山奥組と木漏れ日の中で [ 36/167 ]
「エルダはさ、目が綺麗なのは勿論なんだけど髪も綺麗なんだよね」
とある猛暑の休日、訓練場の木陰で伸びていたライナーにベルトルトは話しかける。
ライナーはまた始まった、と若干うんざりしながらそれに耳を傾けた。
「一本一本が細くて長くてさ....一回でも良いから梳かさせて欲しいなぁ....」
「......ん?そういえば昨日小耳に挟んだんだが、エルダは髪を切るらしいぞ」
何気なく言った一言だったが、それはベルトルトに多大なるダメージを与えたらしい。
ショックで顔が青ざめている。
「........へ、切る?.....僕があの髪に触った回数なんて数える程しかないのに....」
「落ち着け.....まだ切ると決まった訳じゃないだろう....。ん、噂をすれば影だ。」
ライナーの視線の先には本を小脇にゆっくりと訓練場を横切るエルダの姿があった。
久しぶりに髪を下ろした状態で歩いている。夏の日差しを受けて淡く光るそれは確かに見事だった。
「やっぱり切るなんて駄目だよ....。勿体なくて涙が出る....」
「うわぁ、本当に泣くな。気持ち悪い。
....今から説得しに行けば良いじゃないか。今日は周りに女連中もいないみたいだし」
「.....そうだね。そうしよう。.....って何でライナーもついてくるの」
「お前一人じゃ話が進まないだろう。」
「ふーん....。まぁいいけれど....」
やや不満そうなベルトルトとライナーは並んで木陰から歩き出す。暴力的なまでの太陽がじりじりと体を焼いた。
エルダは特にその暑さを気にする素振りもせず、スタスタと迷いの無い足取りで歩いて行く。
彼女の真っ白なブラウスが日の光を反射して眩しい。
女一名を尾行する巨大な男二名。何とも異様な構図である。
しかし林の中を進んでいると、ある瞬間にエルダの姿がふっと消えた。
「え.....」
突然の事にベルトルトが小さく声を上げる。彼女が消えた辺りまで走って近寄ってみるがどこにもその姿は見当たらない。
「大丈夫だベルトルト。これを見ろ。」
後から追い付いたライナーが生い茂る木立の中に細い路を発見する。
注意深く観察しないと分からない程の狭さだ。
その中を覗き込むと遠くの方にエルダの白いブラウスが木の間を見え隠れしていた。
「しかしこんな所よく見つけたな....」
ライナーは感心した様に呟きながら、体を横にして進む。ベルトルトもその身を屈めながら彼の後に続いた。
狭い小径の中を進むのに手間取っていると、またしてもエルダを見失ってしまった。
二人は顔を見合わせたが、仕方が無いのでとりあえず真っ直ぐ進む事にする。
ただひたすらに前へ進んでいると、急に開けた場所へ出た。
どうやら先程まで進んでいた場所は丘の斜面になっていたらしく、現在の場所からは訓練場が一望できる。
ベルトルトがその景色に見とれていると、ライナーがとんとんと軽く肩を叩いてきた。
何かと思ってそちらを見ると彼は無言である一点を差している。
その指の先を辿ると、椎木の幹に寄りかかって気持ちよく眠る目当ての人物がいた。
「......寝てるな」
ライナーが呟く。
彼女の傍に近寄るが、一向に起きる気配が無い。
二人は再び顔を見合わせてもっと距離を詰めてみる。.....が、その瞳は固く閉ざされたままだ。
エルダが本格的に寝ているのを確認すると、ライナーは近くに跪いてその頬に軽く触れてみた。
(......柔らかい)
「.....ライナー、本人の許可無く触るのはどうかと思う」
「.....そんな目で見るな....。ちょっと触っただけじゃないか。
何ならお前も今のうちに触っとけ。ここまで無防備な状態はまたとないぞ」
ライナーは笑いながら寝ている彼女の頭をぽんぽんと撫でる。何だか楽しそうだ。
ベルトルトは目を閉じて少し逡巡した後、恐る恐るエルダの方へと手を伸ばし、彼女の頭髪を一掬い掌に乗せてみた。
相変わらずそれは素晴らしい触り心地だった。
(やっぱり....切って欲しくないなぁ....)
それをそっと手で梳きながら思う。
短い髪のエルダだって勿論可愛いと思うのだけれど....それでも僕は....
「二人共」
割と好き放題エルダの事を弄っていた二人の手がぴたりと止まる。
決して高くは無いが、明らかに男性のものとは異なる声。
それは紛れも無く眠っている筈の彼女の口から漏れたもので....
「私は起きているのだけれど」
ゆっくりと薄緑色の瞳が現れる。
そして困った様に笑って二人の顔を見つめた。
「......いつから起きてた」
「二人がここに来た時にはもう」
気まずそうに問い掛けるライナーにエルダはややぼんやりとした口調で答える。
ベルトルトは頭を抱えてひたすら死にたいと思っていた。恥ずかし過ぎる。
「黙っているなんて性格悪いぞ....」
「ごめんなさい、ライナー。起きるタイミングを逃してしまって....
