光の道 | ナノ
サシャと再会する 02 [ 3/167 ]

雪が降る。

雪が降って、草も花も小石も全部が白くなり、家の外には一本の白い道が出来る。

それが冬独特の眠たげな色をした太陽に照らされると半透明に透けて、まるで硝子で出来てるみたいに輝く。

その道を通って、毎年青い葡萄に似て薄い緑色の瞳を持った父娘が村にやってきた。


大好きだったの。

ふわふわと優しくて甘い、美味しそうな空気を纏ったその女の子が。

冬の太陽と同じように、微睡んだ淡い茅色の長い髪はいつも丁寧に結われて良い匂いがした。

白い肌はやっぱり柔らかそうで、わざと心配させるようなことを繰り返してはぎゅっと抱き締められるのが好きだった。


「サシャ」



親しみを持って名前を呼ばれるのが、薄緑色の瞳が細くなって自分に笑いかけてくれるのが…本当に大好きだったから、冬が終わるのがすごく寂しかった。


雪が溶け始めて風に春の気配が混ざる朝、いつも別れが訪れる。

また来年、なんてあの子は笑いながら自分を慰めてくれるけれど…辛いものは辛い。

でも…それでも。彼女は一度も嘘をついたことは無かったから。

遠くなっていく、仲睦まじく寄り添った父娘の背中を見送って……一年後の冬をいつも指折り数えて、あの子に会えるのを待っていた。



でも、ある時から待っても待っても彼女は村に来なくなった。

寒いし、食料も乏しいし、冬が嫌いになった。

あの子のことだって嫌いになってやりたかったけど……やっぱり、好きなままだった。

自分の幸せな思い出に、結び付いたままで。



「あらら…相変わらずいやしんぼうねぇ…。」

だから、その声を聞いた時に心の芯から耳を疑った。


「安心しなさい、これは貴方のパンよ。誰も取らないからゆっくり食べなさい。」


ね、サシャ。


自分に押し倒されていた状態から、よっこいしょと身体を起こした彼女は笑って自分の名前を呼んだ。

ゆっくりと細くなっていく瞳の色は、やっぱり瑞々しい青葡萄のような薄緑だった。

キラキラ光って、宝石みたいな。







倒れ臥すサシャとの距離が数メートルとなった時、パンの匂いを嗅ぎ付けたのか凄まじい形相となった彼女が襲いかかって来た。

突然だったのでエルダは避ける事ができず、激しいタックルをまともに食らってしまった。

更にサシャはエルダの服の下にパンが隠されているのがしっかりと分かるらしく、衣服をもみくちゃにしながら探すのでたまったものではない。

……が、我を忘れるほどの空腹に見舞われていた彼女には同情せざるを得ない。ので、抵抗をせずに取り敢えずの行為が終わってくれるのを待った。


「ハッ!!これは!?パァン!!」

ようやく目当てのものにたどり着いたらしいサシャが叫び声を上げる。

「あらら…相変わらずいやしんぼうねぇ…。」

呆れたようにしながら、恍惚とした表情でパンを咥えている彼女へと声をかける。今やサシャはエルダの上に馬乗りになっていた。


「安心しなさい、これは貴方のパンよ。誰も取らないからゆっくり食べなさい。」


ね、サシャ。


落ち着かせるために努めて穏やかに声をかけてやりながら、エルダはサシャに押し倒された状態からゆっくりと身体を起こした。


「え...?」


ぽろ、とサシャの口から咥えていたパンが落ちた。

あらら、と呟きながらエルダはそれをキャッチする。

そしてサシャの元へ返すように差し出してやると、何も言わずに受け取り、ムシャムシャとそれを無心に食らい始める。流石である。

しかしながら…その丸いその瞳は精一杯に大きく見開かれて、エルダのことを眺めていた。


「あ……」


そして、ようやくと言った様子で言葉になりきらない音を唇から漏らす。

エルダはその続きを暫し待った。


「あ、あっ……あなたぁああぁ!!!エルダじゃないですか!!!!??なんでここに...っというか生きてたんですか!!??」


