アニとお酒の話 01 [ 30/167 ]
「飲めよ」
「嫌よ」
ユミルの脅迫にも似た要望をエルダは一蹴すると再び本に目を落とした。
「.....何でだよ」
「貴方がそういう顔する時は大抵ろくでもない事が起こるからよ。」
「....ねえエルダ、本当にちょっとだけで良いから....試しに飲んでみてよ」
「美味しいですよ!」
「じゃあサシャにあげる」
「えーっとそれは....」
目の前にはとろりとした琥珀色の液体が入ったグラスが置かれていた。
そこから鼻を少し差す様な甘い匂いが漂う。
.......もしかしなくても酒だろう。
.....全く、自分に酒を飲まして何をさせたいのやら....
(絶対こいつ酒飲むとエロくなるタイプだよな.....)
(顔が赤くなって可愛くなりそう......)
(......よく分からないけど面白そう)
(((飲ませてみたい.......)))
「そうだ、今度一冊本買ってやるよ」
「まだ図書室の本が読み終わってないから大丈夫よ」
「肩....揉んであげようか?」
「....クリスタがエルダの肩を揉む図とか....完全に婆と孫だろ....」
「.....私はこれでも10代中盤なのだけれど」
「明日のエルダの朝食のパンは私が食べてあげますよ!ちなみに今日も食べておいてあげました!」
「.....道理で見当たらないと....犯人はお前か!そしてそれが私に何の得があるの!」
「痛い!そんなに引っ張ったら頬が伸びます!」
「....とりあえずがたがた言わずに飲めよ!たった一杯で良いんだから!」
「お断りします。嫌な予感しかしないもの」
中々言う事を聞かないエルダにユミルは痺れを切らし、グラスをテーブルから取り上げるとじりじりとこちらに迫って来た。
「おいサシャ、そいつ押さえてろ」
「合点です!」
「ちょ、そこまでして飲ませたいの....!?」
あっと言う間にエルダの体がサシャによりがっちりと固定される。
当然比較的もやし少女なエルダはサシャの力には適わず、嫌過ぎる予感に顔を真っ青にするばかりである。
「お前があんまりに嫌がるからさあ、何だか無理矢理にでも飲ませたくなっちまったんだよ」
「エルダが悪いです!」
「私は何も悪く無いよ...!だ、誰か!!」
ちなみにこの場所は食堂である。他にも人はいるのに何故か誰も助けてくれない。
....恐らく皆関わりたく無いのだろう。しかし興味だけはある様で、こっそりと視線をこちらに向けているのが分かる。
あぁ...!日頃の行いが悪い訳でも無いのに何故こんな目に....!!神様....!!
しかしユミルに鼻をつままれ、覚悟を決めた瞬間、彼女の手元から酒の注がれたグラスが何者かに奪われた。
「......アニ?」
そこには馴染みの青い瞳の少女が立っていた。
アニは琥珀色の液体をじっと見つめた後、何を思ったのかそれを一気に煽った。
「「「「........!?」」」」
彼女の行為にエルダを含むその場にいた人間は皆目を丸くした。
しかし当の本人はそんな事はおかまい無しに、空になったグラスをゴトリと机に放り出す。
「エルダ、行くよ」
そしてエルダの手を取ると少し離れた所にある自分の席へと戻って行ってしまった。
残された三人は唖然とするしか無い。
「ど、どういう事なの...?」
「.....何かのメーッセージ?暗号でしょうか....」
「何だそりゃ....いや、でもあながち間違いじゃねえかもな....」
「と、言うと?」
「あんま調子乗んなって事じゃねえの....?」
ユミルがテーブルに情けなく転がるグラスを見ながら溜め息をついた。
エルダを隣に座らせたアニの方をちらりと見ると一瞬目が合う。何とも言えない空気が二人の間に漂った。
(.....くそ、ムカつくな....)
無理に視線を引き剥がそうとしたが、中々体は言う事を聞いてくれなかった。
*
「アニ、一体どうしたの」
.....助かったけれど...とエルダはアニに尋ねた。
「......あんたは」
彼女は小さい声で呟きながらそっとエルダの手に自分の指を這わす。
「.....え」
あまりに艶っぽい手付きに思わず声が出る。
「あんたは誰のものなの....」
はあ、と息を吐きながらアニは問う。
「アニ......?」
普段とは違う様子にエルダは彼女の顔を覗きこんでみると、白い肌に朱が差し、目元も赤くなってしまっている。
(これは.....もしかして)
「あんたは私のものでしょ.....?」
(完全に酔ってる.....!!)
「他の奴と口なんて聞かないで......!」
アニは涙目になりながらエルダをそっと抱き締める。
......普段の彼女とあまりに違い過ぎる.....!というかこの子...!な、何言って....!!
