クリスタが風邪を引く02 [ 16/167 ]
『.....................!...........!!』
(嫌だ.......)
『.......................。..............。』
(この夢は嫌だ.....)
『............。.................!?』
(昔から繰り返し見て来た光景.......)
『................!!..................!!!』
(お願い.......やめて........)
『 』
左手にしっとりとした冷たさを感じて、クリスタはゆっくりと目を開けた。
「エルダ.....?」
「随分と.....魘されていたのね......」
エルダが心配そうにクリスタを見つめている。薄緑色の瞳はとても哀しそうな色をしていた。
左手に感じていたのは彼女が両手で自分の手を握ってくれていた感触らしい。
「エルダ......」
「なに、クリスタ」
エルダが安心させる様に柔らかく微笑む。
「あ......」
ありがとう、大丈夫、と言おうとしたがその先は言葉にならなかった。
彼女の笑顔を見た瞬間、堰を切った様に涙が溢れて来てしまったのだ。
「クリスタ......」
エルダはクリスタの様子に驚いていたが、やがて彼女の小さな体をそっと胸に抱き寄せた。
「怖い夢でも見たのかな.....」
クリスタはエルダの服を握りしめて泣いた。
哀しくて、不安で、自分はこの世に居てはいけない存在だという事を思い出してしまったのだ。
「わ、私は.....この世で生きる事は....許されないの.....!」
クリスタが苦しそうに声を絞り出した。
言葉を発する度に胸はぎちりと痛み、涙はどんどん溢れて来る。
それでも、自分の胸の内をエルダに聞いて欲しかった。もう自分の中に留めるのは限界だった。
エルダはクリスタの背をさすりながら静かに耳を傾けた。
「この世のどこにも.....私の居場所なんかない......!だから....死ぬしかないの.....
で、でも.....死ぬのは本当は怖い......!私...どうしたらいいの.....」
やがて声は激しい嗚咽となり、クリスタの喉を震わせた。
エルダはただ黙ってそんな彼女を優しく抱き締めていた。
――――
「クリスタ」
どの位そうしていただろう。エルダが口を開いた。
そうしてクリスタの瞳を見つめながらゆっくりと頬に手を添える。
「クリスタ.....世の中にはいちゃいけない場所なんて無いわ.....どうかそんな事を言わないで....」
エルダの声もとても苦しそうだ。
「もしそう言う人がいても...狭い壁の中の狭い街の中でしか生きた事の無い小さな人間が言う事よ。
そんな奴が言う『この世のどこにも』なんてたかが知れている!....笑ってしまうわ.....!
...だからそれをクリスタが気にする必要なんかどこにも無い......!」
彼女は少し怒っている様だ。
彼女が自分の為に怒りを感じてくれている事が嬉しかった。
「私も、ユミルもサシャも....皆クリスタの事が好きで....一緒に居たいと思ってるのよ。
私たちじゃ.....クリスタの居場所にはなれないかな...?」
エルダが少し不安げにクリスタの瞳を覗き込む。
薄緑色の瞳がクリスタの青い瞳のとても近くにあった。清らかな山の渓谷を流れる水の様な色だ。
「ま....まだ...分からない.....」
クリスタが嗚咽を噛み殺しながら言った。
「.....そう」
「.....でも、いつか胸を張って生きられる様になった時は....皆の隣で笑ってたい....!!」
再び涙がクリスタの頬を濡らし始める。
懐かしさと、悔しさと、哀しさと、苦しさと、色んな物が複雑に混ざり合った涙だった。
「そうだね.....焦らなくても必ずその時は来るよ.....今は好きなだけ泣きなさい...?」
そう言ってクリスタを抱き直すとエルダは再び背中を優しくさすり出した。
クリスタはエルダの胸で子供の様に泣いた。
泣いて泣いて泣き疲れて、気付いた時には再び眠りに落ちていた。
今度は夢すら見ない程深く深く眠った。
*
「エルダ!クリスタは平気か!!」
クリスタをベットに寝付かせて医務室を出るとユミルが待ち構えていた。
どうやら入るなという言いつけを律儀に守っているらしい。
「というかお前服ぐしょぐしょじゃねぇか。バケツでもひっくり返したか?」
「ちょっと雨に振られたのよ。
クリスタの様子は...そうね、熱も少し引いて顔色も......いや!そんな事は無かった!」
急にエルダは何かを思いついた様にユミルに向き直った。
「実は....クリスタね、ちょっと大変なのよ....死んじゃうかも....」
「はぁ?それをなんとかすんのがお前の役目だろうが!!」
ユミルが今にも掴み掛かってきそうな剣幕で言う。
「でも一個だけ治療法があるのよ。....それはユミルしかできなのだけれど...ちょっと耳を貸してごらん....」
エルダがユミルの耳元に口を近付ける。妖艶な仕草にユミルは不覚にもどきりとした。
「........。」
「お前...それマジで言ってんのか...?」
「マジマジ。大マジよ。」
「あのなぁ、それ位私でも嘘かどうかぐらい分かんだよ。」
「クリスタが死んじゃっても良いんならやらなければいいんじゃないかしら?」
「.......。」
「やだ、睨まないでよ。怖い。」
あとは御自由に、と言いながら鼻歌混じりにエルダは廊下を去って行った。
「あのクソ女....」
ユミルはその背中を悔しそうに睨んでいたが、やがて決心した様に医務室へ入った。
*
再び目を覚ました時、クリスタの左手は先ほどよりやや温度の高いもので包まれていた。
「ユミル.....?」
「目ぇ覚ましたか....」
「....手を、握っていてくれたの.....?」
「あのクソお....エルダが目を覚ますまで手を握ってないとクリスタが死ぬとか言うからさ....」
「それ....信じたの...?ユミルが....?」
「信じる訳ねぇだろ!でもさ....なんかもしかしたらって....思っちまってよ....」
ユミルの語尾が消えていく。雀斑のある頬に赤みがほんのり差した。
「ふ、ふふ.....」
ユミルのその仕草にクリスタは思わず小さく吹き出してしまった。
「おい、クリスタ笑うなよ.....!」
「違う、違うのよ....何だかとっても嬉しくなっちゃって.....」
ユミルが止めたにも関わらずクリスタは笑い続けた。
遂に業を煮やしたユミルがクリスタの頭を小突く。しかしその顔は照れながらも幸せそうだった。
「おや、無事に蘇生できたみたいだね、流石ユミルだわ。」
愛の力は偉大ねえ、と言いながらエルダがお盆を持って部屋に入って来た。
「おいクソエルダ......適当な事言いやがって....」
「適当じゃない、本当よ。もしユミルが手を離していたら今頃クリスタは.....」
「お前は本当に息を吐く様に嘘をつくな....」
「でもね、ユミル。手を繋ぐっていうのは特別な力をお互いに与え合えるものだと思うよ?
