サシャと初雪 [ 33/167 ]
降りしきる雪の中....ただ一人をずっと待ち続けた。
手はかじかみ、頬はちりちりと痛み....瞬きすると凍った睫毛がひどく冷たかったのを覚えている。
息を吐く度に乳白色の水蒸気が舞い上がり、手足の感覚が無くなっても...
それでもなお、必ず私の所に来てくれると信じて....。あの子は、決して約束を破らないから...と。
それなのに.....
それなのに....
*
「うー、寒い。これはたまらんな。」
「重いよユミル....」
「ユミル、クリスタから離れてあげなさい。若しくはあまり体重をかけないの」
「寒いから良いだろうが。
....ふーん、さてはエルダ、私とクリスタの仲が羨ましいんだろ。抱きついて欲しいのか?」
「そうだよ。羨ましくて抱きついて欲しいんだ。」
「えっ」
「...冗談だよ。ほら離れる。」
エルダが鮮やかな手際でクリスタを救出する。
その間にも4人の肩には雪が降り積もっていっていた。
「...にしても雪のお陰で訓練が中止になったのはラッキーだったな。」
「今年は随分雪が降るのが早かったね。これ...初雪だよね。」
「休みになるなら私は毎日雪でも構いません!」
「雪が降る様になるとそれに対応したメニューに変わるから...それは無いよ。」
「エルダってば現実的過ぎて面白くありません」
「こいつにユーモアのセンスを求めるだけ無駄だぞ。なんせ本しか友達が居ない根暗だからな」
「失礼な人ね」
「そうだよ...。友達なら私たちがいるじゃない」
「私とこいつは断じて友達じゃねぇ」
「そうね。ユミルと私はそれ以上の仲だもの」
「「「えっ」」」
「...冗談だよ。寒いから早く宿舎に入ろう」
本日の午後の訓練は、雪による視界の悪さが原因で中止となった。
ぽっかりと空いた午後の自由時間を何に利用しようかと、皆小さく胸を踊らせている様である。
「折角休みになったんだし遊ぼうぜ」
宿舎に到着し、肩に付着した雪を払いながらユミルが言った。
「雪合戦しましょうよ!」
サシャが元気よくそう提案する。彼女にとっては寒さなどへっちゃらな様だ。
「まだそんなに積もってないから無理だよ」
エルダがそんなサシャの頭に積もった雪を払ってやりながら言う。
「また出ましたね!このリアリストめ!」
「.....当たり前の事を言ってるだけなんだけどなぁ」
「自分が雪合戦弱いからって全く!」
「あぁ、こいつめちゃ弱そうだもんな」
「サシャとエルダはよく雪合戦したの?いいなぁ」
「まぁ...私が一方的にサシャにぼこぼこにされるだけだったけどね。もう少ししたら皆でやろう」
そしてクリスタの頭の雪もぽんぽんと払ってやる。ユミルの「それは私の役目だ」と言う声が横からしたが無視をした。
「エルダは冬から初春にかけてはうちの村にいたんですよ」
「そうそう。雪を使う遊びは大体したよね」
「雪遊びなんて寒いしたるいし御免だぜ...。今度は室内でやる大人の遊びに興じようぜ。なぁエルダ?」
ユミルは妖しい笑みを浮かべながらエルダの肩に手を回す。
「ちょっとユミル!何しようとしてるの!」
「....ポーカーの事でしょう。誤解を招く言い方しないの」
「あったりー。いい加減決着つけようぜ。必勝法見つけたんだ」
「お金を懸けるのは無しよ。」
「えぇ?良いじゃねぇか、お前ほんと面白くない奴だな」
「貴方の事を思って言っているのよ」
「えっ」
歩き出す二人にクリスタとサシャが続く。
「何だかんだ言ってあの二人、結構仲良いよね」
クリスタはそう言いながら微笑んだ。
「えぇ....。ほんと、そう思います....。」
サシャもそれに応える様に淡く笑うのであった....。
*
「私、ちょっと明るいうちに読みたい本があるから少しの間抜けるね」
そう言いながらエルダがよいしょと腰を上げる。
その隣ではユミルが地面に倒れ伏していた。
必勝法とやらもあまり意味を成さず、完膚無きままに叩き潰されてしまった様である。
「出たよ、また本かこの根暗」
うつ伏せのユミルから声が漏れる。こんな状態でも憎まれ口だけは健在だ。
「暗くなると読みにくくなるからね。図書室の返却期限も迫っているし」
「エルダって...何処で本読んでるの?いつも食堂って訳じゃないし」
「ん?その時々によって適当だよ...?」
「用事がある時にいつも見つからないんだもの...」
「探してみると面白いかもね」
「何言ってんだお前。っていうか私等より本をとるのか?友達だろ?あともうひと勝負してけ!」
