ユミルと図書室 [ 35/167 ]
とある夜、エルダが図書室で本を読んでいると隣からがたりと椅子を引く音がした。
その方向に顔を向けると、意外な人物の姿が目に入る。
「ユミル....」
「....よう」
「貴方が図書室なんて珍しい。」
「私だって好きでこんな黴臭い所に来た訳じゃねえよ」
「じゃあどうして?」
「部屋でガキ共がうるさくて眠れないんだよ。ったく恋愛の話になるとどいつもこいつも色めき立ちやがって」
「いやねえ、年寄り臭いこと言って。そう言うユミルだって気になる男性の一人や二人はいるでしょう?」
「.....いねえよ」
「じゃあ女性には?」
「.......クリスタかな」
「だと思った」
エルダはくすりと目を細めた。
眼鏡越しの瞳の色の優しさに、胸を鷲掴みにされた様な気持ちに一瞬陥る。
ユミルは頭を小さく振ってその感覚を振り払った。
「.....そういうお前は、いねえのかよ...。気になる奴とか....」
「あら、気になる?」
「.....がたがた言ってんじゃねえよ。いるのかいねえのか」
「男の人はあまり得意じゃないからね...いないよ。」
「でけえ二人とはよく話してるじゃねえか」
「......あの二人は....あんまり男の人って感じがしないから楽でいいわ。だから好きよ。」
「.....じゃあ女は」(あいつ等男として見られてなかったのかよ...。可哀想に)
「そうね。.....ユミルの事が気になるかな」
「.....は」
「冗談よ」
「.......そういう冗談やめろよ。気色悪い」
「ごめんなさい。でもユミルの事好きなのは本当よ」
「私はお前なんか大っ嫌いだ」
「悲しいなあ」
そう言うエルダは全く悲しそうじゃない。むしろ楽しそうだ。
.........またこいつのペースに巻き込まれている.....。
何だってエルダの一挙一動にアホみたいに反応しなくちゃならないんだ.....
.......バカみてえ
「私は寝る。.....お前いつまでここにいるんだ」
「閉館までいるつもりよ」
「じゃあ出る時起こせ。その頃には部屋も静かになってるだろ」
「了解しました」
「.....寝てる間に何かすんなよ」
「それはして欲しいという前振りかな」
「違えよ!」
「はいはい何もしませんよ。」
「チッくたばれ」
「こら女の子がそんな事言わないの」
その言葉を無視する様にユミルは机に突っ伏して寝る体勢を取る。
エルダはそんな彼女を見てほうと息を吐いた後、小さく微笑んで「おやすみなさい、ユミル」と言った。
*
体を揺さぶられてユミルは目を覚ました。
結構ぐっすり眠ってしまったらしく、頭がぼんやりとしている。もう閉館時間だろうか。
しかし目を開けた時、辺りが想像以上に暗くて驚く。
室内の灯りは全て消されてしまっている様だ。
「.....ユミル、ごめんなさい....」
隣を向くとエルダが申し訳無さそうにこちらを見つめていた。
「.....おい、これはどういう事だ」
寝起き独特の低い声で彼女に問いつめる。
「本当にごめんなさい....。私も気付いたら一緒に寝てしまっていて....。それで起きたらこういう状況に....」
時計の針は閉館時間をとうに回っていた。......どうやら面倒な事になってしまった様だ。
「......駄目元で扉を確認してみようぜ。鍵の掛け忘れがあるかもしれねえ」
......しかし、重い扉はぴったり閉まっていて、窓も全てきちんと施錠されている。ユミルは頭を抱え込んだ。
「ごめんなさい.....私の所為で....」
「くそ、全くだ....。窓でも割って脱出するか?」
「.....処罰の対象になるよ。弁償のお金も無いし」
「あぁ、朝までお前みたいなクソ女と二人っきりかよチクショー」
「.......そうだ。もしかしたら合鍵がカウンターの中にあるかもしれない。私、探してみるよ。」
エルダがぽんと手と手を打ち合わせてカウンターがある場所へと向かう。
彼女の遠ざかる後ろ姿を見つめていると、心の片隅に本当にほんの少しだけ鍵が見つからなければ良いという気持ちが芽吹いた。....だが、それには気付かないふりをした。
「きゃっ」
少しして、エルダの短い悲鳴とびたんという派手な音が本棚の向こうから聞こえてくる。
何かと思って音がした方に赴くと、地面に倒れ臥して呻く彼女の姿がそこにあった。
「.....おい、大丈夫かよ」
声をかけながらエルダの体を起こしてやる。随分と派手に転んだものだ。おそらく暗闇から本棚に足を取られてしまったのだろう。
「.....うん大丈夫....。そ、それより折角見つけた鍵が今の拍子に飛んで行っちゃったよ.....。」
「はぁ?.....お前って肝心な所でドジ連発すんなぁ....。この間抜け」
「......返す言葉もございません....。」
その時、本棚の下で何かが反射したらしい光がユミルの視界を霞めた。
(............。)
