光の道 | ナノ
ベルトルトとお出かけする 02 [ 163/167 ]

手袋と端切れをいくつか買い、二人は店を後にした。


結局……ベルトルトは最後までどの手袋を購入するか決めかねてしまい、最終的には再びエルダに選んでもらうこととなった。

こう言う時、彼は自分の優柔不断さを思ってひどくいたたまれない気持ちになる。


(でも………)


深い茶色の手袋の片方を惜しい気持ちになりながら返してやりつつも、ベルトルトは思った。


(それでも、これはエルダに選んでもらったから…大切にしよう。)


彼が感慨に耽っていると…ふと、一歩前を歩いていたエルダが足を止める。

気付くと、自分たちの周囲の人間も皆そぞろに立ち止まっては何かひとつのものを伺うようにしていた。

(あ……)


辺りには重々しい空気が立ち込めている。

そして草臥れ果てた馬が力無く鳴らす蹄、引き絞るような車輪の音が近付いてくる。

それらに取り巻かれて歩む兵士たちの面持ちも等しく暗く、彼等を出迎え歓迎する子どもたちの声だけが場違いに明るかった。


「調査兵団の兵士たちね…。壁外調査からちょうど帰って来たばかりなんだわ。」

囁くようにして、エルダは呟く。それはベルトルトに対してというよりは、どこか独り言のような響きを持っていた。


(壁外)

その二文字はベルトルトの心を激しく揺さぶった。

傷だらけの兵士たちの様子から察するに、相変わらず外の世界は陰惨を極めているのだろう。

一体、どれだけの仲間たちが未だ自我を忘れ…永遠とも思える地獄と楽園の狭間を彷徨っているのだろうか。

(そして、僕たちの故郷は…一体、どこへ)


「ベルトルト?」

呼びかけられて、彼の思考はようやく現実へと立ち返る。

「大丈夫かしら…?顔色があまり良くないわよ。」

はっ、とした。予想外にエルダの顔が自身のものと近かったのだ。

驚いて後退りしつつ、彼は「な、んでもないよ…なんでも。」と答える。

「………それよりも。無関係な僕らが壁の近くにいるときっと怒られちゃうから…早く、行こうか……」

しかしながら続けたその声も非常に弱々しく、自分ながら情けないほどであった。


(嫌だな…)

この時、彼は心の奥で正直にそう思った。

折角の天気の良い休日だった。好きな女の子に出会うことが出来て、一緒に出掛けて、二人の時間を多く持つことが出来た。それなのに…


掌中にあった、新しい手袋が入った紙の袋が風に煽られてカサリと鳴る。ベルトルトは少しの力を入れてそれを持ち直した。


(僕は…もしも許されるならこの場所で生まれたかった。いや、更に言うならば巨人だの人間だの、そういうしがらみとは無関係な場所で…。)

俯いてしまったベルトルトの顔を、エルダが心配そうな表情をして見上げている。

…気を遣わせてしまっている。その気持ちが、彼の気持ちを一層落ち込ませていく。

(そういう場所で、エルダとまた出会えたら…きっと、もっと…ちゃんと君の目を見て、心で話すことが出来たのかな…。)


……気付くと、雑踏の中でエルダの姿は見えなくなってしまっていた。

そのことによって急激に不安になり辺りを見回すが、一向に彼女の姿は探し出せない。

(え…嘘、どこ……?)

もしかしたら、一向にうまく立ち振る舞えない自分に呆れて帰ってしまったのかもしれない。

彼女はそんなことをする人間ではないと分かってはいたが、ひどく心細い気分になってなんだか泣いてしまいたくなる。


(でも…そうだよね。色んなもしもを思い浮かべたって、結局現実は変わらないよね…。)


