同郷トリオと一緒 04 [ 51/167 ]
家に帰ってくると、小さな物体が「おかえりなさい」と笑顔で抱きついて来た。
「..........。」
それを無言で見下ろした後、溜め息を吐いて目線を合わす様にしゃがむ。
「こら、今が何時だと思っているんだ」
子供は寝るんだ、と頭をぐしゃりと掻き回すと何が楽しいのかきゃー、と小さく言って笑った。
今は日付を小半時程過ぎた時刻だ。とても8才児が起きている時間帯では無い。
例えそれが元・泣く子も黙る年寄り臭さを有した女であってもだ。
ご機嫌なエルダを見てもう一度溜め息を吐き、自室へと足を向ける。
「.............。」
......何かが、ついてくる。
勿論その正体は分かり切っていた。こんなに軽やかな足音が出せる人間はこの家に一人しかいない。
「.............。エルダ。どうした。」
振り返って声をかけると相変わらずにこりと笑ってこちらを見上げた。
「お気になさらず」「いや無理だろ」
「では....気の所為です。」「中々苦しい言い訳だな」
「これはお兄さんの幻覚です」「何言ってるんだお前」
.........無理矢理エルダの部屋...、若しくはよく一緒に寝ているアニの部屋に押し込む事はできるが....アニの部屋に無断で入ると問答無用で項を削がれそうだし、こいつの部屋は散乱する本に足を取られて必ず転ぶので入りたく無い。
非常に意外な事にエルダの部屋は割と散らかっている。
いや、そこに溢れ出さんばかりに収められた本の数があまりに膨大過ぎる所為か。最早人が住んでるのか本が住んでるのか分からん。
とにかく.....この、穏やかで何事にも寛容なエルダが唯一妄執とも言える偏愛を注いでいるのが書籍なのだ。
どうやら本を読んでいないと精神が安定しないらしく、一度集中するとベルトルトがいくら構って欲しいばかりにちょっかいをしかけても全く反応を示さない。
しょんぼりと彼女の傍から離れるベルトルトに \ざまあ/と声をかける事がアニの愉しみのひとつである。
何ともギスギスした関係が築かれている四人暮らしだが、まあ何とか上手くやっているのも一重に俺のお陰だろう。うん。誰か労ってくれても良いと思う。
だが....エルダはその異常な書籍への執着により、常に金欠だ。
大体凶器になりそうなレンガ並みの厚さの本を一日で読み終えるのだから図書室で借りれば良いものを。
そう言うと手元に置いていつでも読める様にしたいと言う。片付けられない女め。
うちの大学にこれもまた掃除に異常な執着を見せる助教授がいるが彼に片付けを頼みたいものだ。
......いや、彼とエルダの戦いが火蓋を切って落とされると何が起こるか分からないからやめておこう。
あのエルダが本気で怒る日は恐らく人類滅亡の日だ。
彼女への考察を切り上げて縮んでしまったそれを見る。相変わらず邪気の無い笑顔を浮かべて俺についてくる。
.......まあ、放っておけば気が済むだろう。
そう思って構わず自室に入って行く........何故お前も入る。
「........エルダ。ここは俺の部屋だ。」
「知ってますよ。流石にこのお家の間取りはもう覚えました。」
「いや......うん。それは偉いな。」
「ありがとうございます!」
「その上で聞く。ここは誰の部屋だ?」
「お兄さんの部屋ですよね。さっき自分で答え言ってたじゃないですか。」
「ああ.....。うん。そうだったナア。」
「もっと問題出して下さい。何でも答えられますよ?」
「うん.....お前は何故ここにいる?」
「人は誰かを守るためにいるわけでもなければ 争いをするためにいるわけでもない。
人は宇宙誕生の謎、果てはさらにその前の全ての起源を解明するために存在している。
そして世の中で起こっている出来事は すべておまけだ。 しかしその行為どれもが宇宙誕生の解明へ繋がっている。