エルダの顔にもじわじわと朱が差して行く。ここまでストレートに愛情を表現されるのは初めてだった。
......嬉しかった。でも、もっと恥ずかしかった。
「アニ.....!ここ色んな人いるし、だ、駄目だよ....!」
その言葉通り、周囲に居た人間はアニの変容に驚きと興味と好奇の目を向けていた。
様々なテーブルでざわざわと噂をする声が聞こえる。
休日前の夜のテンションで皆少しハイになっており、ある事ない事言っているのが丸聞こえだ。
「だからエルダは女好きだって言ったろ!ほとんど女としか口聞かねえからおかしいとは思ってたんだ」
「えぇ〜じゃあ私、気をつけないと....」
「お前は絶対大丈夫だから安心しろ」
「ちょっとそれどういう意味よ!」
「でもエルダさん綺麗だし....私は別に良いと思う...」
「え、ちょっとあんたそれマジなの!?」
「だって絵になるじゃない?」
「エルダは本当に女の子にモテますねぇ。流石みんなのエルダ」
「.......エルダは.....いつの間にアニのものになっちゃったの....」
「んな事ねえよ!少なくともあいつより私らの方がまだ仲良い」
「エルダとアニはそういう関係なのかな....」
「あってたまるか!」
「ユミルも本当エルダの事好きですね」
「違えよ馬鹿!!!.....あのクソ女がどうなろうが知ったこっちゃないが....嫌なもんは嫌なんだよ!ムカつくんだ!」
「......ねえライナー、僕のライバルって女の子の方が多い?というか、女の子しかいない.....?」
「ん、あぁ...良かったな...。性別的にお前が一歩リードしている。」
「あぁああぁああぁ、その女の子にすら負けたら僕もう生きていけないいいぃぃぃ」
「.......お前って本当.....いや、まあ.....頑張れ。」
「あぁあぁあぁ.....」
周りからの様々な声でエルダは恥ずかしくて死にそうだった。
自分の手に頬を寄せてうっとりと目を閉じるアニの肩をを揺すって正気に戻そうとする。
「アニ.....!お願い、いつもの貴方に戻って....!」
お酒が入っているとはいえ、ここまで骨抜きになってしまうものだろうか....!!
「エルダ、顔が赤いね....」
アニの手がエルダの頬に伸びてくる。官能的な表情にエルダはどきりとする。
こういう事態は初めてで、もう脳内のキャパシティは一杯一杯だった。
「アニの所為よ.....!」
涙が溢れそうになるのを堪えながら彼女に訴える。
「そう、私の所為なの....嬉しい....。」
アニはエルダの頬に手を添えたまま自分の顔を近付けてくる。
何かと思った瞬間には遅かった。自分の耳に生暖かい感触を感じる。
「ひっ」
エルダは短く悲鳴を上げる。
......何これ.....!駄目、......!こんなの.....
あまりの事に遂にエルダの目から生理的な涙が零れる。
背筋をぞくぞくと感じた事の無い甘い痺れが登って行くのが分かった。
アニはエルダの耳から口を離し、頬にキスを落とした後、ゆっくりと顔をこちらに向かす。
その表情は恍惚としていて、いつもの涼しげで凛々しい彼女とは似ても似つかなかった。
「エルダ.....」
アニが言葉を囁く度に、エルダの体の芯が疼く。
まるで自分までひどく酔っぱらってしまっている様だ。
「ね、頭....撫でて.....?」
彼女が囁く。
「え......」
「早く......」
切なそうに言葉を紡ぐアニにエルダは逆らえなかった。
ゆっくりとその艶やかな金糸の髪を撫でる。
彼女はそっと目を細めて、先程の暴走が嘘の様に大人しく自分の頭に感じるエルダの手を堪能していた。
.......エルダはというと、まだ心臓が早鐘の様に打っていた。
とりあえず今のアニがこのまま静かで居てくれる事を祈ろう.....
「ねえ....」
しばらく頭を撫でていると、またアニが熱に浮かされた様にこちらを見つめてきた。
「えっと、何....?」
エルダが少し身構えて尋ねる。
「......抱き締めて....」
「え.....」
「駄目.......?」
.....そんな悲しい表情しないで欲しい。逆らえなくなってしまう.....。
「いいよ....」
エルダは少し困った様に微笑んでから彼女の体を抱き締める。
アルコールが入ったその体は少し熱っぽく、鍛えているというのにどこか女性らしい柔らかさがあった。
自分の胸の中でアニが笑う気配がする。何だかエルダも嬉しくなった。
またしても二人はそのままの姿勢でしばらく固まっていた。
様子を見守っていた周りの人々も、アニの様子が落ち着いてきた事で少しずつそれぞれの話題に戻って行った様である。
しかしアニがエルダの胸からゆっくりと顔を上げて一言囁いた言葉により、場はまた彼女たちに釘付けになった。
「ねえ.....キスして....」
(........!?)
これにはエルダも少し目を丸くした。
遠くでベルトルトが椅子から転げ落ちる音がする....
皆が一斉にこちらを見る....何故こんなに小さな声が拾えるのか....!
「駄目」
その時、エルダの口の前に白く女性らしい手が現れた。
「クリスタ.....」
目の前には、いつここまで移動してきたのか、クリスタが少し怒った様な視線をこちらに向けている。
「それは駄目。いくら酔ってしまっていても...それだけは駄目。」
しかし、アニはエルダの首筋に顔を埋めながら、「早く....お願い....」と囁く。
クリスタの視線とアニの熱っぽさに挟まれて、エルダは少し逡巡したが、やがて柔らかく微笑んでクリスタに大丈夫よ、と伝えた。
そうしてアニの赤くなった頬にゆっくりと唇を落とすと、そのまま彼女の耳に「アニ、もう寝ましょう」と囁く。
アニはゆっくりと頷くと、そのままぱったりと動かなくなった。
ただ頬にキスをしただけなのに、何だかひどく官能的なものを見た気がして周囲は思わず目を伏せた。
すっかり落ち着きを取り戻したエルダはアニに肩を貸しながら席を立ち、「それじゃあ彼女を部屋まで送ってくるね」と微笑んで食堂をあとにする。
クリスタはそれを引き止める事が出来ず、ただ呆然と見送るしかなかった。
「ライナー、僕もお酒飲んでみようかなあ」
「やめとけ、お前はきっと何も出来ずに潰れるだけだ」
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