光の道 | ナノ
サシャと再会する 01 [ 2/167 ]

戦慄がその場を駆け巡った。

教官の凄まじい恫喝により緊張感が最高潮に達している中、何故か芋を食っている女の存在に全員が唖然としている。


エルダもその一人だったが…彼女の場合更に別の事実に驚かされていた。

そして、なんだか笑ってしまいたくなった。

目を細めて、「相変わらずねえ…」と呟けば、ついに我慢できなくなって、周りに聞こえない程度の笑い声を微かに漏らす。


……自分はこの芋を頬張る少女を知っているのだ。

父は各地を旅しながら往診して回る根無し草の医者だった。彼と共に、毎年一回訪れる山奥の村に住んでいた…元気が良すぎるほど良い、天真爛漫な友達。

お互い年齢の近い友人がいなかったものだから、すぐに仲良くなって…それから毎年毎年、短い冬の期間を共に過ごしたあの子。

二年前の凄惨な事件により親が死んでからは会いに行く事ができずにいたが…実に数年ぶり、互いに訓練兵として奇跡の再会を果たすことになったらしい。


(本当に相変わらず、貴方はマイペースなのねえ。…困ったものだわ。)


サシャの自分に正直で天真爛漫な性質を良く良く知っていたエルダは、ひとつ溜め息を吐く。そして彼女と彼女を見つめては立ち尽くすキース教官のことを引き続き眺めた。


(でも…そこがとっても可愛いところだわ。)


ふふ、とエルダは今一度笑みを漏らす。その様子を隣に立っていた長身の男性が不思議そうに見下ろしていることに気が付き、彼女は少々恥ずかしくなってコホンとひとつ咳払いをした。


(そうねえ、けれど私たち…会わなくなって随分経つわ。他人の空似の可能性もあるのよねえ。)


「貴様だ!貴様に言ってる!!貴様…何者なんだ!?」

怒声を受けて大急ぎで芋を嚥下する少女のことを、エルダは今一度まじまじと観察する。


「ウォール・ローゼ南区ダウパー村出身!!サシャ・ブラウスです!」


そして彼女は彼女なりに精一杯真面目くさって名を名乗る。

紛う事なきサシャ・ブラウス本人である。エルダはパチパチ、と瞬きをして…再び、ゆっくりと微笑をした。

勿論のこと、サシャの方はエルダに気が付いていないらしい。(どうしたものかしらね。)とエルダは思う。


(……何も言わずに、数年近く音沙汰しなかったわ。サシャは怒ってるかしら。それとも、私のことなんて忘れちゃっているかしら。)


「どうしたものかしらね…」

今度は小さな声で、口に出して呟いた。…自分にしか聞こえない程度の声量と思ったが、隣の男性には聞こえてしまったらしい。またしても不思議そうな表情でこちらを見下ろされてしまった。







教官の怒りを買ってしまったサシャは五時間休み無しで走らされているらしい。

エルダは生来の心配性及びサシャ可愛さのあまり、非常に落ち着きのない気持ちで夕飯を摂っていた。


(きっと走らされていることより、夕ご飯抜きの方が貴方には応えてるわよねえ…)


サシャの魅力的な特徴のうちひとつ…その旺盛な食欲のことは、エルダも良く良く知っていた。

長い年月狩猟で生きてきたダウパー村の土地に流れる血がそうさせるのだろうか…。兎にも角にも、あんなにご飯が大好きな子に半日近く何も食べさせないだなんて…可哀想すぎると、エルダは一人胸を痛めていた。


(……………………。)


エルダは、サシャと話がしたかった。

けれども再会するにはまだ不安…そして負い目があった。

あんなに毎年、必ず来年も来て、必ず来るわと固く約束をしていたのに関わらず…一方的にそれを破って、何の連絡もしなかった。

しかしながらこうしていても仕様がないのは確かだ。これから三年間の生活を共にするのだから、自分の存在がバレない筈はない。………彼女が忘れていない限りは。


(ううん、忘れるはずないわ…。サシャはちょっとだけうっかりさんだけれど、とても優しい子だもの。)

(ごめんなさい、もしなくちゃいけないしね………。)


エルダはひとつ息を吐き、手付かずにいた自分のパンを素早くハンカチに包んでポケットへと収める。


(それに夕飯抜きの憂き目にあった貴方にこっそりご飯をあげるのは、昔から私の役目だったものね。)


なんだか懐かしい気持ちになって、エルダは再び小さく笑ってはそっと抜け出す為に辺りの様子を伺う。

………誰も自分には注目していないと思ったが、唯一人とパチリと目が合ってしまう。…先ほど隣にいた、背が高く大人しそうな青年だ。確か名前は…

(そう言えばさっきは教官に名前を聞かれていなかったわね…。今度ちゃんとお名前教えてもらいましょうね、これも何かのご縁だわ。)

ニッコリと笑いかけると、彼は弾かれたように顔を伏せる。尚も見つめ続けていると、実に気まずそうな雰囲気で自分のスープ皿の中身を忙しなくスプーンでかき混ぜ始めてしまった。


