同郷トリオと病の話 02 [ 28/167 ]
(.....どうしたものか....)
ライナーは医務室の扉の前で腕を組みながら考え込んでいた。
エルダが風邪を引いたと聞いて、訓練が終わった直後、宿舎に帰るついでに見舞いに来たのだが....。
この薄い板の向こうには彼女が一人眠っている訳であって....そこに男の自分が押し掛けて良いものなのか?
医務室のぼろぼろの扉をじろりと睨む。
ニスが剥げ掛かり、『医務室』というプレートが掛かっている事以外の情報は何も与えてもらえなかった。
「うわ!」
どさっ
しかし、逡巡している時に彼女の短い叫び声と鈍い音がその扉の向こうから聞こえた。
ライナーはただ事ではないと、思わず医務室の扉を開ける。
「.......エルダ!!」
そこにはベットから落ちてぐったりと床に転がるエルダの姿があった。
「お、おい....!大丈夫か...!?」
駆け寄ってその体を起こす為に触れると異常な熱さを感じた。.....ひどい熱だ。
「あ、ライナー...。ごめんなさい....。私、ただ...本を読む為にサイドテーブルに置いた眼鏡を取ろうと...」
エルダは少し息切れしながら言う。
....確かにもう今の季節はこの時間になると薄暗くなる。
夜目が普通より効かない彼女が、本を読むのは眼鏡無しには無理だろう....。だが、それにしても.....
「.....盛大にずっこけたな....」
「うん....なんだかふらふらしてたから....。眼鏡を取った瞬間にぐらっと....」
言葉が舌足らずで聞き取り辛い。
その体を少し力を込めて横抱きにすると、思ったより軽くて驚く。
「....ライナー....一人で戻れるわよ....」
「.....病人は大人しくしていろ」
そう言いながら彼女の体をゆっくりとベットに降ろす。
寝間着の裾から覗く白い足がいやに艶っぽくて心が変にざわついた。
「.....ありがとう。何だか恥ずかしい所見られちゃったな...」
エルダがほんのりと赤い顔で苦笑する。
「気にする事は無い...。第一お前はいつもそつが無さ過ぎるんだ。こういう時くらい甘やかさせろ」
そう言って頭を撫でると彼女は恥ずかしそうに微笑んだ。
自惚れかも知れないが、俺といる時の彼女は....何と言うか、とても安心していて....まるで小さい子供の様になる事がある。
自分しか知らないその姿が可愛らしくて、遂構いたくなってしまう。
その度にベルトルトから何とも言えない視線を浴びせられるのだが....まぁ、勘弁してもらいたい。
「ねえライナー....。多分床に眼鏡が落ちてしまったと思うから....。拾ってもらっても良い?」
考え事をしていると、エルダが声をかけて来る。
その言葉に従って床を見ると、細い銀のフレームの眼鏡が確かに転がっていた。
「これか....ちょっと待ってろ、今拾うから。.....ん?」
近くで触ってみて初めて分かったのだが、この眼鏡.....
「エルダ。この眼鏡、サイズが合って無いんじゃないのか?恐らく男物だぞ」
彼女にそれを渡しながら尋ねる。....おまけに随分古いものだ。
エルダは何も言わずにそれを受け取り、ゆっくりと顔に掛けた。
眼鏡をかけると彼女はびっくりする程大人びる。.....まるで、知らない人の様だ....。
「.....これは....お父さんのものだから....」
ぼんやりとベットの上で半身を起こしていた彼女は窓の外を見る。
そこにはすっかり裸になってしまった樹が一本、曇った空の下に佇んでいた。
「そうか.....」
溜め息の様な自分の声が医務室の空気へと溶けて行く。
.....何だか、眼鏡を掛けたこの...知らない女が気に食わなかった。
いつもの、良く笑うエルダに早く会いたくて、思わずその顔から眼鏡を奪い去る。
「ライナー?」
眼鏡を奪われた彼女は拍子抜けした様にこちらを見つめて来る。
.....そうだ、これで良い。あんなに悲しい顔をした女の事は忘れてしまえ。
「本なんて読まずに少し寝ろ。病人に必要なのは休息だ。」
ぼすんと彼女の体をベットの中に押し倒す。勢いを付け過ぎたのか、小さい悲鳴が彼女の口から漏れた。
「.....はいはい...。分かりましたよ、ライナー先生。大人しく寝る事にします。」
エルダが降参した様にこちらを見上げて笑う。
少しふざける様子が可愛らしくて、熱によりほんのり色付いた手を握る。
自分の無骨な物に対してそれは随分としなやかだった。
「......お前が寝るまで傍に居てやるから、安心して寝ろ。」
その言葉に彼女は驚いた様にこちらを見た後、淡く微笑んだ。
「......ライナーには敵わないなぁ...。.....でもありがとう。」
そう言いながらそっと目をつむる。
「あぁ.....」
エルダの穏やかな表情につられてこちらも自然と心が安らぐ。
「ライナー、私、もう寝たから行っても大丈夫だよ」
目を閉じながら彼女が言う。
「そうだな、あともう少ししたら行く事にするよ.....」
エルダの頭をそっと撫でると、何故か彼女は泣きそうな表情をした。
お前は....俺達三人の中で日増しに掛け替えの無い存在になっていく。
ベルトルトの熱い視線にも、アニの強い想いにも、俺は当然気付いている.....。
出来る事なら....皆幸せに.....想いが遂げられる様に....