そして、大きな声と共に堰を切ったような涙をサシャは流す。


「あらら、喋るか食べるか泣くかどれかにしなさい?」

「そんなことはどうでも良いんですよおおおおおおおぉぉぉおぁ」

「わっごめんなさい。まあ……ひとまず私の上からどきましょうか。私は貴方のクッションじゃないのよ。」


パン屑と涙と鼻水を浴びながら、エルダは苦笑しながらどいてくれるように促した。

しかしそれはまるで聞こえていないらしい。

咽び泣きながらパンを食らう彼女のことを眺めながら…エルダは、(この子、なに畏まってるのかしら。)と微かに首をひねる。

いくら数年を経ての再会とは言え、この固い言葉遣いはどうしたことだろう。まるでサシャの性格に合わなかった。


「わ、わたし……まっ、ま待ってたんですよっ………!冬になったら、き、きっきてくれるって…あ、ぅ約束したのにっ………!!」


しかしながら、しゃくりあげながら懸命に言葉を紡ぐそのいじらしさに堪らず、エルダの胸の内からその懸念は吹っ飛んで行った。


ああ、


と小さく言って、後から後から出てくる涙を伝わせる友人の両頬を掌で包み込んでやった。


「……ごめんなさい。」


自分の気持ちがしっかりと伝わるように、彼女の飴色の瞳を真っ直ぐに見つめながら言うが…サシャはエルダから視線を逸らして目を伏せる。その際にまた大粒の涙が目尻から垂れていった。涙はひどく熱い。


「ど、んなに私が心配してたか……わっ、分かって…」

「そうね…。すごく心配かけたわね。本当にごめんなさい。」

「ばっ…馬鹿っ……エルダの馬鹿ぁ……!」

「ええ、貴方の言う通りだわ。私は馬鹿ね…。でもどうか、理由を説明させて頂戴?」

出来るだけ優しく頬に触れてから、その柔らかな頭髪へと指先をやっては撫でる。


「そんなこと知らない…、嫌いです……!エルダなんか大嫌い…っ」

「あら……。本当に?」


微笑しながら訪ねて、彼女の頭を撫でていたその手で胡桃色の毛先に指を絡める。

…………サシャがこちらを見るので、少し首を傾げてその答えを待った。



「そ…それは、嘘ですけれど……。」

「ふふ、ならよかったわ。私はサシャのこと大好きなんだから…嫌いなんて言われたら、とっても悲しいわ。」


そう言っては、エルダは先ほどから自分たちの様子を呆然と眺めていたクリスタの方を向く。「…ごめんなさい、貴方からしたら何が何だかって感じよね?」と謝罪をしつつ。


「あ…えっと。大丈夫だよ…。なんとなくだけど状況は分かったし。」

「そう?流石だわ、やっぱり貴方はとても賢いお嬢さんなのね。」

「別に賢くなくても普通は分かると思うけど…。」

「そうかしら?」


ようやく落ち着いたのか静かになったサシャの背中をそっとさすってやりながら、エルダはクリスタとの会話を続ける。

………途中、サシャがパンを喉に詰まらせたらしく苦しそうな音がその喉から鳴った。

エルダが大丈夫?と声をかける傍、クリスタが苦笑をしながら「水も飲まないとダメだよ…」と言いつつ皮袋に入った水をサシャへと差し出す。


「…まあ。」

その様を眺めながら、エルダは感嘆の声を小さく上げる。


「貴方は本当に優しいのね………。」


心から感心してそう述べれば、また美しい少女はそれを否定するような言葉を口の中で呟く。しかしその声は小さかったので、エルダの耳にまでは届かなかった。







「…………ねえサシャ。寝ちゃうのは良いんだけど…その前に、私の上からどいてくれない…?」


エルダは、倒れるように眠りの底へ落っこちてしまったサシャへと遠慮がちに声をかける。

しかしながらそれは疲労の限界値を突破した彼女に対しては意味をなさないようである。サシャはすっかりと気持ち良さそうに寝息を立てながら、時折寝言で「パン……」と呟いている。


