クリスタの誕生日 03 [ 47/167 ]
「......クリスタ、おはよう。」
次の日の朝、エルダが困った様に眉を下げて挨拶をしてきた。
それを見て少しの後悔の念が胸に湧き上がるが、すぐに昨日の事を思い出して彼女から目を逸らし、脇をすり抜けて寝室から出て行こうとする。
しかし後ろから「待って、クリスタ....!」と言う彼女の声がしたので思わず足を止めてしまった。
「あのね....昨日、本当にごめんなさい....。でも聞いて欲しいの...」
珍しく余裕の無い声である。
ただ、昨日の話を出されると....どうしてもベルトルトと楽しげに話すエルダの姿が浮かんで来て辛かった。
「.....ごめん。私...朝食の当番があるから....」
抑揚の無い声で言って再び足を進めた。勿論朝食の当番など無い。
彼女はもうそれ以上何も言って来なかったが、背中には痛い程の視線が突き刺さる。
気付かない振りをして、クリスタは寝室を後にした。
*
廊下を歩いていると、段々と脳が覚醒してくる。それと同時に後悔が襲って来た。
立ち止まって自分の行動を思い返して眉を寄せる。....何で、あんな事、しちゃったんだろう....!
そしてもしも自分がエルダに同じ事をされたら....?と想像する。
背筋にすうっと冷たいものが走って、心臓が握りつぶされる様に痛んだ。
どうしようどうしよう......。私.....何て、ことを......
エルダは、いつでも私に優しくしてくれたのに....!
それなのに....たった一言、おめでとうと言ってもらえなかっただけで....
.....こんな事.....
(謝らなくちゃ......!)
拗ねてたって何にもならない....!すぐにでも謝らないと....。
きっと、ちゃんと謝れば....いつもみたいに笑い合って元の通りに戻れる筈だ。
こんな風に喧嘩する事を望んでいた訳じゃないもの....!
自分の頬を両手でぺちんと叩くと、クリスタは小さな覚悟を胸に抱いて食堂へ足を踏み入れた。
*
朝のざわつく食堂内で、クリスタは定位置の座席に着いてエルダが来るのを待っていた。
しかし....彼女は一向に現れない。
やがていつも遅刻気味のサシャとユミルが隣と正面に座る。おかしい。エルダは必ずこの二人よりは早く席に着いている筈なのに......
とりあえず時間が差し迫っているので朝食を咀嚼し始めるが、どうも食が進まない。
「どうしたんですかクリスタ。お腹痛いんなら食べてあげますよ?」
「ううん、違うのサシャ.....お腹は痛く無いの....」
クリスタの答えにサシャはあからさまに落胆する。
「じゃどうしたんだよ。元気無いじゃねえか」
「えーっと、エルダはどうしたのかなって思って.....」
「あぁ、エルダならあそこにいますよ」
サシャが指差す方向に視線を向けると、確かに自分たちより少し離れた席にエルダが座っていた。
「............!」
その光景にクリスタは目を見張る。
「何であいつ、あの二人と飯食ってんだよ.....」
ユミルの呆然とした声が隣から聞こえた。
(なんで.....)
ライナーと向かい合って座るベルトルトとエルダの距離は明らかにいつもより近い。
前は拳もうひとつ分くらいの距離が二人にはあったのに....!
......何だかんだ言って......クリスタはベルトルトの恋は片思いで終わると高をくくっていたのだ。
エルダがそんな簡単に男性に心を許す事等無いと.....
だが....楽しげに会話を交わす様子から分かる。
何かが起こったのだ。エルダの方からも....ベルトルトへと歩み寄るだけの....何かが....
いつ起こったのだろう。一週間前はまだそんな事は無かった。やはり二人で夜会う様になったここ最近だ。
四日前?一昨日?それとも.......昨日....?
