茶を見下ろしながら呟く。

そうして今一度、エルダの方へ視線を戻した。


「エルダが言い出したことでしょ。最後まで責任持って、一緒にいてよ。」


エルダはナナバの言葉にちょっと驚いたような表情をする。

それからなにが嬉しかったのか、とびきりの笑顔で「はい、勿論」と応えてみせた。


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