光の道 | ナノ
同郷トリオと病の話 03 [ 29/167 ]

(......熱い.....。)

目を覚ますと、体中が汗でしっとりと濡れてしまっているのが分かった。

(.....確か近くにタオルが.....)

辺りはすっかり暗くなっている為、さっぱり室内の様子が分からない。

半身を起こし、手探りでサイドテーブルの方へ手を伸ばすと、その手を誰かに掴まれるのが分かった。


「......え」


......誰か....居るの?


月の光にぼんやりと輪郭を照らされたそれは間違えなくよく見知ったその人で.....


「ベルトルト.....」


彼はただ黙ってこちらを見つめている。

彼は元から寡黙な方だったが....この押し黙り方はおかしい。


「どうしたの......」

寝起きのよくまわらない舌で彼に尋ねる。

ふと、自分の腕を握っている彼の手が震えているのが分かった。

ただ事ではない様子に彼の事をじっと見つめ返す。


「エルダ.....」


掠れる声で名前を呼ばれて、頬を撫でられる。

大きくて冷たい手の感触に皮膚が粟立った。


頬を撫でていた手が、ゆっくりと体に回って行く。

ベルトルトはひとつ息を吐いた後、強い力でエルダの体を抱き締めた。


「ベルトルト....どうし「エルダ」

エルダの言葉は彼の声に遮られる。

「......エルダは何で....兵士になろうと思ったの?」

「え.....」

痛い程の力が腕にこもっている。エルダの体の熱がじんわりとベルトルトに吸収されていく様だった。

「.....お父さんが殺された復讐の為.....?」

その声はひどく苦しそうだ。

エルダは.....ベルトルトのそんな状態を見て、胸が強く締め付けられるのを感じた。

彼は何かを恐れて、悲しんでいる。

.....自分は彼の事が好きだ。出来る事なら....その痛みを取り除いてあげたい。

「.....ベルトルト、私は復讐の為に兵士になった訳じゃないよ....」

強い力に圧迫されながら、何とか言葉を紡ぐ。

「それでも....悲しくて...怒っているだろう...?
君は....お父さんが死んでしまった原因を...許していないだろう...?」

自分の首筋に顔を埋めた彼の表情は読み取れない。
それでもそのか細い声色が....全てを物語っていた。

「そうだね....許していないよ....」

エルダはそっとベルトルトの事を抱き返した。彼の体がびくりと震える。

「でも....別に復讐するつもりは無い....。
怒ったり悲しんだり恨んだり...そうする事は簡単だけれどそれでは何も解決しないもの。」

「それじゃあ君はどうするつもりなの....」

「.....何故あの時....父さんは死ななくてはいけなかったのか....。その理由を知って....納得したいだけよ。
だって悔しいじゃないの...。自分の大切な人が死んだ理由も分からないまま、どこかで看護士にでもなって生きていくの?....私は絶対嫌だな。」

「危険な目に沢山合うかも知れないよ....それだけの理由の為に...?」

「勿論。命を懸けるだけの価値が....あると思う。」

「......エルダ」

「なに?」

「.....ごめんなさい.....。」

「.....謝る様な事をしたの....?」

エルダの問いに、ベルトルトは答えなかった。
ただ、しっかりと彼女を抱き寄せたまま、静かに深呼吸をする音が聞こえる。

「そう......。」
エルダはゆっくりとそう言って、窓の外に浮かぶ月を見た。

半月を背景に枯れ枝のシルエットが物悲しげに浮かび上がっている。

「......本当に....ごめんなさい....」

ベルトルトはもう一度そう言うと、彼女の体を更に強く抱き締めた。







「熱はもう引いたの...?」

アニに付き添われて女子寮に戻る途中、銀色の半月を見上げているとそう声をかけられた。

「うん、もう微熱くらい。多分明日にはまた元通りに訓練に参加できると思うな。」

「そう....。」

どちらともなく手を繋いで道を歩む。時折冷たい風が吹いて二人の周りに落葉を舞わせた。

「.....そうだ、これ、ライナーから....。」

アニからすっと布に包まれた何かを渡される。布を広げてみると、中には眼鏡が入っていた。

「何だか渡しそびれたらしいよ...。あと、『危ないからサイズの合う眼鏡を買え』とも言っていた。」

エルダは苦笑しながらその眼鏡をかける。
相変わらず少しゆるいが、夜の風景がようやくはっきりと見える様になった。


この眼鏡を通して見る景色は...きっとお父さん...、貴方が見た景色と同じ....。

貴方はずっと一人で旅を続けて、様々な風景を見て来たけれど....本当は帰るべき自分の居場所が欲しかったのでしょう....?