*
今日もやはりエルダは気付くと姿を消していた。そしてその時には必ずベルトルトも見当たらなくなる。
姿が見える時はライナーとベルトルトの傍にいる事が多く、いつもの様にクリスタ達と行動する事は無かった。
それはクリスタの神経を著しく摩耗させる。謝ろうにも会う事が無いのだ。明らかに避けられている。
.....訓練が終わり、茜色の光が差し込む寝室でクリスタはいつかと同じ様に枕を抱えてベッドの上に座っていた。
この時間は寝室には誰もおらず、薄曇りした静寂が部屋には満ち満ちている。
エルダと話せないだけで....こんなにも辛い気持ちになるなんて....。
クリスタは悲しくて仕様が無く、枕に顔を埋めて涙を堪えた。
いや.....当たり前だ。それだけの事をしてしまったんだ.....。
もう、ずっとこのままなのかな....。それは、嫌だな.....。
しんとした音がする程静かな室内に、ふと微かな人の話し声が聞こえて来る。
クリスタは身を強張らした。それは....間違いなく、昨晩聞いた二人の声で....
ベッドから起き上がり、辺りを見回す。いや....ここは女子寮。ベルトルトがいるという事は室内ではない。
では外か。二人が一緒にいるところ等見たくは無いのに、足は意志に反して冷たい窓ガラスへと向かう。
そうっとそれに手をついて外を覗き込むと、予想通りの冷たい感触。目を凝らして雪が溶け残る外の景色を見る。
..........いた。二人は丁度宿舎の玄関から外へと出て行くところだ。
(え......?)
クリスタはその光景を二度見する。
二人の姿はここからではあまり仔細に見る事はできないが、確かに二人は.....手を、繋いでいるのだ。
(どうして.....今までそんな...手を繋ぐなんて、してた事は無かったのに....!)
クリスタは激しい不安を感じた。声を出す事も、動く事もできずその場に立ち尽くすしか無い。
色々な何故?が頭の中に巡り、繰り返し繰り返しいかに考えても、自分がどうすれば良いのか分からなくなってしまった。
しばらくして、体の奥から湧き上がる様な深い溜め息を吐き、よろよろと自分のベッドに戻る。
そのまま枕を再び抱いて横になり、逃避する様に眠りへと落ちていった。
*
「おい」
頭を何かにぺちんと叩かれて目を覚ます。
うっすらと瞳を明けると馴染みの友人がこちらを見下ろしていた。
「ユミル.....どしたの」
目を擦りながら起き上がり、舌足らずな口調で尋ねる。
「どうしたもこうしたも無えよ。夕食の時間になっても食堂に現れねえから探しに来たんだよ」
ユミルはクリスタのベッドに腰を掛けながら言う。
「そう......」
クリスタは目を伏せた。先程の光景を思い出してしまったのだ。
「......朝からどうも元気無えな。どうした。言ってみろよ」
ぽんとクリスタの頭を撫でながらユミルが尋ねる。
少しの間クリスタは口を閉じて逡巡するが、やがてゆっくりとユミルの事を見上げて話し始めた。
―――――
「.......成る程なあ。」
ユミルは頭をがしがし掻いた。それから何かを考える様に天井の隅を見つめる。
「どうしよう.....これからエルダとずっと話せなかったら....。そんなの、私寂しくて....」
「......私はそういう面倒くさい事はよく分からねえが....普通に取っ捕まえて謝れば良いんじゃねえの?」
天井からクリスタへと視線を戻しながらユミルが言う。
「でも不安なの....謝っても許してもらえなかったら....ってそう思うと、不安で不安で仕様が無いの....」
クリスタは膝に置かれた自分の手を見つめた。
しかし何故か突然頭頂部に先程と同じ軽い痛みが襲う。
「あたっ」
驚いて自分の頭をはたいたユミルを見ると、彼女はうんざりとした様に溜め息を吐いた。
「んな事気にすんなよ.....。あいつはお前の事を目に入れても痛く無い程可愛がってたじゃねえか.....。」
「.........そうかな。」
再び膝の上に視線を落としながらクリスタは不安げに呟く。
「それにエルダは嫌な奴だが悪い奴ではねえよ....。そんな事位でお前を嫌いになったりはしないだろ。」
「.............。」
クリスタは唇を噛んで掌をきゅっと握りしめた。
.......エルダは、悪い人じゃない。ううん、充分過ぎる程良い人だ。
そして私はエルダの事が好き....。大好きなの。
......もう、こんなのは嫌。また優しく笑って、いつもの様に抱き締めて欲しい.....!