そしてこれからまた何億年・何百億年という経過とともに、 この世の始まり・起源の謎へと人が近づいていくことを願う。」
「!?」
臓腑から沁み出す様な息を吐いてから彼女の頭をぺちりと叩き、自分の額に手を当てる。
恐らく....大エルダの蔵書から何かいらんものを読んだのだろう。
「別に良いと言えば良いんだが....。
ただなあ、お前今でこそ8才児だが元は俺と年は変わらないし....この時刻に部屋に来られるとまずい様な....。」
「..........?」
「ああ、何でも無い。......まあ何だ。お前も自分が女である事を自覚しても良い年頃だろう....と言う訳だ。」
「自分では女だと思っているのですが....。」
「うむ。流石にそれは分かっていたか。あのエルダの少女時代だからその自覚すら無いものだと。」
「.......?意味はよく分かりませんが私の体の何処かがこいつを本の角で殴り倒せと「ごめんなさいごめんなさいどうかお静まり下さいエルダ様」
机の上にあったアルフォートを差し出しながら謝り拝む。....油断ならん。大エルダは確かに小エルダの中にいる様だ。
「あー....。とりあえず、俺は着替えるから....」
「はい。」
「......いや、だから着替えるから。」
「はい。」
「だから、着替えるんだって。」
「はい。」
「着替えるという意味は分かるか?」
「[動ア下一][文]きか・ふ[ハ下二]《「きがえる」とも》着ていた衣服を脱いで他のものを着る。」
「しまった質問が悪かった」
このまま摘まみ上げて放り出す事もできるが...なんというか可哀想である。
自分から出て行ってもらうのが一番良いんだが...。
「ああ.....!」
エルダがぽん、と手を打ち鳴らす。それからにこりと笑ってこちらを見上げた。
「お手伝いが必要「違うそうじゃない。」
もう一度頭をはたく。またもや楽しそうに笑う。こりゃ駄目だ。
「......はあ。じゃあ....俺の本棚から何か好きなもん読んでろ。その間に着替えるから。」
恐らくエルダなら一度本を読み始めれば周りは目に入らなくなるから良いだろう。
....こんな所アニに見られたら....ああ、シンプルに死ぬな。シンプルオブダイ。
エルダはその言葉に嬉しそうに顔を綻ばせて本棚へと向かった。
俺が持っている書籍は大エルダとは違って参考書と流行の作家の本が少し...後は漫画、雑誌くらいだ。
小エルダが満足してくれるかどうかは少し不安だがちょおおい。
「こおらこらこららこ。そこは本棚では無い。断じて本など無い。」
「いいえ!ここから濃厚な多くの書籍...紙の匂いがします!「なにこの子警察犬!?こわい!!」
「何だお兄さん、私の部屋に前住んでいた人と同じ位の書痴で「流石にあそこまで沢山持ってないわい!!」
.........瞳をきらきら輝かせたエルダを抱えて本棚の前に戻してがっくりと地面に手を付く。
つ、疲れた.......。
エルダはやや不満げにしながらも元の本棚を見上げて書籍を物色し始める。
ようやく自分の世界に入り始めた様で何かを小さく呟きながら指で背表紙をなぞっている。
.....また厄介事が起こる前にさっさと着替えてしまおう。
「............。」
本当に静かになった。もう何冊か本を選び終えたらしい。椅子やベッドにも腰掛けず、本棚の前にぺたりと座って本を読んでいる。
......あ、そうだ。
「エルダ。」
反応無し。
「明日の朝食は何か食いたいもんあるか?」
反応無し。
「俺が当番だから簡単なら好きなもん作ってやるぞ。」
反応無し。
「......おい。」
反応無し。
「独り言みたいで寂しいから何か言えよ。」
反応無し。
「おい。」
そう言って肩を叩くとようやく顔を上げてこちらを見上げた。
