アニの誕生日 03 [ 149/167 ]
「ああ、なにやら沢山買っちゃったわね」
ふうと溜め息しながらエルダが呟く。
久々に街に出掛けたものだから遂々はしゃいじゃったのね、いけないわ。と反省の言葉を口にしているが……どこか満足そうな様子でもあった。
「もう……良い時間でもあるのね。なんだか楽しい時間ってあっという間だわ。」
そうして銀の鎖に繋がれた時計を確認しては呟く。
「どこかで夕食でもして、そろそろ帰りましょうか。」
彼女の口から別れの言葉を切り出された途端に……久しく満たされていたアニの胸の内に細かい亀裂が多数走ったように思えた。
…………今日、さようならをしてしまえばまたいつ会えるかは分からない。
ああこの子は本当になんで調査兵団なんかに入ったんだろう。せめて駐屯兵団にいてくれれば安心できることも多いにあったのに。
「……………アニ?疲れちゃったのかしら。ごめんなさい、随分連れ回しちゃって」
アニの表情が陰っていくのをエルダは察したらしい。心配そうに様子を伺ってくる。
「……………………。」
黙ったまま、そんな彼女の掌を強く握り直した。離したくない。
エルダは少々困った表情をしてそれを見下ろす。………後、「夕飯の前にちょっと寄りたい場所があるの。良い?」と尋ねた。
*
「……………………。」
真っ青な顔をして、アニは手摺にしがみついていた。
それに反してエルダは至って平気らしく、「下を見ないほうが良いわよ、遠くを見れば怖くないわ」と彼女の肩をぽん、と叩く。
「なに、ここ」
息も切れ切れにアニが尋ねた。
エルダは事も無げに「カリヨン塔のてっぺんよ、貴方は来たこと無かったわよね。」と返す。
その背後には今までいる街が遥か彼方下方へと広がっていた。風が強く、彼女の薄い色素の髪が煽られてゆらりとする。
「ああ、出来れば一生来たくなかったね……」
「あらあらサシャと似たような反応するのね。」
「私とあのチキンハートを一緒にしないで」
「はいはい。アニはレオンハートさんだものねえ」
……………サシャと同列に扱われたことが若干癪に触って、アニは手摺から掌を離した。
もう怖くなくなった?と聞かれるので強がって頷くが、少し強い風が吹いた拍子に小さく声をあげてしまう。
エルダは……聞こえないふりをしてくれたらしいが、安心させるようにまた彼女の手を握った。
気遣いに、なんとも居たたまれない気持ちになる。
「ここからね……見える夕焼けは本当に綺麗なのよ。街が一番美しく見える場所だと思うわ」
「…………。前から思ってたけど、あんたって街に詳しいよね。」
「散歩が好きなのよ、他にも穴場を沢山知ってるわ。前にサシャとここに来たときも………った、」
いつもと変わらずに微笑っていたエルダの表情がややしかめられる。
それから不思議そうな顔をしてアニの方を見た。………その掌には彼女の爪がしっかりと食い込んでいる。
「今は私といるんだから……私の話をして。」
力を弱めて、心細そうにアニは呟いた。
エルダはひとつ頷いては「………うん。気が利かなくてごめんなさいね」と謝る。
ここに来て、アニの胸中の悲しさが一気に膨れ上がった。
色々なことを考えてしまうが……やはり、根幹にあるのは幼稚な焼きもちである。いつだって特別でいたいという気持ちが全てなのだろう。
「……………。ね、アニ。もう空が真っ赤だわ」
アニはエルダが示す方を見たくなかった。日が沈むところなんて、と。今日が終ってしまうところなんて。
「もう、高いのは怖くなくなったのかしら。
……それなら心強いわ。この塔は壁内で五本の指に入る高さだから……ここが平気なら怖いもの無しよ」
エルダはアニの肩をゆっくりと抱いて真紅の空へと身体を向けさせる。
…………自然と、見てしまった。西の空の雲が夕焼けに浸されて黄金色に光る景色を。
言う通りあんまりに美しい光景で泣きたくなった。
「ねえ……エルダ。」
そのままで、アニは好きな人の名前を呼ぶ。昨夜と同じく残酷な響きをしていると思った。
「私が……本当に欲しいものを教えてあげる」
静かに切り出せば、エルダは優しく相槌を打つ。
隣り合って同じ空を見上げたまま、少しの時間が流れた。
「私………。私は、綺麗だって言って欲しい。」
エルダに肩を抱かれていると、柔らかな皮膚から心拍の気配を直に感じ取れる。
もっと近くに思いたくて、自分からも彼女の身体を抱いた。
「私がどんな姿になっても、綺麗だって……そう言って好きだと思ってもらえれば……私、なにもいらない。」
言葉の最後が震えてしまったのは、足下のカリヨンから地鳴りのようにして聞こえ出した鐘のおかげでバレはしなかったろう。
安心したような、残念なような。
エルダはアニの言葉がそれきりだと言うことを確認すると、「そう」と一言だけ応える。
それからなんでもないように、「アニは綺麗よ」と続けた。
「…………嘘だね。」
「嘘なんてつかないわよ。貴方って人は本当に……自分の価値を知らないんだから。」
仕様が無い子ねえ。と苦笑してエルダはアニを抱き直す。正面からきちんと。
「欲を言えばアニは笑った方が綺麗なんだけれどね。……女の子は笑顔でいるときが一番かわいいのよ。」
私のお父さんの言葉だけれどね、とエルダは俯いてしまったアニに愛しそうに囁きかける。
「だから……あんたはいつも笑ってるの」
「そういう訳では無いわ。私が笑うのは幸せだからよ」
「いつだって笑ってる。………壁外でも、笑ってたね。」
「…………………?」
エルダはそこでようやく首を傾げてアニを少し離した。
………しかし、離れ切ることは出来ず逆に強く身体を引き寄せられる。
今までアニのことを包んでやっていた倍以上に力で抱き返されたので、苦しくて一瞬息が詰まった。
「もう一度言って」
アニの声が涙を含んでいるのを理解して、けれどやはり気が付かないふりをしてエルダはまた笑う。
そうして要望に応える為に「アニは綺麗よ、本当にね」と心から言ってやった。
二人の頭上では、空がやや青ずみを帯びる。今日も夜陰が全てに等しく訪れようとしているらしい。
幸せになりたい、とアニはエルダの胸に顔を埋めて呟く。
そうね、一緒に幸せになりましょうよ。とエルダは言った。
アニは黙って頷く。どうやら少なからず、今彼女は幸せなようだった。
エレンゲリオン様のリクエストより
手を繋いでアニとデートをする、最終的に良い雰囲気で書かせて頂きました。
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