光の道 | ナノ
アニと雨の夜 [ 32/167 ]

目を覚ました時、辺りはまだ真っ暗で外は激しい雨が降りしきっていた。

ぼんやりとした頭でバケツをひっくり返した様なその音に耳を澄ます。

しばらくすると、宿舎の狭い窓から強い光が差し込んで来た。その少し後、遠くはない場所に落雷の音が。


(.....雨は地面がぬかるむから嫌いだ....)


毛布を頭まで引っ張り上げて寝返りをひとつ打ち、再び眠ろうと思った時、もぬけの殻となった窓際のベットが目に入る。


(........?)


手洗所だろうか。

ふと疑問を感じて温かい寝床から抜け出し、彼女のベットにそっと手を当てる。


(.......冷たい)


何故....?こんな時間に毛布の中が冷たくなってしまう程の時間を...一体何処へ....?

形容し難い不安が胸の内でむくりと起き上がる。


.....彼女はどこか掴みどころの無い人だ。気付くと知らない場所へ消えて行ってしまいそうでたまらなく不安になる。

だから....こうして夜中目を覚ました時、朝起きた時、普段の日常の中でその姿が目に入る度に安堵するのだ。

今日もエルダは私の傍にいる....いてくれる....と。


しかし今、彼女のベットは空っぽだ。

そんな筈は無い、という気持ちともしかしたら、という気持ちが絵具の様に混ざり合って、胸の内を塗りつぶす。


「エルダ....」


その名を小さく呼び、私は冷たい廊下へと足を踏み出した。







誰もいない、静まり返った宿舎の中....。あの子の姿が見えないだけで世界に一人きりになってしまった様な....

何故、何故いないの...?

お願いだから姿を見せて欲しい。名前を呼んで欲しい。温かい薄緑の瞳で見つめて欲しい。

それだけで良い。傍に居てくれるだけで良い.....。だから.....


「エルダ.....!」


ようやくその姿を見つけた時、名前を呼ぶ声は掠れていた。深い安堵が押し寄せる。

しかし彼女は、私の声が聞こえている筈なのに振り返ってくれない。

地下の物置へと続く埃っぽい階段に腰掛けているその後ろ姿は、確かにエルダのものなのに....


「エルダ.....」


もう一度名前を呼ぶ。やはり無反応だ。


.....本当に、これは彼女なのか....?

だって....エルダは私の声を無視したりしない....!


ぎしぎしと音のなる古びた木の階段を一気に降り、それの前に回り込む。

.....だが、確かにそれは彼女だった。私の....好きな....


「......アニ」


私の姿を認めた彼女はようやく反応を示す。その顔は青白く、膝に乗せた指先が微かに震えていた。


「エルダ.....」

明らかに異常な状態だった。ここまで余裕の無い姿は初めて見たかも知れない。

「.....どうしたの」

同じ様に階段に腰掛け、冷えた指先を包み込む。エルダは目を伏せて黙り込むだけだった。


.......近くで雷が落ち、雨が激しさを増している事を物語ると、掌の中の指は一段と震えを増す......


「....もしかして....雷が怖いの....?」

そっと尋ねると、彼女の首はゆっくり縦に振られる。


.....真剣に怖がっている本人には悪いが可愛いと思ってしまった。


「......そう」

そして、小さく愉悦に浸った。

弱っている今の間なら....彼女を私のものにできる。

.....優しく、温かく包み込んで、慰めてあげよう。

ほら....今あんたが頼れるのは、私だけなんだよ.....。


「大丈夫よ」

そう言いながらその肩を抱く。たおやかな丸みを持った、私の好きな肩....。

「私がいるわ」

そのまま髪を撫でる。細くさらさらとして、一本一本が愛おしい...。


恐怖で固まっているエルダの体はまだ解けない。心も閉ざしてしまっている様だ。

でも....その手がそっと私の服を掴んだのを見て、愉快な気持ちが胸に広がる。


「.....あんたは今何をして欲しいの」

耳元で囁く。

「言ってくれないと分からないわ」

口角が上がるのを隠し切れない。


「.....私は....アニに...」

「....うん?」

震えるその声の先を促す。

「......抱き締めて欲しい....。」

言われるがままにその体を抱いた。石鹸の清潔な香りがする。

「.....それから?」

できる限り優しく、甘い声で尋ねた。


その時、また雷の音が振動を持って鳴り響く。


エルダの肩がびくりと跳ねた。


「....もっと強く抱いて欲しい....」
アニ、ごめん...と絞り出す様な声が胸の内で聞こえる。

その体をきつく....でもとても大事に抱き締めた。


嬉しかった。

あのエルダが....こんなにも弱く、頼りなくなって、私の体に縋っている....