「や、柔らかくて大きいパン………ぅ」

「サシャ、それパンじゃ無いわ………。」


自身のシャツへとよだれを垂らしながら胸部を弄って来るサシャを呆れたように諌めながら、エルダはクリスタへと困ったような笑いを向ける。彼女は同じように苦笑しては、同情を示してくれた。


「…………オイ。何やってんだ?」


しかし緩やかに流れていた辺りののんびりとした時間をぴしゃりと終わらせるように、冷めた女性の声が三人の上から投げかけられた。

未だサシャの下敷きになった状態でエルダがその方へと視線をやれば、やや目つきが悪いながらも整った顔立ちの女性が…声と同様に冷めた目つきでこちらを見下ろしていた。


(……………………。)


エルダはゆっくりと瞬きをして、彼女の瞳を見つめる。……女性はそれに気が付いたらしく、エルダのことを眺める視線を鋭くした。


「えっと…この子は今まで走りっぱなしで」


周囲の空気がやや硬質なものになったことを気遣ってか、クリスタが控えめな声色で彼女へと状況を説明しようとした。


「芋女じゃない、お前等だ。晩飯のパンを隠してる時からイラついてた……。親に内緒で飼ってるペットにエサやるみてぇな…。」


(あらあら…。)


エルダは時折意味不明な寝言を呟くサシャの頭を軽く抱き寄せてやりながら、険悪な雰囲気をまとった女性と怯えたようにオロオロとしているクリスタのことを交互に眺めた。


「なぁお前等…『良いこと』しようとしてるだろ?それは芋女のためにやったのか?お前等の得た達成感や高揚感はその労力に見合ったか?」

「え...」


的確で鋭利なその指摘に、クリスタの白い顔がさっと青ざめていった。

そして…彼女は青くなってしまったその顔を斜め下を向けてから、眉根を微かに寄せる。


(あ、)


とエルダは思う。

しかし、クリスタは迷いに迷いながらも応える言葉を探しているようだった。そして時折つかえながらも、それを述べる。


「私は…、私が……こうしたかったのは…役に立つ人間だと思われたいから…な、のかな...?」

ひどく弱々しい声だ。

それを聞いた女性は容赦せずに視線を鋭くし、値踏みするようにしてクリスタのことを眺めた。…そして、口を開こうとする。


「…………ダメよ、やめなさい。」


しかしエルダはそれを制した。

…女性がゆっくりとこちらを向く。

自分の言葉が遮られたことが不愉快だったらしく、痛いほどに強い視線と共に敵意を送られてしまう。エルダはちょっとだけ肩をすくめた。


「貴方ねえ、まだ若いお嬢さんなんだから…あんまり難しく考えないの。そんなに回りくどく考えてたら五年後には白髪になっちゃうわよ?」


サシャの下からよっこいしょ、と呟きながら這い出たエルダは、スカートに付いた土埃を軽く払いながら発言する。


「良いことと悪いことは常に背中合わせで、刃ですっぱり分けられるほど単純なことでも無いじゃない…。考えたらキリがないわ。それよりも、自分本位に自分がしたいことをするのが私たち若者の特権じゃないかしら。」