ん?どうしたのベルトルト」
立ち尽くすベルトルトに自分の隣を促しながら彼女はライナーと話を続ける。
「それにしてもよくここまで辿り着いたね。ここに来たのは二人が初めてだよ」
「まぁな。偶然だ。偶然....」
「エルダはこの場所で何をしてたの?」
若干復活したベルトルトが尋ねた。
「.....何を、ではないけれど...ここは椎木の分厚い葉が気持ち良い木陰を作ってくれるから....」
ね?とエルダが笑いかける。
確かに、ここにいると今日のひどい暑さがあまり気にならない様な気がする。
三人は少しの間目を閉じて、木陰を通り抜ける微かな風を感じていた。
「私の数少ない特技」
エルダが呟く。
「気持ちの良い場所を見つける事。」
淡く笑った彼女の頭にライナーが優しく手を置く。
「猫みたいな奴だな。」
そう言って撫でてやればエルダは嬉しそうに目を細めた。
「ふふ。この場所は長い間、私だけのとっておきの場所だったけれど....今日からは三人の場所になったね」
「....また、ここに来ても良いの....?」
ベルトルトが仲睦まじくする二人を羨ましそうに眺めながら尋ねる。
「勿論。皆には内緒にしてね。」
「うん....。するよ。絶対内緒にするよ....!」
ベルトルトの頬に微かに朱色が差す様を、ライナーは微笑ましそうに見守った。
しかしふと、当初の目的を思い出す。
「エルダ、髪を切るというのは本当なのか?」
と、尋ねれば彼女はあぁ、という表情をした。
「うん。この暑さでしょう。長い髪って結構大変だし切ってしま「.....駄目。」
髪の毛をくるくると弄っていたエルダの手が自分のものより大きな掌で掴まれる。
「......?」
その行為にライナーは驚いて目を見張った。
深夜の食堂での一件から、何やらベルトルトは積極的だ。
彼の中で何か変化があったのだろうか.....
「.....駄目?」
エルダが恐る恐る尋ねる。彼女もまた、いつもと少し違うベルトルトに多少驚いていた。
「駄目。....一体、何処まで切るつもりなんだ」
「うーん。貴方くらい?.......っと、冗談よ。そんな目で見ないで」
「.....とにかく、絶対駄目だから。」
「どうして?」
「......そ、れは....」
途端にベルトルトの歯切れが悪くなる。
エルダは答えを待つ様に首を傾げて彼を見つめた。
ライナーはハラハラしながらその様子を眺める。
ベルトルトは一息ついた後、意を決した様に彼女の手を握りしめながら口を開いた。
「.......僕が嫌なんだ。」
少しの間。
エルダは自分の手を握るベルトルトの掌に空いている方の手をそっと沿えて、柔らかく微笑んだ。
「.......それならよしましょう。」
その一言にライナーとベルトルトはほっと胸を撫で下ろした。
「今度、もし切ろうと思ったら....僕にまず相談して」
未だに手を離す気配の無いベルトルトが真剣な表情で訴える。
エルダは彼を安心させる様に視線を合わせながら、「しばらく切らないわよ。貴方が悲しむもの」と言った。
「......じゃあ、僕の為に伸ばしてくれるの?」
「そうだよ。ベルトルトの為。」
「......髪、今度また....触っても良い?」
「いいよ。」
「.....梳かしても、良い?」
「勿論。そんな事して楽しいの?」
エルダは可笑しそうに笑う。
「うん....凄く、幸せな気持ちになる....」
「それは良かった」
ベルトルトはこの上なく嬉しそうに目を細めた。エルダもそれを見て何だか胸が一杯になる。
......今度、この場所で...彼に髪を梳かしてもらおう。
それは、とても素敵な考えだと思った。
「.....確かに俺もお前は長い方が似合うと思う。この長さは訓練兵にも中々いないからな」
ライナーが彼女の髪を一房摘みながら言う。
木漏れ日が反射してきらきらと光るのが綺麗だ。やはり自分のものとは違う。
「朝結うのが面倒なのよ。だから私、皆より早く起きなくちゃいけなくて....」
「まぁ、俺達の為だと思って頑張ってくれ」
「うふふ。大丈夫よ。早起きは得意なの。」
「見習いたいものだな.....」
「あら、ライナーは朝が苦手なの。意外だなぁ」
「......ベルトルトはもっと苦手だ」
「あらあら、大変ね。でも朝早く起きて散歩すると気持ち良いのよ。目も覚めるし。」
「なんというかお前は....本当に10代なのか?60才位サバ読んでるだろう....」
「まぁ失礼な。貴方だって10代には見えないよ。
それに毎朝の散歩でこういう素敵な場所を見つけられるんだから、良いものだと思うのだけれど...」
周りの友人にも年寄り臭いと良く言われるし....そんなに老けて見えるのかな....
「....あのさ、エルダ....。もし僕が早く起きれたら....一緒に散歩しても良い?」
若干落ち込んでいたエルダにベルトルトが声をかける。
「勿論良いけれど....。結構早いわよ。まだ薄暗いうちだもの」
「うん...。大丈夫。これを期に早く起きれたら...って思うし....」
.......その先は、まだ言葉にならなかった。
でも....良いんだ。少しずつで良い。この気持ちは大事に育てて行こう....。
エルダを好き。
それだけで心はこんなに......
「それじゃあ朝、ここで待っているよ。無理しないで来れる時で良いからね。」
「ありがとうエルダ。僕、頑張るよ....」
「うん。頑張って。」
そしてエルダはもう一度笑う。
その笑顔に胸の奥がぎゅっと締め上げられた。
前より少し....君に近付ける様になったけれど....
駄目だ。まだまだ....こんなのじゃ全然足りない。
だから、少しでも君との距離が縮まる様に....僕は、頑張るよ...。
椎木の葉の隙間からは真っ青な空が覗く。
三人はそこから注がれる澄んだ光を浴びながら、取り留めの無い話を続けるのだった.....
つばさ様のリクエストより。
山奥組が噂をしている時に偶然通りかかり、悪戯される話で書かせて頂きました。
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