だが.....果たしてそれは叶うのだろうか......
*
「ラ、ライナー」
エルダが眠ったあともしばらくその手を握りしめていると、背後からショックを受けた様な声が聞こえた。
やれやれ、こうなると少し面倒な事になるんだが....
「ベルトルトか...」
手をそっと離して後ろを見ると、案の定青い顔をしたベルトルトが突っ立っていた。
「.....落ち着け。手を握っていただけだ。何もしていない。」
「......手を握るなんて....僕はまだ数える程しか.....」
いかん、地雷だった。
「あー、お前はちょっと奥手過ぎるんじゃないか?手を握る位自分からもっとやってみたらどうだ。」
必死で話題を逸らそうと努力をしてみる。
だが....確かにこいつの恋愛事に対する臆病っぷりと言ったら無い。
今時女子でもここまでじれったい奴は居ないんじゃなかろうか.....
「なんだ....その...ほら、まぁ頑張れ....。」
ベルトルトが何も言わない内にそそくさと席を立つ。
去り際に彼の肩をぽんと叩いて「ちょっとは男を見せろ」と囁いた。
*
(.....男を見せろ.....か....)
ベルトルトはライナーが座っていた椅子に腰掛けながら眠るエルダを眺めた。
.......どうやって?
どうやって男を見せれば良いんだ....さっぱり分からない。
それに彼女との今の関係を壊すのも怖い...かといってこのままで良いかと聞かれれば答えはノーだ。
とりあえずライナーがエルダの手を握っていたのが癪に障ったので自分も握ってみる。
......熱い。きっと苦しいだろうに....。
(..........。)
彼女は病で苦しんでいると言うのに....自分の中には劣情に似たやましい感情がせめぎあう。
自分の欲望に忠実になれば良いのか...相手を思いやれば良いのか....そのバランスの取り方がさっぱりだ。
こんな気持ちになるのは初めてで....どうすればいいのか全く分からない。
最初はただ傍にいるだけで幸せだったのに…隣にいるだけはもう嫌だ。
見ているだけは嫌だ。ただの友達でも嫌だ。
君と会うだけで毎日どきどきする....でも、もっとどきどきしたい。
(早く....僕の気持ちに気付いて欲しい....)
女々しいかもしれないけれど....君が僕の気持ちにどうか早く気付いてくれます様に....
そして、少しは意識する様になって欲しい.....僕だって、一人の男なのだから....
ふと眠る彼女の顔に視線をやると、眉間には皺が寄り、とても辛そうだ。
汗も浮き出てしまっていたので近くにあったタオルでそれを拭ってあげた。
「........う......。」
その時、微かな声がその唇から漏れた。
何かと思い、エルダの顔に目をやる。
「え........?」
涙が一筋、閉じられた瞳から伝っていた。
苦しいのか、息もか細いものになってしまっている。
「お父さん.....行かないで......」
今度は、しっかりその呟きを聞き取る事が出来た......
―――全ての時が止まった様に思えた。
―――僕は、エルダの事が好きで、大好きで.....
―――彼女を悲しませるものは何であろうと許さないつもりだった。
でも、今....彼女を泣かせてしまっている原因は.....間違いなく、僕だ。
「エルダ.....。」
どうすれば良いか分からなくて、エルダの名前を掠れる声で呼んだ。
「な....泣かないで.....」
元から....この気持ちは....許されないものだったのかもしれない。
「お願いだから.......!」
.......それでも、こうして....出会ってしまった....。
「エルダ.......。」
僕は、君の事が好きで、ただ好きで......。
そっと両手を沿えて彼女の白い手を自分の頬にまで持って行く。
この存在全てが愛おしくて.....それだけなのに....。
「.......好きになって....ごめんなさい.....」
その呟きは静かな医務室の中で響く事もせずに消えて行った。
[
*prev] [
next#]
top