山奥組と眠れない夜 [ 34/167 ]
眠れない夜が時々訪れる。
そんな時....思考はただぐるぐると意味もなく渦巻くだけで、嫌な事ばかりが思い出される。
考えるな、そう自分に言い聞かせても....それはどこまでも追いかけて来るもので....
(.....駄目だ、やっぱり眠れない....)
体は睡眠を必要としている。それでも頭だけはしっかりと冴えてしまっていた。
僕はひたりと足を冷たい床につけて、寝床から立ち上がる。
そして、そのままルームメイト達を起こさない様に部屋をあとにした。
ひたり、ひたりと冷たい廊下を歩く。
夜、一人でいる時間が一番心が安らかだ。
窓からは月明かりが煌煌と降り注ぎ、世の中はまだ深い眠りの中にいるのだと教えてくれる。
辿り着いた食堂は当たり前だが誰もおらず、空虚な空間が広がっていた。
寒々しい床板や剥げた壁紙、空の椅子、時計の針の音だけがやけに大きく、窓ガラスが寒々しく夜を映している....
椅子のひとつに腰掛けてぼんやりと外の景色を眺める。
しばらくそうしていると、心の内側にそろそろと不安が湧き上がってくるのを感じた。
......僕はあと、何回罪の意識で眠れない夜を耐えれば良いのだろう.....
....勿論、心を支えてくれる仲間はいる。
それでも、こうして....誰もいない食堂の片隅に座っている今、僕はたった一人だ....
どうしようもなく、一人なんだ....
堪え難い孤独と閉塞感。
歯と歯が噛み合なくなる。たまらなくなって自分の体を抱き締めた。
誰か....誰でも良い。助けて欲しい.....。僕にも味方がいると、一人ではないと....そう言って欲しい....。
........ふと、肩の辺りに何かが触れた。
突然の事に、びくりと体が強張る。
それはするすると首に回ってきて.....背中全体が温かなものに包まれる....眼下には白い、しなやかな腕が....
「こんばんは、ベルトルト」
耳元で囁く声は、紛れも無く大好きなあの人の声だった.....
「エルダ....なんで...ここに?」
「水を飲みに....。貴方は?」
「.....僕は、眠れなくて....」
「そう.....。」
彼女が淡く笑う気配がする。
「あ、の.....何で、僕を...抱き締めているの...」
「....夜中の食堂の隅で、一人で震えている人が居たから....何かしてあげたいと思って....。
そうしたら、体が自然と....ね。」
嫌だった...?とまた彼女が耳元で囁く。
「嫌、じゃない....」
「良かった.....。」
しばらくの間、エルダは無言で僕の事を抱き締めていた。
人から抱き締めてもらうなんてもう何年ぶりになるだろう。
こんなに温かくて、安心できるものだとは...知らなかった....。
目を閉じる。銀色の粒が目蓋の裏に広がる。より強く、彼女を感じられる様になった。
溜め息がひとつ、口から漏れて行く。
「......僕は不安だったんだ」
「........どうして?」
「......僕は、恐いんだ....。」
「.......何が?」
「......ごめん。言えない。」
「そう.....。」
エルダは僕の首の前で組んでいた腕をそっと解き、テーブルの上に置かれていた掌にそれを伸ばしてきた。
「手にはね....」
僕の手を手中に収めると、親指と人差し指の付け根の辺りをぐっと指で押し込んで来る。心地よい痺れが走った。
「色々なツボがあるの。今のは安眠のツボ。」
彼女の手は僕のものより小さい。その差がなんだかこそばゆかった。
「また眠れない時の為に覚えておくといいかもね.....」
そう言いながらエルダは両手を使って僕の掌を揉み始める。
「中指の先も不眠に効くんだよ....ここは胃が悪い時ね。肝臓、腎臓、肺....」
簡単な解説をしながら彼女は次々とツボを押して行った。
しばらくされるがままに手を指圧されていると、体がじんわりと温かくなってくる。
「掌は体の縮図だからね....。不安や焦りで強張ってしまっている夜は、ひとつずつ丁寧に...安心しておやすみなさい、とほぐしてあげるんだよ」
はい、終わり。と言ってエルダは手を離した。
先程まで触れられていた掌をじっと見ていると、彼女が隣の席に腰掛けて来る。
「.....どうかな。ちょっとは...眠くなった?」
そう言いながら、やや不安げに僕の顔を覗き込んだ。
「.......うん。ありがとう。」
「.....ごめんね。こんな事しか出来なくて.....。」
「そんな事ないよ....。ありがとう。」
「そっか.....。じゃあ、良かった....」
