光の道 | ナノ
瞼のうらに描くこと/ライナーの場合 [ 44/167 ]

.......寒くて眠れない。

その夜の冷え込みはひどいもので、ベッドの中のシーツまでも氷の様に冷たく、俺は寝返りすら打てずに居た。

無理矢理眠ろうと目を固く瞑るがひんやりとした空気が足の方から這い上がって来て全く落ち着く事ができない。

うっすらと瞼を開き、漆喰の剥げた天井を見つめる。

.....深夜だと言うのにいやに明るい。月の明かりだろうか。....いや、この独特のゆらめく様な光り方は....間違いない。

起き上がって窓の外を見つめる。

.....案の定、真っ白い結晶が錆鼠色の空に舞い散っていた。これは冷える筈だ。

もう雪の盛りは過ぎたと思っていたが、まだまだ冬は続くらしい。


......しばらく、ベッドに腰掛けて音もなく降り続ける雪を見ていた。

そこまでの降雪量では無い。あくまでゆっくりと、風に吹かれながら、月の光を反射させながら、高く伸びる空から際限もなく降って来る。

.....周りには、その美しい景色に似つかわしく無いルームメイト達の高鼾が響いていた。

起きているのは、俺.....ただ一人。

静かで冷たい空気が、誘う様に胸の内に入り込んで来る。

俺は床に散らかる様々なものの中から自分の外套を引っ張り上げると、それを羽織って寝室の扉へと歩き出した。







外は無音だった。雪が全ての生き物の耳を柔らかく塞いでしまっている様な、そんな感覚を覚える。

そして月が美しかった。こんなに綺麗な景色が存在するのなら世の中も悪いものではない、とほんの少しだけ考える。

地面の上には二三日前に降った雪がまだ方々に白く凍り付いて残っていた。それをまた上から覆い隠す様に雪が降る。

溜め息を吐くと、息は不透明に白かった。しばらくの間立ち尽くし、遠くの空を横切る黒い森を眺める。

......俺達の故郷にも、同じ様に....雪は降っているのだろうか。


ぽん、と音をして俺の頬が温かい何かに包まれる。
突然の事に心臓がひっくり返る程驚き、「うわああ!!」とこの静寂に似つかわしく無い声を上げてしまった。

「.......そんなに驚かないで、ライナー。」

聞き覚えのある声に首だけ動かしてその方向を見ると、エルダが手を伸ばして俺の頬を後ろから包み込んでいた。

「こんばんは」

にっこりと笑って彼女は頬から手を離す。それから俺の手を取って何かを握らせると「あげるわ」と言った。

「......懐炉か」

掌を開くと微かに熱を放つ袋が出現する。これが先程頬に感じた温もりの正体らしい。

「ちょっと外に出てみたらライナーがいるんだもの、びっくりしたわ」

もらった懐炉で早速冷えた指先を温めているとエルダが隣に並びながら言う。

「.......驚かされたのはどっちかと言うと俺の方だと思うんだが.....」

未だに胸の内の心臓は落ち着かない動きを繰り返していた。
....こんな深夜に、まさか人が...しかもエルダに会うとは全く思っていなかったのである。

「ごめんなさい。でも雪の中で黄昏れるライナーなんて何だか新鮮ね。良いものが見れたわ」

口元に軽く手を当てて笑う姿はどこか大人びていた。自分も良く言われる事だが、彼女は10代にはとても見えない時が多々ある。

何だかそれが気に入らなかったのでわしわしとエルダの髪を掌で掻き回してやった。

結われていない状態のそれは柔らかく、指の間をするりと滑っていく。

「......お前は」

一通り頭を撫で回して満足したので手を離しながら声をかけた。
こちらを困った様に笑いながら見上げるエルダの髪はぼさぼさと乱れている。

「お前は何でここにいるんだ。こんな時間に出歩いたら危ないじゃないか」
咎める様に言う。

しかしエルダは意に介さない様で、未だ微笑を絶やさずこちらを見つめていた。

「ライナーだって出歩いているわ。」

「俺は.....その、男だから良いんだ。お前は女だし....もし、誰かに襲われたりしたらどうするんだ。」

「そうね....これからは気をつけるわ。」

彼女はそっと目を伏せる。.....あまり、俺の言葉が理解できている様には思えなかった。

「で....どうしたってこんな所にいるんだ」

気を取り直して尋ねる。冷たい風がそよりと吹き、エルダの前髪を揺らしていた。

「......ライナーは?」

逆に質問を返された。....改めて尋ねられると答えに困る。柄にも無く雪を見に来たとは言えない。

「.......いや、その.....秘密だ。」

何とも歯切れが悪く答える。......つくづく自分は隠し事が下手だなと痛感した。

「そう?じゃあ私も秘密にするわ」

エルダは白い息を吐きながら先程俺がそうしていた様に遠くの森を眺める。

「........そう言われると気になるな。」

「うふふ、秘密よ」

「........教えてくれ。」

「あらあら。」

「........教えて下さい。」

「うふふ。」

エルダは黒い森から錆鼠色の空に目を移す。
色が褪せ、灰色に埋もれた世界の中で彼女の瞳だけが新緑の様な瑞々しさを湛えていた。

........それから、こちらを真っ直ぐに見つめて楽しそうに笑う。つられてこちらまで笑ってしまいそうな暖かなものだった。

「雪達磨を作りに来たのよ」

