マルコの誕生日 01 [ 150/167 ]
(気が付かないのかな)
とある長閑な立夏と夏至の間の日付。
その日は午前中で訓練が終了するので…昼食後は皆思い思いに自由な時間を楽しんでいた。
寒過ぎず暑過ぎず、とても過ごしやすい時期である。
風が吹くと窓から湿った空気が運ばれて来て、室内の空気をそろそろと清めていく。
しかしそんな中でマルコの気持ちにはやや陰りがあった。その原因は……現在、隣にいる一人の友人なのだけれど。
「…………だから。知らねえよ。」
ジャンはうんざりとした表情をして、机を挟んで正面に腰掛けるサシャとコニーに言う。
「知らねえってことはないだろ。」
「コニーの言う通りです!ジャンは確かに今日街に私たちを連れて行ってくれると言いました!!」
「街に行くとは言ったがてめえらを連れて行くとは言ってねえよ……」
「そしてオムライスを奢ってくれると確かに言いました」
「それはもっと言ってねえ」
もうお前等どっか行けよ…とジャンは気の抜けた声でぼやいた。
しかしサシャとコニーの耳には届かないらしく、遂に二人は椅子から立ち上がってジャンのすぐ傍までやってくる。
「訓練も午前で終っちまったろ、暇なんだよ。連れてってくれても良いだろ」
「……馬鹿二人で勝手に行けよ」
「そしたら誰が定食屋で会計を済ませてくれるんですか。」
「オレは財布か?」
先程からの問答に怒鳴る元気も無くしつつあるジャン。
しかし暇を持て余した二人は遂に業を煮やしたのか、彼を強引に椅子から引っ張り上げては立たす。
「どーせ行く場所は同じなんです。ちょっと位良いじゃないですか。」
「それに芋女と二人きりだといっつも迷うんだよな。こいつ地図読めねえから。」
「迷ってなんかありません!あれは戦略的探索です!!」
ジャンよりも少々背の低い二人が彼の両脇に立って喧々諤々する。割と低レベルな。
………うるさそうに聞いていた彼が何か口を挟もうとするが…やがて諦めた様に開きかけた唇を噤み、溜め息を吐く。
どうやら観念したらしい。色々なことに対して。
「まあ……それに、二人よりも三人の方が楽しいに決まってますよ。」
「行こうぜ、ジャン。」
口喧嘩もなあなあに収束した二人は、ジャンに対して楽しそうに笑いながら声をかける。
まるで妹と弟、そして兄を見ている気分である。
何やら微笑ましい光景に、周囲の人間の表情は自然と和らいだ。
………そして、ジャンは二人に連れ立たれて食堂から去って行く。
恐らく帰ってきた時はくたびれ果てているだろう。
なんだかんだと言いながら彼は面倒見が良い故に、サシャとコニーを放っておけずに振り回されてばかりだから………
(……………。行っちゃった。)
マルコはそれを無言で見送り、ふうと息を吐いた。
また、窓からは沙椰とした風が吹き込んで白く薄いカーテンを揺らす。
しばらくぼんやりとしていると、いつの間にか食堂からはひとりふたりと人が立ち去り…いつの間にか彼を残すだけになってしまった。
辺りは静寂に包まれる。風が薄いカーテンを翻す。どこまでも清浄で、心地良い空気。
「あら」
しばしの密やかさの後、小さな声がマルコの耳に届く。
その方を見ると……入口から顔を出して室内を眺めている女性が一人。
彼女の薄い緑色の瞳と、彼の赤みを帯びた褐色とがぶつかった。
お互い、ぱちぱちと数回瞬きをする。……やがてエルダは、きょとりとした表情を崩して優雅に微笑んだ。
「さっきまでは人が沢山いたのに、随分静かになっちゃったのね。」
そう言って空の椅子やテーブルを眺めながら、ゆっくりとマルコの近くへと歩んでくる。
彼は呆けたようにエルダを眺めたままで、「そうだね…」と相槌をひとつ。
「…………ちょっと。人手が欲しかったのよ、運が悪かったと思って付き合ってくれるかしら。」
そっと彼女は目を細める。
穏やかながらも有無を言わせないその仕草に、ただマルコは首を縦に振るしか無かった。
*
「そうそう、その青い表紙の奴と…そのふたつ右隣の、赤いラインが入っているものね。」
背の高い書架のてっぺんの段に手を伸ばすマルコの後ろでエルダが指示をする。
彼は言われた通りの本を数冊取っては渡してやった。ありがとう、悪いわね、と礼儀正しい応えがなされる。
「悪いなんてことないよ。これくらいならお安いご用。」
………一体どんな重労働をさせられるのかと内心穏やかでは無かったマルコだが、彼女の用事は手が届かない本を取って欲しいという実に単純なことだった。