クリスタの調子が大分良くなったのも本当にユミルのお陰なんだから。
だからユミルも哀しい事や不安な事があったらいつでも手を繋ぎにおいでなさいな。きっと元気になるわ。」
お盆をサイドテーブルに置きながらエルダが言う。何処か楽しそうだ。
「誰がお前と.....気持ち悪い....」
「やだ振られちゃった、傷付いちゃう。」
全く傷付いてなさそうだ。
「さぁクリスタ、食べられそうかな?」
エルダがクリスタに向かって言う。サイドテーブルの盆にはすり下ろした林檎と麦のお粥が乗っていた。
「エルダが作ったの......?」
「クリスタ食べるな。こいつが作った物なんか食ったらクソ女が伝染る。」
「伝染りません。あとクソ女って何ですか。
....まぁ作ったと言う程の物じゃないけれど....これ位なら食べれるかな?」
「う、うんありがとう.....」
クリスタはエルダが差し出した木の匙を受け取った。
「あ、そうだユミル、ユミルが食べさせてあげないとクリスタが「くどい」
「二人って仲良いよね.....」
クリスタがぽつりと呟く。ちょっぴり羨ましかったのだ。
「はああああああああ!?」
ユミルが絶叫した。
「そんな大きな声出して....照れ屋さんなんだから。」
エルダは相変わらずマイペースだ。
「でもクリスタだって私たちと仲良しじゃない。」
エルダがこちらを向いて柔らかく笑った。
「それに私は好きでもない子の肌を拭いたりしないもの。」
そしてクリスタの耳元でごく小さな声で言う。
その言葉にクリスタの下がりかけた熱は再び急上昇しそうだった。
「おい.....何言った?.....なんかクリスタ黙っちまったぞ」
「ユミルの鼻毛出てない?って言ったんだよ」
「また適当な事言いやがって.....」
「.........。」
「おい.....まさか本当に......?」
「..........。」
「おい!!」
三人で話していると楽しくて、気付いたらお盆の上のものを全部食べる事ができた。
エルダが作ってくれたものは優しい味がして、そう言うと横からユミルが騙されるな、と茶々を入れて来た。
私がエルダに抱く感情はほんの少し特別だけれど、多分エルダは誰に対しても優しいのだろう。
それを思うと胸が少しだけ痛んだ。
「さて、食事もちゃんと摂れたしもうすぐ良くなるでしょう。良かった良かった。」
エルダが食器を片付けながら言う。
「ありがとう.....なんだかお世話になりっぱなしで悪いなぁ....」
「そんな事無いよ....。こういう時はお互い様だもの。だから私が風邪引いた時はよろしくね。」
「うん.....エルダみたいに上手く看病できるか分からないけど....」
「大丈夫だろ、こういう性悪は風邪なんかひかねぇよ。」
「そんな事ないわユミル。私は結構ひ弱だもの....それこそ風邪引いたらずっと手を握っててもらわないと死んじゃ「お前は死ね」
二人は言い争いながらも楽しそうだ。
そしてそのままドアへと向かい始める。そろそろ就寝時間が迫っているのだ。
「じゃあクリスタ、おやすみ」
「また明日な。」
最後にこちらを笑顔で振り返り、二人は退室していった。
部屋に一人になると、先ほどまで賑やかだったのが嘘みたいに静けさが部屋を包んだ。
(でも......)
不思議と寂しくなかった。
(明日、また会えるもの.....)
朝目が覚めるのが楽しみだった。その為に眠りにつくのも。
(あんなに眠るのが怖かったのに.....)
.....今はまだ分からないけれど、自分の居場所はきっとここにある。
(ここに....居たい......)
明日目を覚ましたら、愛しい人たちにもう一度ありがとうと言おう。
私と出会ってくれて、愛してくれてありがとう......
どうかこの残酷な世界でも、彼女たちが幸せへと導かれますように―――
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