クリスタはベッドから降りて靴を履き、傍の椅子にかかっていた自分の上着を掴んだ。
「ユミル、私ちょっと行って来る.....!私の夕食、サシャに食べられない様に見張っておいて!」
「いや、もう手遅れだと「それじゃ後でね!」
慌ただしく寝室を後にするクリスタ。ユミルはやれやれと言った様子でそれを見送った。
「しかしなあ....あの馬鹿、クリスタを悲しませやがって.....。とりあえず後で一発殴るか....」
そう言いながらユミルはごろりとクリスタのベッドに横になる。
少し甘い匂いが心地よく、ユミルも先程のクリスタの様にいつの間にか眠りに落ちてしまった。
*
「.......エルダ!!」
息を切らせながらも廊下を歩く彼女の背中に呼びかける。
エルダはその声に反応してこちらを振り向くが、クリスタの姿を確認するとハッとした様に身を強張らせた。
彼女の瞳が物悲しくこちらを見つめている事が堪えられず、クリスタはエルダの元へ走り出す。
そして柔らかなその体を抱き締めた。彼女は驚いた様に小さく震えるが、ぎゅうと更に力をこめて離れない様にする。
そのまま顔だけ動かしてエルダの事を見上げると、ぱちりと瞳が合った。
久しぶりの温かい体温に思わず涙が零れそうになる。
「......ごめんなさい......。」
言葉でそれを表すともう駄目だった。涙がぽたりと頬を伝う。
「ごめんなさいエルダ.....!嫌いなんて嘘だよ...!!本当は大好きだから、だから....私から離れていかないで......!!」
少しの、間。
エルダの瞳の中には混乱の色が浮かび上がっていた。
表情も何とも言いようのないもので、それがクリスタの不安を煽る。
「よ.......」
やがてエルダの唇がゆっくりと動き、そこから声が漏れでた。
「え.....?」
聞き取れなかったクリスタが疑問の声を上げると、エルダは突然強い力で抱き締め返して来る。
「.......良かったあ」
そして心から安堵した様に零すと、花が咲いたみたいに柔らかく笑った。瞳の端からは涙が一筋流れ落ちている。
「私、クリスタに嫌われていないんだね.....?」
そう言いながらエルダは抱き締める力を更に強くする。
「え.....あの、エルダ?」
初めて見る彼女の涙にクリスタは困惑した。
「本当に良かった....。....嬉しい。ずっとどうしようって不安だったの...。
......あとごめんなさい。私、自分が傷付きたく無いからってクリスタの事を避けたわ。本当にごめんなさい。」
エルダが頬を寄せながら愛しそうに言う。
クリスタは何だか胸が一杯になって、ゆっくりと目を閉じる。
それに合わせて熱い涙が零れて、エルダの白いセーターに沁みを作っていった。
「そうだクリスタ.....」
やがてエルダは何かを思い出した様に体を離して涙を拭い、ポケットに手を入れて中を探る。
目当てのものが見つかったらしく、嬉しそうに笑うとそれを差し出して来た。
「遅くなってごめんなさい。....お誕生日おめでとう、クリスタ。」
深みのある茶色の厚紙に青いリボンがついた短冊状のものを差し出される。
「.......四葉だ......。」
それを受け取りながらぽつりと零す。摘んで来てすぐのものなのだろうか、押し葉された白詰草の色はまだ瑞々しい。
「訓練が終わった後しか探す時間が無いでしょう?
