光の道 | ナノ
クリスタとココア [ 39/167 ]

私が街での買い物から帰って来ると、エルダはいつもの様に食堂で本を読んでいた。

姿が見れたのが嬉しくて、遂々後ろからぎゅっと抱きついてしまう。

私の体の冷たさの所為か彼女は一瞬体を強張らせた。けれどすぐに優しく笑って「おかえりなさい、クリスタ」と抱き締め返してくれる。

「外は随分寒かったみたいね。手がこんなに冷たくなって....」

そう言いながらエルダは私の手を自分の掌で覆ってくれた。
そしてそのまま少し考える仕草をした後、薄緑の目をそっと細めて「クリスタ、ココアは好き?」と聞いて来た。

私はとびきりの笑顔で「勿論だよ」と答える。

「私もよ」とエルダは笑って席を立った。
本に栞を挟んで、ランプの灯りをふうと吹き消す。

その仕草ひとつひとつが艶っぽく、同年代であるとはとても思えなかった。

エルダの雰囲気は....何だかお母さんみたいで安心する。
勿論私のお母さんに似ている、という訳では無い。

でもエルダという女性を言い表すのに一番相応しい言葉はお母さんだと思うのだ。

この表現を本人が聞いたらきっと複雑な表情をするのだろうが.....



「街は楽しかった?」

調理場で小さな鍋を取り出しながらエルダが尋ねて来る。
私は近くにあった丸椅子に腰掛けながらその様子を見守っていた。

「うん。凄く楽しかったよ。クリスマス直前だからお店の飾り付けとかも凄くて.....」

「へぇ。」
素敵ね、と言いながら彼女は鍋を火にかけ始めた。

エルダが淹れるココアはよく練ってあってとても美味しい。

時間に余裕のある時しか御馳走になれないので、今日はとてもラッキーだった。

「......それで、ツリーも凄く高いの。飾り付けのオーナメントもカラフルで凝っていてね、エルダにも見せてあげたかったなぁ。」

「私も行きたかったわ。みんなとお出かけなんて、何だかとっても楽しそう。」

そう言いながら、エルダがいつもの優しくて綺麗な微笑みを浮かべる。

横顔だけでも、それは私の心を鷲掴みにするのは充分だった。


(......やっぱり、お母さんとは、ほんの少しだけ違うかもしれない....)

だって、こんなに胸が切なく痛むのは....きっと.....


「.....今日はどうして来れなかったの?サシャもユミルも残念がってたよ....。」

不満げに尋ねればエルダがまた小さく笑う。

「アニに勉強を教えてもらう約束をしていたのよ。」
ほら、彼女優秀でしょう?と言ってエルダは鍋の中のココアを練るのをやめてミルクを少しずつ注いでく。
焦がした様なアンバーと白が混ざり合い、優しい色へと変わって行った。加熱されたココアからは濃厚で温かな香りが漂う。

「......そっか.....」

複雑な気持ちで相槌を打てば、彼女は鍋を火から下ろして私の方を見た。

「だから行けなかった分、クリスタの話をもっと聞かせて頂戴。」
ね、と言うエルダの優しい表情に、心に渦巻く不安はたちまち浄化されていく。

私も同じ様にできるだけ優しく笑って、彼女の要望に応える事にした。





調理場でエルダが淹れてくれたココアを飲みながら今日見た事や聞いた事、沢山の話をする。

先程まで話していた街の飾り付け、お店で見つけた可愛いもの、ユミルやサシャが起こす様々な騒ぎ....

彼女はそれにひとつずつ丁寧に相槌を打ちながら聞いてくれた。

それが嬉しくてもっと話したくなり、会話はなかなか止まらない。


「.....それでね、ちゃんと皆にもクリスマスプレゼントも買ったんだよ。エルダにも買ったから....楽しみにしていてね。」

「それは素敵。私も用意しているから楽しみにしていてね。」

「本当?何がもらえるのかなぁ」

「それはクリスマスまでのお楽しみ。」

「......そうだね。すっごく楽しみにしるよ」

「あんまりハードルを上げないで頂戴....」

「大丈夫だよ。エルダがくれるなら何でも嬉しい。」

「......ありがとう。私もクリスタがくれるなら何でも嬉しいよ....」


窓の外にはいつの間にか止んでいた筈の雪が降り始めていた。

エルダと私は群青色の空に舞うそれをしばらく眺める。

外は凍てつく様な寒さだが、一緒に過ごすこの室内はとても温かい。

二人は顔を見合わせて、どちらともなく笑い合った。


「......あのね、エルダにだけ教えてあげるけれど....私、サンタってまだ信じているの」

内緒話をする様に彼女の耳に口を寄せると、エルダはくすぐったそうに目を細めた。

「へぇ....そうなの。」

「絶対に誰にも言わないでね。」

「勿論よ。秘密にするわ。」

「私たちは子供とは言えない年だから、もうサンタは来ないと思うけれど....
小さい、純粋な子の所にはきっと来ると思うんだ。」

「.....そうね。その通りだと思うわ。」

「プレゼントは目に見えるものじゃないかもしれないけれど、一年に一回素敵なものが.....ね。
これは私自身の願望でもあるの。小さい頃からずっとそういう事ばかり考えて、自分の事を慰めて....」

何だか照れくさくなって、半分程中身が減った自分のマグへと視線を落とす。

すると右肩に温かいものが触れて体がエルダへと抱き寄せられるのを感じた。

少し驚いて彼女を見上げると、どこまでも澄んだ温かな瞳が私を見下ろしていた。

私が見た中で一番綺麗な笑顔だったかもしれない。胸の中で心臓が飛び跳ねるのが分かる。


「......クリスタは、本当に素敵な女性ね。」

エルダは耳元で囁く様に呟いた。

「え.....」

突然の言葉に戸惑っていると、彼女が肩を抱く力が少し強まった。

「.......誰も彼も、私たち位の年になれば、世の中の汚いものが沢山見えて来てしまうものよね。
辛い思いや苦しい思い、それ等を経験する度につまらない現実を受け入れて.....
そして、大人になっていくものだと私は思っていたわ。」

エルダは少しの間窓の外を舞い散る雪を再び見上げる。

静かなその声が心地よかった。

「でも貴方はそういうものに捕われないのね.....どこまでも無垢で、真っ直ぐ。
....だからこそ皆貴方が大好きで、憧れを抱くのでしょうね。」
そして私もね、と言ってエルダは微笑んだ。

「私もクリスタみたいな人になりたいわ」


彼女の柔らかな口調でそう言ってもらえた事が...すごく嬉しかった。

....その一言は、どんなに沢山並べられた賛辞の言葉よりも、強く大きく私の胸に響く。

私は沢山迷いながら生きてきて....今も答えは出ていないけれど....

それでも貴方が今、私を肯定してくれた事を....ずっと忘れない....


「.....ありがとう。エルダ.....」

「いいのよ。ココアは一人で飲むより二人で飲んだ方が美味しいわ。」

「そうじゃないの」

「.......そう」

「うん.....。ありがとうエルダ.....。」

「どういたしまして。」


窓の外は深々と雪が降り積もり、寒さも深まっていく。


それでも.....冬がこんなに温かいと感じたのは生まれて初めてで....


私たちのお喋りは尽きず、それは夜のベッドの中まで続いていくのだった....


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