ベルトルトとクローバー 01 [ 25/167 ]
再び天気の良い休日が巡って来た。
ベルトルトは食堂でユミル、クリスタ、サシャが話し込んでいるのを確認するとそっと宿舎の外へと出た。
エルダはいつも例の三人と行動しているけれど、時たま本を読む為に一人で何処かにふらりと出掛ける事がある。
今日なんかは彼女が好む読書の条件が揃っている天気だ。あの三人と一緒にいない事も確認した。
きっと何処かでまた本を読んでいる筈....
*
外は柔らかい日光が降り注ぎ、穏やかな春の日和だった。
エルダは何処にいるのだろう...。
彼女の貴重な読書の時間を邪魔してしまうのはやや心苦しいが、この時しか自分とエルダが二人きりで会える機会は無い。
何しろあの三人のガードが固過ぎる。
最近はユミルだけでなくクリスタまで彼女に男性が近付くのを嫌がる様になってきたのがまた厄介だ。
....それに別に本を読む事を止めさせたりはしない。
ただ....静かに彼女の傍らにいるだけで....それだけで幸せなのだから.....
*
緑のクローバーと白詰草が鮮やかなコントラストを描いている開けた場所に目当ての人物はいた。
彼女の瞳より少し深い緑の中に、落ち着いた色の長いスカートの裾をふわりと広げながら座っている。
傍らには数冊の本が積まれているが.....僕にはよく分からない難しそうな本だ。
集中する彼女を驚かさない様にそっと近付く。
.....しかしここまで近くに来ても気付かないとは....エルダの集中力は凄まじい。
声をかけるのも躊躇われて無言でその隣にそっと腰を下ろす。
......まだ気付かない.....。
何がそんなに面白いのかと思って彼女の手元の本を覗き込むが、黄ばんだ紙に無機質な文字が羅列されているだけで中身は全く頭に入って来なかった。
しかし彼女の横顔をふと見ると、まるで少女の様に頬を紅潮させ、瞳にきらきらとした光を宿らせながらその活字の世界を覗き込んでいる。
僕にとっては本よりも普段大人びているエルダのそんな表情の方がずっと興味深く思えて、遂まじまじと観察してしまう。
「ん....」
しばらくして、エルダがようやく隣の気配に気付いたのかその視線をこちらに向ける。
彼女の顔を凝視していた僕の眼差しとそれはばっちりぶつかった。
「うわぁ」
エルダは少し間抜けな声を出してこちらを見上げた。
彼女からしてみたら急に僕が隣に出現した様に思えたのだろう。その目には驚愕の色がありありと見てとれた。
「......こんにちは。」
少し苦笑しながらそう言った。
彼女の意識が本の中から僕の方へ浮上してくれたのが少し嬉しい。
「こ、こんにちは.....」
エルダの心臓はまだ激しく波打っている様だ。言葉が吃ってしまっている。
これは最早恒例と化したやり取りだ。
一人で本を読む彼女を僕が見つけ出し、隣に座り、エルダに驚かれる。....そして何故か挨拶。
「本当に私たちは良く会うわね....。びっくりよ....」
それはまぁ....僕が君の事をわざわざ探しているからね....会うのは当たり前だよ....
「エルダは本当に本が好きなんだね.....今日は何の本を読んでいたの...?」
聞いても多分理解できないとは思うが、彼女と会話を続けたくて尋ねてみる。
「.....そうだね....これはアルミンから借りたんだけど...この国の歴史の話よ」
世の中には凄い人が沢山いたんだね、とエルダは感心した様に手元の本に再び目を落とす。
「アルミンからはよく本を借りるの....?」
「そうね....私たちは二人とも本が好きだから...借りたり貸したり、お薦めを教え合ったり、ね。
好みが少しだけ違うから、今までとは違った種類の本も読めたりして面白いよ」
そう言って柔らかく微笑むエルダの表情に、心の中で不穏な空気が騒ぎ出すのが分かった。
.....僕はそこまで本は読まないし....趣味を共有できるのは...羨ましいな....
僕が黙り込んでいると、エルダの意識はゆっくりとまた、活字の歴史の動乱の中へと持って行かれてしまった。
そよりと吹いた風が僕達の間を優しく吹き抜ける。
日の光を受けたエルダの白いブラウスは淡く内側から光っている様だった。
.....僕は、本はそこまで好きではないけれど....本を読むエルダの隣にいるのは凄く好きだ....。
彼女の事を思う存分見つめられるし.....
長い睫毛が伏せられて影を作っている表情とかは絵画的でとても綺麗だと思う。
何よりも肩が触れ合って互いの体にそれぞれの体温が伝わり合うのが心地良い.....
「ふ.....」
しばらく静かに過ごしていると、隣からエルダの小さい笑い声が聞こえた。
「....どうしたの?何か面白い話でも書いてあった...?」
できるだけ彼女の邪魔はしたく無かったが、遂気になって尋ねてしまった。
「ううん。本の内容じゃなくてね....。こうやって誰かと一緒にゆっくり本を読むのが何だか懐かしくて....」
「え.....」
もしかして別の誰かともこうやって時を過ごしていた事があるの.....?
「ベルトルトは少し私のお父さんに似ているのかもね....
あの人もね、気付くといつも傍にいるのよ。それで何食わぬ顔で本を読んでいたなぁ...」
「......お、お父さんに....」
その相手が父親であった事に安堵すると共に、彼に似ていると言われてしまった事に少しショックを覚える。
「.....じゃあ、エルダが本を好きなのも....?」
「そうだね、あまり会話をする親子では無かったけれど....何故か二人で並んで本を読む事はよくしたな...
時々読んでいる本を交換したりしてね。最も私にはまだ父が読んでいたものの内容は理解できなかったけれど....」
エルダの父が亡くなっている事はライナーから聞いていたが、彼女の口から直接彼の話を聞くのは初めてだった。
その話をしながらどこか遠くを見るエルダの視線は愛おしそうで....それで少し寂しそうだった。
「ベルトルトの傍はとても安心するわ....何だか小さい頃に戻った様な気分になる.....
もしかしたら私は一人で本を読んでいる時、貴方が隣に来てくれる事をいつも期待しているのかも知れないわね....」
だから今日も会えてとても嬉しい....とエルダは少し照れくさそうに言った。
(うわぁ....)
これは少しヤバいかもしれない......
こうやっていつもいつも僕の心を揺さぶるから、何回でも期待してしまうじゃないか....
君は本当にずるい....。
僕の心なんて全く知らない癖に....
耳まで赤くした僕には何のおかまいも無しにゆっくりとエルダは再び活字に目を落として、また遠くの世界へ旅立ってしまった。
胸の高まりを静める為に溜め息をついて地面に視線を向ける。
.....瑞々しい緑のクローバーと清潔そうな色の白詰草が交互に模様を描いている。
白いブラウスを着て、薄緑の瞳をした今日のエルダにその色調が少し似ていた。
何の気はなしに白詰草の茎をぷつりと4本程詰んだ。
暇を持て余していた指はそれを少しいじり、くるりとひとつに束ねる。
(.........。)
エルダはこういう物は好きだろうか....
ある種の期待を抱いて、僕の指は次々と白い花を束ねては連なせていった。
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