「あらあら」


エルダは小さな声で呟き、思わず苦笑をした。







ようやく走り終えたらしいサシャがよろよろとこちらに向かって来る。

(あら…倒れちゃった。)

大変大変、とエルダはその方へ小走りで駆け寄ろうとする。


「あの……すみません。」

しかし、そんな彼女を鈴が転がるような可愛らしい声が呼び止めた。

応えて振り返れば、その声に相応しい…なんとも清廉な雰囲気の金髪碧眼の少女がおずおず、といった様子でエルダのことを見つめている。


「何かしら?」

と言って微笑んでやれば、どういうわけか彼女は戸惑ったような表情をする。

不思議に思い、エルダは少女の方へとゆっくりとした足取りで近付いた。

傍に来て、自分よりも低いその身長に目線を合わせる為に少し屈む。そして「こんばんは。」と挨拶をした。


「えっと…。………はい、こんばんは…。」

「貴方みたいな可愛いお嬢さんがいたなんて気が付かなかったわ。お名前は?」

「あ………、えっと…………。」

「あら?お名前忘れちゃったかしら。そういうこともあるわよね、私もうっかり自分の歳を忘れちゃったりするわあ。」

「いえ…、私は自分の歳忘れたりしませんけど……。」

「そう?貴方は私と違ってしっかりしたお嬢さんなのねえ。」

「………しっかりしてなくても年は忘れないと思います…。」

「あらあら。」


エルダは朗らかに笑ってから、名乗ろうとしない少女のことを暫しじっと見つめる。

…………少しして、ふいと顔を逸らされてしまった。その白い頬に夜の青い影が落ち込んでいるのが、なんとも儚げで印象的である。


(そう…………。)


エルダはそれを眺めて、少しだけ目を細める。


(ここにいる子の多くは……やっぱり、何かしらあるのね。)


………昔から、エルダはそう言ったことに敏感だった。

ずっと今まで、寂しい人間たちに囲まれて生きてきたからなのか。そして自分は彼女ら、彼らのことが好きなのだろう。

分かると、堪らない気持ちになる。


す、と手を伸ばして彼女の頭髪の辺りを触る。

随分と驚かしてしまったようで、少女はビクリと身体を震わせると、その大きな青い瞳でこちらのことをまじまじと見つめてきた。

エルダは構わずに、ゆっくりと指通りの良い美しい金髪を撫でては「で……私になんのご用事かしら?」と本題を切り出してみる。


「あ……、あの。」

「あら?それも忘れちゃったのかしら。………。そういうこともあるわよねえ、慣れない場所での初日で疲れてるもの。」

「いえ…!そうじゃなくて………」

「うん?」


少女は何かを言いたげに桜色の唇を開いたり閉じたりする。

その色付いた頬を眺めて…エルダは、ふと彼女の髪を撫でていた指の動きを止めては「ごめんなさい、馴れ馴れしかったかしら。」と苦笑した。


「いえ……。」


自分から離れて行くエルダの指を見つめながら、少女は呟くように言う。

そして仕切り直すように咳払いをして、「貴方も、彼女に差し入れを…?」とサシャの方をちらと眺めながら言った。


「そうよ。ということは……貴方もかしら。」

少女が隠すように持っていた包みと皮袋を視線で示しながら、エルダは尋ねる。


「うん。あのままじゃちょっと可哀想だなあ…って。」

「まあ優しいのね。外見だけじゃなくて中身まで天使みたいだわ。」


うふふ、とエルダは口元に軽く手を当てて微笑んだ。


「そんなこと……。でも、それなら貴方だって優しい、…ってことになるよ?」

「違うわよ。私のはただの罪滅ぼし、自己満足なの。」


笑ったままでエルダが応えれば、少女は訝しそうな表情でこちらを見た。


「それに新生活の初日に餓死者が出るなんて目覚め悪いじゃない?」


冗談めかして片目を瞑りながら言えば、ようやく少女はおかしそうに目を細めて笑う。



(あら、なんて可愛らしい笑顔。)


もし私が男の子だったら好きになっちゃうかもね、とエルダは心の中で呟いては同じようにクスクスと微かな笑い声を上げた。


「私はね、エルダっていうの。これからよろしくね。」

掌を差し出して彼女に握手を求める。

少女はやはり…何かに戸惑うようにしてエルダの顔、それから指先を見比べた。

安心させるように微笑んで、応えてもらうのを暫し待てば…恐る恐る、と言った体で握ってくる。


「………クリスタ。私はね、クリスタっていうの。」


そして、小さな声で自分の名前を告げてくる。

白く細い指先に、唇の桜色を薄くした淡い色の爪。まるで絵本から抜け出してきたような可憐な少女の掌を握りながら、エルダは「そう……。」と相槌を打った。


「素敵な名前ね。」

「……そうかな。」

「そうよ、有名な詩人と同じ。……だからこれからは忘れちゃダメよ?」

「だから私は忘れてたわけじゃないよ……。」


何かを言いたそうにしている彼女の頭を、エルダは再度撫でた。

細く滑らかで、真っ直ぐな金色の髪の毛の感触が心地良い。


「お姫様みたいね、貴方。」


思わず、エルダは一言そう漏らした。


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