彼女は微かな銀色の光を見つめて思案する様に黙り込むが、すぐにその本棚に背を向けて鍵を懸命に探すエルダの方へと歩き出す。
「どうしよう....。折角出られると思ったのに.....。」
「.........なくなっちまったもんは仕方無えよ。朝には開くだろ。それまでここにいようぜ」
「うん.....ごめんなさいユミル....。」
「良いってもう」
しょんぼりとするエルダの手を引き、元居た席に着席する。
灯りは全て消されてしまっているが、今夜は満月の為窓から降り注ぐ光がとても明るい。
青ずんだ空にはまっ白な雲が流れて、時折古びた本棚が軋む以外は音ひとつしない静かな夜だった。
「.....明るいね、空。」
「そうだな.....。」
「皆はもう寝ているかな」
「さぁな.....。お前、眠くないのか」
「うん。.....不謹慎だけれど、何だかわくわくしちゃって」
その言葉にユミルはエルダの額を軽くはたく。
「ったく....。何楽しんでんだてめぇ」
「ごめんなさい。この埋め合わせは必ずするよ」
「当たり前だ」
.......ユミルは、鍵の在処を知っていた。
だが、わざと知らない振りをした。
その理由は、彼女自身にも.....よく、分からない。
「......お前、眼鏡変えたんだな」
ふと、エルダの眼鏡の形が変わっている事に気付く。銀色のフレームが真円に近かった以前とは違い、楕円になっている。
「そう。.....似合う?」
「....前は年寄り臭過ぎたからな。良いんじゃねえの」
「それはもうアニの見立てだもの。彼女センスが良いから....」
「..........。」
ユミルは無言でエルダから眼鏡を奪い去った。
「ちょっと何するの。この暗さだと私、何も見えないよ」
「こんなんつけるなよ。......つーかいつ二人で出掛けに行った。」
「この前の休みよ。貴方が一日中寝ていた時。」
「......起こせよ」
「何故?.....ほら、返しなさい。」
ユミルの手から眼鏡を取り返して再び顔に掛ける。悔しいがそれはエルダにとてもよく似合っていた。
「お前さ、やっぱりあの女とできてんじゃねえの」
「いやだ、そんなんじゃないよ....」
「健全な10代として一人くらい好きな奴いるだろうよ....。それとも本当に身も心も婆なのか」
「......驚いた。ユミルがこういう話をするなんて。」
「文句あんのか」
「怒らないの。.....さっきも言ったでしょう。ユミルが好きよ」
「本当.....やめろよ。そういう冗談.....」
ユミルが溜め息を吐いた。
「私の目にはね、男の人よりユミルの方がずっと素敵に映るから...強ち冗談とも言い切れないよ....。」
頬杖をついてぼんやりと中空を見つめながらエルダは呟く。
その白い横顔を見ていると、また胸が締め付けられる様な感覚に陥った。
「お前、女好きだったのか。何となく予想はしていたが....」
「そうねえ。男の人は少し苦手だからもしかしたらそうかも....」
「うげ。襲うなよ」
「......体格的貴方を襲うのは私には不可能よ」
二人は月明かりの下でぽつりぽつりと会話を交わし続けた。
時計の針はもうすぐ日付を越えようとしている.....
「実を言うとね、私.....今日ユミルと二人で閉じ込められて、良かったと思ってるの...」
エルダがこちらを向きながら淡く笑った。
「........何でだ」
「だって何だか楽しいじゃない?」
「......能天気な奴」
「私がユミルを好きなのはね...格好良いから....一緒に居て、楽しいから....色々理由はあるけれど....やっぱり貴方が優しいからだと思う。」
「何だよ....突然」
「ユミルがいつも皆の事を気にかけているの、知っているもの....。だから、貴方の傍はいつでも落ち着く。」
こうしている今も、ねと言いながら彼女はユミルの手をそっと握る。
「.....私はお前なんか嫌い.....大嫌いだ.....。」
そう言いながらもエルダの手を振り払う事ができない。
「それは残念」
彼女にはユミルの心の内などお見通しの様だ。いつもの様に優しく笑っている。
「.....私は寝る。お前とはもう話したくねぇ」
右手は繋いだまま、空いている方の手を枕にしてユミルは机に顔を伏せた。
エルダは彼女の様子を可笑しそうに見つめた後、優しくその黒い髪を撫でる。
「おやすみなさい、ユミル」
その返事は無かった。
しばらく彼女はユミルの髪を撫でていたが、やがて自分も眼鏡を外す。
ぼやけた視界の中で金色の月だけが光の球の様に明るく見えた。
時計の針はとうの昔に日付を越えている。
この上なく穏やかな気持ちで、エルダはゆっくりと目を閉じるのであった.....
御門様のリクエストより
ユミルと二人きりのお話で書かせて頂きました。
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