「あら、頼もしいわね。流石マルコ」
みんなのお兄さんですものね、とエルダが言う。マルコが渡してやった本の表紙を指先で大切そうになぞりながら。
「お兄さんなんてそんなこと……第一、エルダの方が年上じゃないか。」
少々照れ臭くなって、マルコは鼻の頭をかく。
「女性に年のことを言うなんていやね。」
エルダはちょっとだけ肩をすくめた。
思わずマルコは「あ…ごめん」と反射的に謝るが、「冗談よ」と朗らかに笑われるのでホッとする。
………どうにも緊張し放しであった。
正直に言うと、マルコはエルダがなにを考えているのかよく分からないのである。
勿論……普段の行いから、悪い人では無いのは分かる。むしろ、良い人≠ノ属する人間だろう。
(謎)
その要素が多過ぎるのだ。多くの人物と友好的な関係を気付きながらも…胸の内の柔らかく深い部分は見せてくれないような。
なんだか決して誰も信用しないような…そんなふうに、どうしても思えて。
「なんだかマルコが私より年下って不思議な気持ちねえ。」
「そうかな、エルダは大人っぽい人だと思うけれど……ほら、サシャとかと比べたら」
「やあね、サシャと比べるからよ。」
「はは……」
意外と辛辣である。
「確か…私と貴方はふたつ違いだったかしら。」
「いや、ひとつ違いだよ。今日からね。」
「今日から………」
マルコの言葉を不思議そうに繰り返したエルダだったが、やがて思い当たったようにひとつ頷く。
「お誕生日なのかしら」
それはおめでとうね、とエルダは殊更優しい声で言ってみせた。
……ありがとう、とそれを受けて礼を言う。
「知らなかったわ、言ってくれれば何か用意したのに。」
「いや……そんな。わざわざ言うことでもないし…」
「そんなことないわよ。皆貴方の誕生日をお祝いしたい筈よ。」
みんなマルコのことが好きなんだもの、とエルダが幼子に言い聞かせる様に人差し指を立てて言う。
マルコはただ苦笑した。
「………誰にも言わなかったわけじゃないんだけれどね。」
窓の外へと視線をやって、彼は呟くようにする。
エルダは黙ってそれを聞いていた。
よく晴れた空の下ではアカシアが、初夏のやわらかな風に吹かれてほろほろと白い花を落とす。
「………………ジャンはどうしたの。いつも一緒なのに。」
短い沈黙の後、そっと囁かれた。
「いつも一緒ってわけじゃないよ。流石に」
「そう…でも二人は仲良しじゃない?面白いわよね、貴方とジャンはまるで性質が違うのに。」
「ジャンは…なんだかんだで僕と似ているよ。偏屈で頑固なところとか」
「面倒見が良いところもね。最近サシャのお守役を取られちゃって、ちょっと寂しいわ。」
エルダはそっと口元に指先を持っていき、女性らしい笑い方をした。
マルコはその様子を横目してから、白い花弁の行方を追うように窓へと視線を戻す。
「…………貴方も、ちょっと寂しいのかしら。」
しかし、次に呟かれた言葉に驚いてもう一度エルダの方を向いた。
再び薄緑色と赤褐色、ふたつの対照的な色がぶつかる。
「……………。」
マルコは……いつの間にか、自身の非常に情けない部分を彼女に晒していたのだと気が付く。
それを自覚した途端、身体の奥から勢いよく熱が吹き上がるのを感覚した。それはあっという間に顔、耳、そうして頭頂部にまで至る。
「そ、んなこと……ないよ。」
やっとの思いで否定するが、勿論エルダはマルコの考えを知っている。「照れなくてもいいのに」とおかしそうにした。
「照れてなんか……」
「顔が真っ赤よ。」
「……あんまり見ないでくれよ」
「ごめんなさい、なんだかかわいらしいから。こうして見ると貴方も年相応の少年ね」
「からかうなよ、……ほんと。」
「からかってなんか……。私は好きよ、貴方のそう言うところ。」
エルダがそっと手を伸ばしてマルコの頭髪に触れる。そうしてゆっくりと撫でた。
されるがままになりながら、マルコは「なんでお前にこんなこと話しちゃったのかな、」と誰に言うでもなく弱々しくぼやいた。
「………きっと、私と貴方があまり仲良くないからじゃないかしら。」
エルダは仕上げとばかりにマルコの頭をぽんぽんと軽く叩く。
「なんだよ、それ…」とマルコは未だ熱が引かない頬の辺りを抑えながら応える。
すっと瞼を伏せて、彼女は「そういう関係も良いものよ」と呟いた。
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