貴方は好きで旅の暮らしをしている訳では無かった....。




『エルダ、私は昔........してしまって....故郷を失いました。』

『いつまで経ってもこれは許されず....どこまでも追いかけて来ます。だから留まる事もできない...。』

『.....君には苦労をかけます。だけど、エルダは優しい子だから....』

『いつか、君の周りに罪の意識に苦しんでいる人がいたら....許してあげなさい。
それだけで、それだけで....どんなに.....』

『怒りや悲しみに....目を眩まされてはいけません。君はもっと、広い世界を見るべきです....。』


『前に....進みなさい。』





考え事をしていると、今度はアニに眼鏡を奪われた。

「.....アニ?」

彼女の顔を見ると、眉間にしわを寄せた何とも言えない表情でこちらを見つめている。

しばらく見つめ合っていると、ごしごしとハンカチで頬を擦られた。

「.....アニ...痛い。」

「.....それなら情けない顔して泣くのをさっさとやめなよ。」

「......え?」


その時、初めて自分が泣いている事に気が付いた。

「あれ.....何で.....。」

自覚してしまうと、涙がぼろぼろと次から次へと流れ出てきた。

アニはそんなエルダの肩をそっと抱いて、自分のハンカチを彼女に手渡す。


エルダは何年ぶりかに声を上げて泣いた。冷たい半月が、薄暗い光をこちらに投げかけて来る。

彼女の泣き声だけが....誰も居なくなった夜の訓練場に小さく響いていた。



お父さん、貴方が言う広い世界を....この眼鏡を通して見る事ができないまま....貴方はいってしまわれた....。

こんな、ちっぽけな壁の中から出る事も叶わずに....また、自分の囁かな居場所を見つける事も叶わずに....



「エルダ...」

少し落ち着いてきたエルダの背中を擦りながらアニが呼びかける。

「今度....街に眼鏡を買いに一緒に行こう....。」

「え.....」

「それは....父親のものだろう...?いつまでもそんな物を使っていては...苦しいばかりだ....」

「うん.....。」


それでも....それは躊躇われた...。

お父さんと共に見た景色の全てが、私の故郷の風景だったから....この眼鏡はどうしても使い続けたかった。


(でも......)


『前に....進みなさい。』



もうそろそろ....この眼鏡を通してではない...新しい景色を見つめなければ.....。


(留まってはいけない.....。)


「そうだね....アニ....。行こう。....一緒に、素敵な眼鏡を買おう....!」

何故かまたひとつ、涙がこぼれた。



お父さん....別れから年月が経つうちに、どんどん貴方が遠くなる。

記憶が薄れる。仕草を忘れる。表情や言葉や声.....全ての物が曖昧になっていく...。

僅かな生活用品と本、仕事の道具....そして眼鏡。それしか残さなかった貴方と私を繋ぐ物がひとつずつ無くなって行く。

....でも、そういうものなのだ。仕様が無いものなのだ.....。


前を歩いて.....生きていかなくては.....。

私は留まりたく無い。皆と一緒に、進んで行きたい....。




再び泣き出した彼女を、アニはただ黙って抱き締めた。

時折冷たい風が容赦無く二人の周りを吹きすさんで行くが、エルダの少し高い体温の所為か、それは気にならない。

半月の脇にひとつ星が瞬いて、夜が本格的に訪れた事を告げていた。



ららや様のリクエストより。
風邪をひいて山奥3人に看病されるお話で書かせて頂きました。


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