ベルトルトが手伝ってくれたけれどどうしても手間取ってしまって....当日に渡せなかったのが残念だったわ。」
「この為だけに....あんなに夜遅く?」
「もっと早くに始めれば夜に探さなくても良かったのだけれど.....。思い付いたのが遅かったのよねえ....」
「........っふ」
何だか可笑しくなってクリスタは笑ってしまった。
なあんだ。二人はこれを探していただけだったのね.....!そうよね、そんな筈が無いもの.....!
「クリスタ......?」
突然クスクスと笑い出したクリスタにエルダは不思議そうに声をかける。
「何でもないよ...!....ねえエルダ、ご飯食べに行こうよ。今回は一緒に食べようね。」
上機嫌で手を取って来るクリスタを見て、エルダも表情を和らげた。
「そうね.....。行きましょう。」
穏やかな声でそう言って彼女はクリスタの隣に並ぶ。
歩き出したエルダとクリスタの周りは既に夜の薄闇で覆われ、二人の足音しか音を立てるものは無かった。
クリスタは手元にある栞を眺め、それから先程のエルダの涙を思い浮かべた。
(.................。)
「....どうしたのクリスタ。今日は静かね」
エルダが窓の外のやや欠けた月を眺めながら尋ねる。
「ううん......。エルダが泣いたのを見たのは初めてだなって....。」
「そう?ごめんなさい、変なもの見せちゃったわね」
「そんな事ないけれど.......ただ、エルダでも不安になる事はあるんだ.....って、少し驚いたの。」
「勿論。たまらなく不安になる事なんてしょっちゅうよ。」
「でも.....いつも、エルダは余裕で....不安になるのは私だけだと....そう、思って.....」
「クリスタ」
エルダが立ち止まって名前を呼ぶ。穏やかな彼女の輪郭を月が染め上げていった。
「私はね、いつも皆に年寄り臭いと言われるけど....実は貴方とふたつしか年は違わないのよ」
薄雲が青い空を滑っていき、月光の黄色がいよいよ濃くなる。
エルダは少し俯いて自分の爪先の一歩先の床板を見つめていた。
「大好きな子に嫌われちゃったらすごく悲しいし、とても不安になるわ....。」
その頼りない声を聞いて、クリスタの胸には後悔と切なさと、強い愛情が湧き起こってくる。
思わずエルダの事を再び抱き締めてしまった。
丁度顔の辺りに柔らかな胸の膨らみが来て、その下に流れる血液の流れを感じさせる。
「エルダ....。ごめんね。」
掠れる声でもう一度謝ると、優しく頭を撫でてくれた。
「それからね、ありがとう.....。こんなに嬉しい誕生日は初めてだよ....。」
「良かった....。私もごめんなさい。友達なのに貴方の事全然分かってあげられなかったわね.....」
「そんな事ないよ....。ごめんね.....ありがとう....。」
「そんなに謝らないで....。
.....そうだ、ベルトルトにもありがとうって言っておくと良いわよ。このプレゼントを思い付いたのは彼だもの。」
「うん......それは......うん、いつか言うよ。」
何とも歯切れの悪い返事をしてクリスタはエルダの胸に顔を埋め直した。
暖かな柔らかさと石鹸の匂い.....あとは、図書室の少し埃っぽい香りがする。
その心地良い空気を胸一杯に吸い込むと、心の中にある沢山の刺が次々と円みを帯びていく。
やっぱり私はエルダを好きで....エルダも私の事を好きでいてくれる。
良かった。本当に良かった。エルダを好きになって本当に良かった。
貴方が一緒にいてくれるだけで、世界はこんなにも優しくなってくれるんだ.....
もう一度ぎゅっと抱き締めた後にゆっくり顔を上げると、目がぴたりと合ったのが何だか嬉しかった。
再び歩き出した廊下には強い月光によって二つの影が作り出される。
それは重なってひとつになり、どこまでも長く伸びていた。
ナオ様のリクエストより
ベルトルトさんが勇気を出してちょっと積極的になるお話。
森嶋様のリクエストより
嫉妬したり落ち込んだり、いつもと様子が違うクリスタを甘やかすような、クリスタ一人勝ち!といったお話で書かせて頂きました。
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