「.......はい?」

「でも駄目ねえ。まだ雪達磨を作れる程積もってないわ」
この前降った雪はもう凍っちゃったし....とエルダは残念そうに周りを見渡す。

.......どうやら、本気で言ってるらしい。

「......お前は.....老けて見える癖に時々吃驚する程子供になる時があるな....」

「駄目かしら?」

「いや......。良いんじゃないかな。.....俺は嫌いじゃない。」

「ありがとう。」

エルダがまた優しく目を細める。長い睫毛の上に透き通った結晶が光っているのが見えた。


しばらく二人で並んで遠くに降り積もっていく雪を眺める。

どこまでも果てしなく落ちて来る雪を鋭い弓型の月が寂しく光らせていた。

隣のエルダをちらりと盗み見れば、相変わらず穏やかに笑っている。.....こいつは、怒ったり泣いたりする事は果たしてあるのだろうか。


「......あと何回、こうして一緒に雪を見れるのかしら」
視線はこちらに向けずにエルダが言う。

「どういう事だ....?」

「そのままの意味よ。.....いずれ、私たちは離ればなれになるわ。
貴方やベルトルト、アニは優秀だからきっと憲兵団へ....私は.....、」

エルダはそこで言葉を切った。何となく寂しげな様子にそろりと手を握ってやると、やんわりと握り返される。

「......仕様が無い事よね。何もかもが変わっていくもの。......でも、私はやっぱり少し寂しいわ。
......だから.....時々で良いから、所属兵団が別れても.....会いましょうね。」

俺はそっと目を閉じた。それから瞼の裏に故郷の景色を思い浮かべる。

俺たちが暮らした、懐かしく....愛しい、あの景色を。きっと帰れる。誰も欠ける事なく....帰れる筈だ。

その時に、ベルトルトとアニは....あの二人は、エルダ無しではもう生きていけない。彼女を連れて行こうとするだろう。

エルダもここまで俺達を想ってくれるなら、きっとそれに応じてくれる筈だ。

そうか.....彼女が、俺達の故郷に暮らすのか.....。それは素晴らしい、幸せな事だ。

......幸せになりたい。ただ....それだけだ。どんなに悲しい、辛く...苦しい思いをしても....皆で、最後は幸せになるんだ.....。


「.......大丈夫だ。」

ゆっくりと目を開き、再び灰色の世界を見据える。寒さはもう....あまり気にならなかった。

「大丈夫だ。お前は....来年も、再来年も、そのまた次の年も....ずっとずっと、俺と...俺達と、雪を見るんだ。」

エルダがゆっくりとこちらを見上げる。何とも言えない表情をしていたが、やがて柔らかく笑って「素敵ね」と言った。

「.....今日は、もう帰るぞ。体を冷やすのは良く無い。」

繋いだままの手を引いて宿舎へと促す。彼女は「ライナーはお母さんみたいね」と眉を下げた。

「お前はお母さんと言うよりは婆様だな.....。」

「ひどいわ」
そう言いながらもエルダは笑っている。俺もつられて笑った。


「ライナー」
歩幅を狭くして合わせてやると彼女は嬉しそうに隣に並んで来る。

「.....私、貴方たちに会えて良かったわ。....本当よ。」

「あぁ....。......そうか。」

その言葉を最後に、俺達は口を噤んで雪を踏みしめながら歩く。

ただ繋いだ手は温かく、それだけでどこまでも歩いていける気がした。







「........エルダ、起きて。」

アニは未だ布団の中に居るエルダに声をかける。

....珍しい。いつも朝は一番に目を覚ます彼女がどうしたのだろう。

いい加減起きないと朝食を食いっぱぐれると言うのに。

「........うん。おはよう....アニ。...うわあ、寒いわねえ...」
欠伸をしながらエルダが起き上がる。

「昨晩雪が降ったからね....」
そう言いながらアニは窓の外に目を向けた。

「......ん?」
......雪が降り積もった地面に、何か、ある。

アニは訝しげに思って窓に近付き、それを開けた。

「アニ.....寒いわ....。」
寝ぼけた声でエルダが訴える。

「......何あれ」
アニは眉をひそめながらそれを見つめた。

彼女の後ろからエルダも体を乗り出す。
アニの目線の先にあるものを確認すると、少し驚いた様に口を小さく開けた。

「......やだ、ライナーったら」

それから眉を下げて可笑しそうに笑い出す。アニはその様子を頭上に疑問符を浮かべながら眺めた。

「さて、ご飯を食べそびれたら大変だわ。行きましょうか。」

すっかり眠気も覚めたらしいエルダは非常に上機嫌である。
あっという間に朝の身支度を済ますとアニの手を引いて浮き足立って食堂へと向かう。

アニは彼女の不可思議な喜びように、ひたすら首を捻るしか無かった。



誰もいなくなった女子寮の窓の下には、林檎程の大きさしかない小さな雪達磨が朝日を浴びて透き通る様に光っていた。

山漆の実で作られた薄緑色の瞳で、青く晴れ渡った空を見上げながら。



レイン様のリクエストより
山奥トリオが想像(妄想)をする話を連作で書かせて頂きました。


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