「ユミル、さっきと言ってる事違いますよ」
「はいはい。後でババ抜きでもやりましょうね」
「こいつマジムカつく」
「夕方になったら戻るから。またね」
エルダは自分の足にしがみつくユミルを引き剥がしながら本を小脇に部屋を後にした。
彼女がいなくなった室内には少しの間沈黙が訪れるが、すぐにユミルがガバリとその身を起こす。
「....あいつ連れ戻そうぜ」
そしてニヤ、と笑ってサシャとクリスタを見た。
「....連れ戻す...?」
クリスタが嫌な予感を抱えながらその言葉を繰り返す。
「そう、あいつを探して連れ戻すんだよ。エルダは本を読む時にいつも姿を消すからな...それを見つけるんだ。」
「....夕飯までまだ時間あるから動いてカロリー消費したくありません」
「連れ戻した奴には他の二人から夕食のパンをプレゼン「やりましょう!」
「....良いけれど...エルダの読書を邪魔するのも可哀想だよ...」
「あいつは本読み過ぎなんだよ。もう少し私たちとの時間を大事にしてくれても良いと思わねぇか?
お前もエルダともっと過ごしたいだろ?」
「....そりゃぁ....うん。」
「よし、三人で手分けすればきっとすぐ見つかる!とっちめちまおうぜ!」
「.....とっちめたら駄目だよ....。」
こうして三人は手分けをしてエルダを探す事となったのである....。
*
廊下をぽてぽてと歩きながら、サシャは窓の外に降る雪を眺めていた。
(......雪は....あまり好きじゃありません....)
獲物も減るし、寒いし.....
何より....すごく寂しい思い出が蘇って....
(エルダは....覚えていないんでしょうか....)
(私は....すごく悲しかったのに....)
(エルダの馬鹿....)
(....それにしても....何処にいるんでしょう...)
.....でも、大体予想はつく。
何回も冬が来る度に、色んな遊びをした。
エルダが好きなものや場所、逆に嫌いなもの....もう全て熟知している。
あの時私たちは...確かに互いにたった一人の友達だった。
でも...今は...私もエルダも友達ができて...それは、凄く嬉しい事なのだけれど....
(この気持ちは.....。)
エルダはみんなのエルダ。私のものじゃない。でも....
(あんなにエルダの事を待ち続けた私に、もう少しだけ....)
ぎしりと廊下の床板が鳴ってはっと我に返る。
そうだ、彼女を見つけなくちゃ....
(エルダが好きな所...)
そう、彼女が好んで居た所は......
階段を降りる。ライナーが下から上がって来た。
静かで...
廊下の角を曲がる。コニーと正面衝突しそうになった。
人が少なくて...
食堂の前を通り過ぎる。皆それぞれの友人達と楽しそうに話をしていた。
温かくて...
また廊下を歩く。食堂の喧噪が遠のいて行った。
何より、日の光が差し込む場所...
束の間の休息を得ている調理場の暖炉の前に、彼女は居た。
弱い空の光が雪にきらきらと反射して、柔らかく窓から差し込んでいる。
御飯時には大勢で賑わうこの場所も今の時間帯は全くの無人だ。
エルダは集中しているのかサシャに気付く気配は無く、椅子に腰掛けたまま微動だにしない。
「エルダ....」
声をかけると、ようやくその顔を上げてにこりと微笑む。
「サシャ。どうしたの」
「えっと...どうしたのって言うか...あの...」
「....?とりあえずおいでよ」
「...うん」
歯切れ悪く応えると、彼女は自分の隣の椅子を薦める。
.....そう言えばこうして二人きりで過ごすの、すごく久しぶりかもしれない...。
しばらくサシャは本を読むエルダを見守りながら暖炉の熱を感じていた。
ぱきりという薪の燃え落ちる音が時折響き、何でも無い調理場を穏やかな空間に演出する。
外には相変わらず白い雪が降り続いていた。明日にはきっと地面を覆い尽くしてしまうだろう。
「サシャは...雪があまり好きでは無い?」
本から顔を上げずにエルダが尋ねた。
その問いに、体がぴくりと震える。
「....何で...そんな事聞くんですか....」
そう聞き返すと彼女は四葉のクローバーが押し花された栞をそっと本に挟む。
春からずっと愛用しているそれは、すっかり角が取れてしまっていた。
「....元気が無さそうに思えたから。違ったらごめんね。」
閉じた本を膝の上に置き直しながらエルダはサシャの肩に優しく手を置く。
窓の外では雪が風に乗って吹雪いた。灰色の空に....雪はどんどん深まるばかりで....