ねえ、と同意を促してみる。……勿論のこと応えてもらえなかったが、代わりに女性は卑屈めいた笑みを浮かべた。


「へえ…その自分本位、に振り回される周りのことを…お前は考えたことがあるのか?」

「それはお互い様じゃないかしら?皆自分が可愛くて、幸せになるために精一杯なのよ。その上で衝突が起こるのは仕方のないことだわ。」


自己満足でも良いじゃない、とエルダはニッコリとして傍にいたクリスタの肩を抱く。彼女は少しだけ驚いたようにしてこちらのことを見上げてきた。


「大事なのは愛だわ、愛。」


人に対しても、自分に対してもね、と囁くように付け加えて、エルダは長身の女性へと今一度愛想良く笑いかける。

彼女はどう言うわけかひどく表情を険しくして、こちらを睨みつけてくる。

………何かを言うらしい。濡れて仄かに紅色の女性の唇が少しだけ開くが…そこから言葉が発せられることはなく、代わりに盛大な舌打ちが漏らされた。


「女の子がそんな下品な音出しちゃダメよ…。」

エルダの注意を無視して、彼女は倒れているサシャの傍まで長い脚で一足に歩み、その様子を伺うように屈み込む。


「とにかく…芋女をベッドまで運ぶぞ。」


そしてボソリとした声で呟く。


「え!?」


意外なその提案にクリスタが驚きの声をあげた。

彼女はその大きな青い目を見張ったままで、「……えっと…貴方はなんで…『良いこと』をするの?」と遠慮がちに尋ねる。


長身の女性は少々いやらしい笑みを作っては「こいつに貸しを作って恩に着せるためだ…こいつの馬鹿さには期待できる。」と理由を述べた。


その様を見守りつつ、エルダは顎のあたりに指先をやって考える。


(………悪い子では…無さそうね。)

(これもきっと、分かりにくいながらも愛の形のひとつなんだわ。)


一人悦に入り、エルダはうん、とひとつ頷いた。







「重くないかしら。そろそろ交代するわよ?」


四人で女子寮へ向かう道程で、サシャを担ぐユミルへとエルダが声をかけてきた。

ユミルは応えてちら、とその方を見るが…やがて「いや、良い。」と素っ気なく言った。


「遠慮しなくても良いわよ?これでもそれなりに体力はあるんだから。」

「説得力ねえこと言うのはやめろ…。それにまあ…これでお前にもひとつ貸しが出来るってもんだ。」

「随分と強引ねえ。まあ構わないけれど。」

「ふうん、聞き分けの良い奴だな。でも良いのか?この貸しと引き換えにとんでもなく野蛮なことを要求するかもしれないぞ…?」

「あら、どんなことかしら。」


ふふ、と笑ってエルダは楽しそうな表情で続きを促してくる。

…………ユミルは不快な気持ちになった。どうにもやりにくいと、苦々しい感慨を抱く。


「まあ…でも。きっとその心配はないでしょう。」


ユミルの答えを待たず、エルダは自身の髪を軽く触りながら言う。その真意が分からず黙っていれば、彼女はこちらを見上げてくる瞳の形を少しだけ優しいものにする。


「ユミルは結構優しい人みたいだもの…ね。」

「はあ…?お前さっきから本当に何なんだよ。…良い加減うぜえ。」

「貴方こそ随分と突っかかってくるのねえ。これから同じ場所で生活するのよ?歩み寄ろうって言う精神はないのかしら…。」

「ごめんだね、私はてめえみたいな清純気取った偽善者が大っ嫌いなんだ。」


大っ嫌い、の部分を特に強調して言えば、エルダは「あらそう、悲しいわ。」と全然悲しくなさそうにしながら零した。

妙に余裕があるその態度が気に食わずエルダにしっかりと聞こえるように舌打ちをしてやれば、「せっかくの美人さんが台無しよ?」とまるで年齢にそぐわず年寄りじみたことを言われる。


「……睨まないの。不快な思いをさせちゃったならごめんなさい、でも私は…貴方みたいな人、結構好きなのよ。」


ふふ、とエルダは口元に掌を当てて上品に微笑んだ。

ユミルは憤りとも苛立ちともつかない訳の分からない気持ちになって、眉根を寄せて出来る限りの敵意を込めた視線を送る。

それにまるで構わず、エルダは今一度小さく笑っては、隣に並んでいたクリスタの肩をまたそっと抱き寄せた。


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