エレンと勝負の行方 03 [ 145/167 ]
「はい、おしまい。」
そう言ってエルダは彼に鏡を渡す。
受け取って自身の姿を確認するが、梳かされた位では何かの変化があったようには感じなかった。
「鏡も持ち歩いてるのか…」と呟いて返せば、「ええ」と穏やかに返事される。
「女子のたしなみってやつは中々面倒だな」
「そんなことないわよ。」
エルダは髪を元のように結い直していた。毎日やっているので慣れているのだろう、細い毛質の髪はさくさくとまとめられていく。
「ねえ、エレン」
作業する指を止めずに彼女に名前を呼ばれる。生返事をすると、「もう逃げないのねえ」と零される。
「べつに…逃げてねえよ」
「そう?それなら良いんだけれど……」
「……第一、お前が追っかけてくるからだろ」
「あらやっぱり逃げてるんじゃない。」
最後に毛先をきちんとリボンで留めて、エルダは小さく笑った。
………元の状態に戻ってくれてなんだか安心した。髪を下ろした姿は何だか知らない人のようで落ち着かなかったから。
「でもねえ……もう喧嘩は止めにしましょうよ。私、エレンと仲良くしたいのよ。」
「……………。オレには…なんでお前が構ってくるのかが分からねえんだよ」
「だって私たち同じ調査兵団を目指している人間じゃない。色々お話したいのよ。
そうして……私もいつか貴方たち三人の冒険に混ぜて欲しいものだわ」
「………………。」
愛想良く両の手を合わせて言う…彼女の身体つきはいかにも脆弱で、とても調査兵団で兵士としてやっていけるとは思えなかった。
しかし、そんな人物に先日対人格闘訓練で敗北したことは事実である。
うんざりとした気持ちになってエレンは三度目の溜め息を吐いた。「幸せが逃げるわよ」と年寄りくさい反応をされる。
「なんで調査兵団に入りたいんだよ……。そんなに甘くはねえよ、お前も知ってるだろ…」
確か、彼女も自身と同じように例の事件で親を亡くしている筈だ。
……あれだけの凄惨な光景を目の当たりにして……また奴の性格上、復讐だのなんだのという感情から志願しているようにも思えない。
だが…そうとは言い切れず、もしかしたら腹の底には一物あるのかもしれない。真意がまるで見えない人間だから…
「でも……行きたいのよね。行ってみたいの。貴方だってそうでしょう」
「オレは、母さんの……」
「それだけじゃないでしょう、貴方は昔からずっと壁外に行きたがっていたってアルミンから聞いてるわよ」
初心忘れるべからずよ、憎しみだけが原動力になっちゃいけないわ。とエルダはエレンの背中をぽんと叩いた。
「……… 子供の頃、よく寝物語に壁の外にはそれはそれは綺麗な世界があるって…そんな話を父親から聞かされたのよ。
あの人もアルミンのように外界に関する記述のある本を読んだことがあるのかしら」
エルダの口から直接父親についての話を聞くのは珍しいことだ。
………空の色が少しずつ夕焼けの茜へと変わっていく。夜が近くなって、風には冷たいものが混ざり始めていた。
「あんなに外の世界に一緒に行こうと約束したのに、結局壁内からは出ないままだったわね…。
一度も…二人揃って壁の無い景色を見せてあげれないままで。」
「別にそれはお前が気負うことじゃねえだろ…。仕方無かったんだ。」
「……そうかしら。」
ありがとう、とエルダは呟いた。構わねえよ、と相槌を打つ。
彼女はお馴染みの微笑しているようだったが、僅かに寂しそうでもあった。
………エレンは眼前の人間の年相応な部分を初めて見れた気がして、不思議と安堵する。
「……良い人だったみたいだな。」
お父さんは。と言えば、そうねえ…お人好しが過ぎるくらいにね…とエルダは返した。
「エレンのお母さんだって良い人だったんでしょう。」
「まあ……。」
「ミカサと貴方見てたら分かるわよ。優しかったんでしょうね。」
「……時々厳しかったけれどな。」
「そう……。貴方のお父さんにもいつかまた会えると良いわね。」
家族は一緒が一番よね。とエルダは懐かしそうに言った。
無言で頷くと、軽く頭を撫でられる。やめろよと振り払うが、「梳かした成果もあってさらさらよ」と構わずに続けられてしまった。
「お前は……お父さんから、どんな風に壁の外を聞いたんだ。」
ようやく彼女の掌が離されたので尋ねてみる。
エルダはエレンの方から積極的に話題を振ってきたことに少し意外そうにした後……素直に嬉しそうな表情になった。
「そうね、もうあまり覚えてないけれど」
思い出すようにしながら彼女はゆっくり立ち上がる。
空はすっかり夕焼け模様となり、真っ赤な太陽が黒い森の方へ沈んでいこうとしていた。
「………そろそろ夕飯だから…食堂まで帰りながら話すわ」
そう言ってエルダはエレンに手を差し伸べた。……繋ぐのは少々抵抗があったので、礼を言うに留める。
自然と二人で並んで馴染みの訓練場までの道を辿った。
…………エルダは静かな声でぽつぽつと父から聞いた話を語る。
アルミンの話のような壮大な世界観や胸躍る描写は無かったが、きらきらとした綺麗な物語だった。
(今夜……もしもまたテーブルの席が余っていなかったら)
この前みたいに、一緒に夕食を摂ってもいいかもしれない。あくまで空席が無かったらの話だが。
耳を傾けながら、エレンはそんなことを考えた。
やはり掌は繋がらなかったが徐々に二人の距離は近く、時々肩口が触ってこそばゆかった。
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