エルダがほっと息をつく。
「エルダは...いつも、優しいよね....。」
自分の手にそっと触れながら言葉を零した。
「おせっかいなだけだよ」
「そうかな....。」
「そうだよ。」
......出来る事なら、もう一度触れて欲しかった....。僕の掌に。
.......そうか、僕が彼女の手に触れれば良いんだ。
.....向こうからの行動に期待して待つ事は、無い.....。
気付くと、エルダの机の上の白い手に、自分のものを重ねていた。
彼女は驚くでも無く、穏やかに目を細める。
「エルダ」
「......なに?」
「......僕からも、抱き締めて良い?」
「.......いいよ。」
エルダはゆっくりと僕の方に向き直る。
薄緑色の目が、暗い食堂の中できらりと光り....綺麗だなぁ、と思わず見とれてしまった。
その日の僕はどうにかしてたと思う。
普段なら決して口に出来ない様な事を要求し、更に行動に移した。
僕の腕の中には今.....エルダがいる。
「ベルトルト、さっきより体温が高くなっているみたい。.....眠くなってきたんじゃない?」
彼女も僕の背中に腕を回してくれた。
「うん....。でも、今はまだ寝たくない。....こうしてたいんだ。」
「そう....。」
「.....ごめんね、付き合わせて....」
「ううん。.....不安な時とか、怖い事があった時は...いつでも言ってね。力になれたら嬉しいから....。」
「......うん。」
「ベルトルトはすごく優秀で、私なんて頼りないかもしれないけれど....。
でも、私も貴方の友達だから....。」
そこまで言うとエルダは少し恥ずかしそうに僕の胸に顔を埋めた。
「とにかく、今夜はとことん貴方に付き合うよ....。」
くぐもった声が胸の内から聞こえる。
(......可愛い)
彼女の旋毛を見ていると頬が緩んできた。さっきまで悩んでいた事なんかすっかり忘れてしまう。
......エルダにとってこれは何でも無い行為かもしれないけれど、僕には夢にまで見た事だった。
柔らかい体も、優しい匂いがする髪も、全部....今だけは僕のものだ。
二人で抱き合っているこの瞬間は確かに存在している。夢じゃない....。
「ん?ベルトルトここにいたっ.....!?」
その時、ライナーが食堂に入って来た。
僕の姿を確認した後、その腕の中にエルダがいるのを発見し、入口で固まってしまっている。
明らかに見てはいけないものを見てしまった、という顔だ。
「あ、ライナー」
エルダが僕の胸から顔を上げて彼に笑いかける。
しかしライナーは以前固まったままだ。
それを不思議に思った彼女がもう一度名を呼ぶ。.....が、反応無し。
エルダはしばらく頭上に疑問符を浮かべていたが、やがて僕の腕の中から離れて立ち上がり、ライナーの方へ一歩踏み出す。
そして両手を広げ、それはもう惚れ惚れする様な優しい笑顔で一言「おいで」と言った。
「!!.........」
ライナーの頭の中で様々な逡巡があった様だが、我に来たれとでも言う様に腕を広げて待っている彼女の凄まじい引力には逆らえなかったらしく、よろよろとその腕の中に収まっていく。
「ライナーはやっぱりすごいね。両手がまわらないよ」
エルダが楽しそうに笑いながらライナーの体を抱き締める。静止した状態からようやく抜け出してくれたのが嬉しかった様だ。
「そういうお前は簡単に腕が回るぞ。.....本ばかり読んでないでちょっとは鍛えろ。」
そんな彼女の様子からライナーも安心した様で、ほっと息を吐くと機嫌良くその背中に腕を回す。
「これでも頑張ってるんだけどなぁ....。」
「....どうだか。何だこの肩は。ぺらぺらじゃないか」
「そんな....紙みたいに言わないでよ...」
抱き合う二人を見て、僕の心は不思議と温かだった。
好きな女の子が他の男と抱き合っているなんて、普通嫌な気分になるものだろうけど....
一言で言うと、嬉しかったのだ.....。
僕は今、一人じゃない。
ライナーがいてくれて.....エルダも傍にいる。
今、穏やかなこの時が、ずっと続けばいいのにと...本気でそう思ってしまったんだ。
寝てしまうのが惜しい位素晴らしい夜だけれど、何だか目蓋が重くなって来た気がする.....。
でも....寝てしまっても明日また会える。
それが楽しみで仕方がないのだった.....。
ノーラ様のリクエストより。
山奥組をギューっと抱きしめるお話で書かせて頂きました。
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