なんて素晴らしい夜だろう。毎日が雷でも良いのに....

.....いいえ。頻度が多くなって他の人間にこの事がバレると面倒だ。

....私だけが知っていれば良い....


「ねえエルダ...」

私の首筋に顔を埋める彼女の髪をゆっくりと梳きながら呼びかける。

「怖い時はいつでも私のところに来ると良い....。私のところにね....」

「アニは優しいね....。」
本当、こんな年になって恥ずかしいよ、と少しずつエルダも話せる様になってきた様だ。

「.....優しくなんてないわ」

だって....これは全部自分の為だから.....

「アニ」

彼女も私をきつく抱き締めてくる。互いの柔らかなところが触れ合い、とても温かい。

「.....名前を呼んで」

目と目の距離が近い。エルダの瞳はいつ見ても綺麗だ。

「....エルダ」

そっと呟くとそれは優しく細められる。

「傍に居ると言って....」

彼女の指が頬に触れる。もう震えは止まっていた。

「私が傍に居るわ.....」

「アニ....」

頬を撫でていた手がそっと添えられる。

エルダは優しくそこに唇を落とすと、「ありがとう....好きよ。」と言って微笑んだ。

私も同じ様に微笑んで、「....私も」と小さく零す。


「.....不思議ね。あれだけ怖かったのに...アニが居てくれるだけでもう平気....」

「.....そう」

「朝まで....一緒に寝ても良い?」

「仕様が無い子だね....」

「.....ごめんなさい。でも離れたくない....」

「....いいよ。これは貸しにしておくから」

「うん....。お手柔らかによろしく....」

「さぁ....。どうだろうね」


体を離す時、名残惜しさからその頬に私からもキスをする。


相変わらず雷は鳴り止まない。でも....彼女はもう笑っていた。

私が笑顔にしたんだ。.....私だけの...笑顔だ。



同じベットに入って、その体を抱きながら眠りに落ちる時、このままずっと夜なら良いのにと思う。

自分の役目もここに居る理由も全部捨て去って...このベットの上だけ永遠の夜に閉じ込めれたら....



.....それでも朝は来る。

辛い夜、幸せな夜、どんな夜にも必ず終わりは訪れる......



「晴れたね」

上機嫌でエルダは朝食のスープをスプーンで掬う。

隣の席から自分のパンへと伸びて来るサシャの手をべちりと叩くのを忘れずに。

しかしそんな彼女に反して正面の席に座るユミルとクリスタはやや不機嫌だ。


「.....何であの女のベットの中にいたんだ」

「.....内緒」

「はぁ?言えない様な理由なのか」

「ちょっと恥ずかしいから....」

「恥ずかしい!?お前等何してやがったこのやろう」

「...そうだよ!夜中に二人してどっかいなくなってたし...」

「マジかよクリスタ!」

「.....うん。しかも私が確認した時には二人共ベットが冷え込んでたし...」

「....二人きりで?夜中に?....色々怪し過ぎるぞ、おい」

「ちょっと位何があったか教えてくれてもいいじゃない....」

「ええとね.......やっぱり駄目....。」

「エルダ、顔が赤いですよ」

「.....赤面する様ないやらしい事してたのか?」

「してないよ!...してない...かな?」

「何で自信無さげなんだよ....!」

「とにかくもうあまり聞かないでよ....サシャ!そのパンは私のだと何回言ったら「御馳走様です「もう無い!?」


それから一週間近くに渡りエルダは、ユミルとクリスタに雨の晩の事をしつこく尋ねられて辟易する事となる。

その光景を遠くから眺めながら、アニは一人満足そうに微笑むのであった....



秋津様のリクエストより。
アニに甘えて、アニが内心喜びながらも甘やかす話で書かせて頂きました。



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