「.....俺の話、聞いてたか?」
「えっと.....それは...とても面白いです。抱腹絶倒でした。」
「そうか。お前の笑いの沸点の低さ凄えな。」
「ごめんなさい!違いますね、えーと、もしかしてお兄さんのお宝蔵書を見せてくれるという...」「まだ諦めてないんか!!あとそのネーミングやめろ!!的を得ているのがすごく嫌だ!!」
「そうですねえ....。....あれ?お兄さん、さっきと服が違いますね。」「だから着替えるって言ってんだろおおおおおが」
「.....ではヒントを下さい。」「結局聞いてなかったんじゃねえか!!」
呼吸をひとつ整える。相手は8才児だ。ムキになっちゃいかん。
大人の落ち着いた男性としてクールかつ紳士かつセンシティビティ(意味はよく分からん)に接しなければ。
「あー、明日の朝にする事だ。」
「そうですねえ。起きます。」
「...うん。そりゃ起きるな。」
「違いますか。歯を磨いて本読んで顔を洗って本読んで着替えて....」
「色々突っ込みどころがあるが疲れるので無視する。で、そのまま行くと何をする?」
「さんぽ」
「お前の老人世界の話は良い。我々若者世界に話を合わせてくれ。」
「どくしょ」
「さっきもやったでしょ。」
「えっと....皆で集まって、」
「よし、いい感じだ。」
「.....挨拶?」
「うん....。まあ。ちゃんとするのは良い事だな....。」
「えーっと、皆さんが学校に出掛けられる....。」
「朝飯抜きっすか。」
「私も偶にはついて行って良いですか?」
「....なんかただならぬ誤解を生みそうなのでやめてくれ。」
「大丈夫ですよ!皆さんの子供という事にすれば良いんです!」
「いやだからそれが一番やばいんだって」
「そうだ、そういえば朝ご飯を忘れてましたね!」
「もういい泥でも食ってろ」
「何故!?」
そこでもう一度溜め息を吐いて頭を掻き回す。
「あー、明日の朝飯何を食いたいか聞いてたんだ。」
しばらく俺達は見つめ合うが、やがてエルダはふにゃりと表情を崩した。
「お兄さんが作るものはなんでも好きですよ。すごく美味しいです。」
........。
おもむろに頬を引っ張った。.....何と言うか....呆れたというか....。いや、少し照れてしまったのかもしれない。
「....ほら、そろそろ部屋帰って寝ろ。明日起きられなくなっちまうぞ。」
ぽんぽんと軽く頭を叩く。細くさらりとした髪質だ。
「そうですねえ...。夜遅くにすみませんでした。」
「お前って常識無い様である様で無いよな。」
「.........。ありがとうございます!」
「褒めてないまったく褒めてない」
エルダはベッドに腰掛けていた俺の隣によじ上ってくると、「また遊んで下さいね」と言ってから首に腕を回してぎゅっと抱きついて来た。
何とも言えないいじらしさを感じて軽くそれを抱き返してやると、彼女もまた嬉しそうに腕の力を強くする。
「おやすみなさい」
耳元でそう囁くと、エルダはするりと俺の腕の中から抜け出して地面に着地した。
もう一回俺の方を振り向くと、「今度は本の見せっこしましょうね」と素晴らしく爽やかな笑顔で言って駆けて行く。
「............。」
しばらくしてから俺は頭を抱えた。
........もう、電子書籍にした方が良いのだろうか......。
ああ、でも.....あれが遊びに来やすい様に、いくつか本は買っておいてやろうと思った。
何が良いのだろう。.....辞書とか変な哲学書を読まれるよりは子供らしい童話とかファンタジーとかが良いかな....とパソコンを立ち上げて調べているうちに、空は徐々に白い光を帯びて来た。
*
「おはようエルダ.....」
ベルトルトが半目を通り越して最早目を瞑っている状態でふらふらとエルダに近寄って行く。心眼か?