「.....嫌いです」
ぽつりとサシャの口から言葉が零れる。
「だって....その年最初の雪が降ればエルダは来てくれるって...毎年待ってたのに....」
彼女は真っ直ぐにエルダの瞳を見つめた。当然その薄緑には困惑の色が浮かんでいる。
「突然....来なくなってしまって....私、ずっと外で待っていました....!
凄く寒くて...それでもずっと待ってました....!」
「サシャ....あれは....」
「知ってます....!壁が壊されて....エルダのお父さんも死んでしまって...それどころじゃ無くなっていたのは知っています....!!」
遂に涙が一筋頬を伝う。色々な事が重なって、少しずつ摩耗していた心が限界を迎えたのだ。
「でも.....っ!毎年別れる時に来年、また雪が降る時に必ず来てくれるって約束してたのに....。」
「..........。」
エルダは無言でその言葉を受け止めていた。
「それ以来...雪なんて嫌いです。」
「......うん。」
「エルダの馬鹿....。」
「.....ごめんなさい。」
「馬鹿。馬鹿。許しません。」
「.......うん。」
「雪もエルダも....大嫌いです。」
「......そっか。」
「......嘘ですよ。本当は...大好きです。」
「......うん。私も....。」
ぱきんと再び薪が燃え落ちる音がした。
二人の間にはしばしの沈黙が横たわる。
す、とエルダは席を立ち、窓辺まで歩いて行った。サシャはそれを目で追う。
外をしばらく見つめた後、彼女はこちらを振り返って柔らかく微笑んだ。
女性ならではの優しい笑みに不思議と心が絆されて行く。
「私は雪、好きだよ。」
そう言うと、エルダはサシャの方に手を伸ばし、こちらに来る様に促した。
サシャはそれに大人しく従い、伸ばされた手をそっと握って隣に立つ。
「....毎年、雪が降るとサシャに会えるから。雪の記憶は、いつも私の中で優しいものだったから....」
窓の外を見ると、もうすっかり大地が白に覆われている。氷の様な窓ガラスには、自身の吐いた息の白い跡が残った。
「貴方と会えない時も...雪を見れば私は元気になれたんだ...。サシャの村にも同じ雪が降っているのかなって...」
少し恥ずかしそうにしながらエルダは曇った窓ガラスに自分とサシャの名を書いた。
「.....そうだったんですか。」
「うん。.....父さんが亡くなってからの二年間、サシャとの思い出があったから...私は生きて来れたんだ。
.....だから、ごめん。私は貴方に沢山助けてもらったのに...私の方からは何も出来なかった...」
ごめんなさい。ともう一度彼女は謝る。
サシャは目を伏せるエルダの手を握る力を思わず強くした。
「....そんな事無いです。私も....もう一回会えただけでも素晴らしい事だったのに....
どんどん欲張りになっちゃって....。」
サシャもまた、ごめんなさいと謝った。そして窓ガラスに書かれた二人の名前の周りを、きゅっとハートで囲む。
「仲直りの印です」
朗らかに笑う彼女は、もういつもの明るく元気な女の子に戻っていた。
「.....普通こういうのは恋人同士でやるものだけれど....」
「良いじゃないですか。私とエルダの絆の深さはそこいらの恋人なんか目じゃありませんよ!」
「それもそうだね。」
二人は顔を見合わせて笑ったあと、手を繋いだまま窓辺で何でも無い話を続けた。
曇りガラスに書いた文字は時間の経過とともに結露を増やし、やがて静かに雫を流していく。
サシャはそれをぼんやりと眺めながら、自分の中に長い間あった氷塊がようやく溶けた事を実感した。
自分が居て、それを想ってくれる人が居て....
それだけで冬はこんなにも温かい。
傍に居てくれてありがとう。
そしてどうかこれからも傍に.....
ポー様のリクエストより。
そういえば二人で過ごす時間がない、とモヤモヤするサシャ的な感じの話で書かせて頂きました。
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