「おはようございます大きいお兄さん。髪が凄いですねえ。ミキサーの中にでも入りましたか?」
「うーんミキサーの中に入ったら流石に死んじゃうよー」
「まずお前が入れるサイズのミキサーが無いだろ」
「ライナーが入れるサイズだって無い」
「というか人が入れるサイズのミキサーって怖過ぎない?」
「そういえばこの前僕が見たスプラッタ映画でさあ....」
「やめろ颯爽と風が吹通りやわらかい羽毛を散らしたような雲が一杯に棚引き光はほのぼのと白みかかって空へ空へと晴て行く爽やかな朝の空気を汚すな」
ベルトルトは欠伸をしながら背の低いエルダにのしかかる様に首に腕を回す。そのままエルダは潰れた。流石に重量オーバーだったらしい。
「おはようそして死ね!!」「何の前触れも無く肉を抉る様なキックが!!!」
アニはベルトルトへの飛び蹴りそして地面に着地と一連の動作を華麗にこなして立ち上がった。朝から絶好調である。
エルダは嬉しそうに彼女に抱きついて朝の挨拶をした。
「ああ、ライナー帰ってたんだ。てっきり泊まりかと。」
アニが両手でエルダの頬を包み込みながらこちらを見た。
「思ったより早く終わってな。日付を越える頃には帰って来れた」
「ふうん。そっちの研究室は大変そうだね。」
「お前ももう少し協調性を持って参加した方が良いぞ」
「え、なんだって?」
「お前ももう少し協調性を持って参加した方が良いぞ」
「え、なんだって?」
「都合が悪い事になると難聴になる病治しなさい。」
アニは相変わらずエルダの頬を指先でつつきながら「はいはい」と言って机の前に座る。
「あ、そういえばさあ....」
ベルトルトが寝癖を爆発させた頭のままアニの向かいに座った。
「昨日の夜さ、隣のエルダの部屋から全く物音がしない時間帯があったんだよね....。」
眠そうな声でそう言ってから欠伸をひとつする。
........なんか、非常に面倒臭い事になりそうな予感がする。
「夜だから物音がしないのは当たり前なんじゃないの?普通寝てるし。」
アニがこいつまだ寝惚けてんのか、と言った感じで適当に返した。
「いや、僕はいつもエルダの寝返りの数と紡がれた吐息の数を数えて寝てるから「キモ過ぎて言葉も出ない!!!」「出てんじゃん」
「.....まあ、このうんこ以下の言う事は置いておいて「以下っすか」
「どこか出掛けていたの?」
アニがやや心配そうに隣のエルダに声をかける。
「いえ、家の中にはいましたよ?」
エルダがにこやかに答えた。
「あー....エルダは昨晩俺の部屋に遊びに来てたんだ。」
....大事になる前に自分から言っておこう。
「.....?嘘だ、いたいけな幼女がライナーの部屋なんて行くわけないじゃないか。夢じゃないの」「幼女いうな。本当だって」
ベルトルトが机に突っ伏したまま言葉を発する。せめて顔を上げろ。
「じゃあ幻覚だね。人恋しさのあまりライナーが作り出した「お前と一緒にすんな」
「ああ、これだから彼女もいない童貞の男はキモいね「凄まじいブーメランって事気付いてないのか?」
「.....エルダ。本当?」
アニが頬杖をついてエルダの顔を覗き込んだ。彼女は鳥の巣の様になったベルトルトの頭を興味深げに撫でている。
「はい。お兄さんの部屋にいました。」
「ふうん、なんで?」
「なりゆきです。」「いやなりゆってないなりゆってない。お前が勝手についてきたんだろうが。」
「でも....凄く楽しかったです。本も沢山あ「ありません断じてありません」
「お姉さんも行ってみると良いですよ。あ、同じお家に住んでるからよく行ってますよね、きっと」
「いや、こいつの部屋なんか臭そうだから行ってない「臭くないよ!?」
ぐだぐだと喋ってる内に時間が迫ってきたので急いで朝食を食べて学校に行く準備をした。
出掛ける時に、例え三人が家を出る時間帯がばらばらでも....必ずエルダは玄関まで送りにきてくれる。
彼女の柔らかな笑顔を見る度に、今日も家に帰るのが何だか楽しみになるのだ。
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