相変わらず、大通りは重々しい轍と蹄の音と傷だらけの兵士たちの歩みで埋められていた。

壁の外の匂い。心の奥から故郷の記憶を呼び覚ます匂い。自分は戦士であるのだと思い出す、匂い。


「へえっ!?」

しかし、ベルトルトは自身のシリアスな思考回路とは明らかにかけ離れた頓狂な声を上げた。

それが可笑しかったのか、殊更面白そうにエルダはくすくすと笑う。

そして、ベルトルトの頬に軽く押し当てていた白いカップを離しては彼に渡してくる。


「はい、寒かったでしょう?傍で買って来たから一緒に飲みましょうよ。」

ふたつのカップからは、一筋の白い湯気が立ち昇っている。

甘い匂いがした。ココアらしい。白い生クリームが、よく晴れた日の雲のようにポッカリとひとつ浮かべられている。


「久しぶりの街ですもの、ちょっと疲れたでしょう。そろそろ帰りましょうか。」

両手でカップを包み込み、ゆっくりとした所作でココアを飲みながらエルダは訪ねてくる。

ベルトルトもまた…掌にじんわりとした熱を伝えてくるカップを握り直しては、溜め息を吐く。

そうして、首を横に振った。その様を、エルダはお馴染みの淡い色をした瞳で眺めている。

「ううん……。」

ベルトルトの小さな応えを、エルダは僅かに首を傾げながら待っていた。


「もう少し…」

まだ、一緒に。


最後の言葉は果たして彼女に聞こえたのだろうか。それが分からない程にベルトルトの言葉はか細く、弱々しいものだった。


「……そう。」

それじゃあ、そうしましょう。


穏やかに言っては、エルダは笑った。

耐えきれなくなって、ベルトルトは気の抜けた声を上げた。

どうしたの?と不思議そうにするエルダに対してまたベルトルトは弱く頭を振り、そうして本日何度目かになる溜め息を盛大に吐いた。


「ああ…もう。本当、エルダが優しいから……」

ちら、と彼女の方を見れば、相変わらずエルダは笑っていた。ベルトルトの表情の七変化を面白く見守っているのだろう。

「つい…甘えちゃうよ……」

彼の言葉を聞いて、エルダは「あら」と嬉しそうに応える。

「それなら嬉しいわ。そう言ってもらえる内が花だもの。」

それに私の方がお姉さんですものねえ。と言いながら、エルダは殊更幸せそうに手を伸ばしてはベルトルトの短いくせっ毛を撫でてやった。


やめてよ、人が見てるよ…恥ずかしいよ。


色々な言葉がベルトルトの心象に浮かんだが、結局それは言葉にはならなかった。

ただ、今はこの心地良い感覚を甘受し続けよう。その願いを優先させたいという気持ちが、今の彼の中では最も強かったのだ。


「よしよし」


私で良ければ、いつでも甘えてちょうだいね。

そう言いながら、エルダはベルトルトの頭髪をゆっくりと撫で続けた。その表情は今の彼の心情と同じように、随分と幸せそうである。


……気が付けば、調査兵団の姿はすっかりと疎らになり、街はいつもの活気を取り戻しつつあった。

そうして、二人は並んで立ったままですっかりと冷めてしまったココアをゆっくりと飲む。

やはり会話は言葉少なではあったが、それでももうベルトルトが息苦しさを感じることはなかった。







「あのさ……もう僕は手袋を買ったから……今度は、エルダが行きたいところに行こうよ。」


エルダの色素の薄い頭髪のつむじへとなんとなく目をやりながら、ベルトルトは話しかける。

彼女は「私の?」とおうむ返すように訪ねてきた。


「うん、エルダの。………というよりも、僕はとくに行きたい場所もないし……。」

「そう……。」

「かといって、帰りたいわけでもないんだ。なんか……こんなことばっかりで、ごめん。」

「難しく考えちゃ駄目よ。そういう時だってあるわ、人間って。」


ねえ、と言いながら、エルダはにっこりとしてベルトルトの手を取った。その流れがあまりにも自然だったので、驚いたベルトルトは思わず息を呑む。


「帰りたくないなら、付き合うわよ。貴方を連れ出しちゃった責任もあるもの。」


今日はとことん遊んで帰りましょうか、とこちらを見上げてくるエルダの表情はやはり楽しげなものであった。

その印象をそのまま口にすれば、エルダは「だって友達とお出かけしに来ているんですもの。楽しくないわけがないわ。」と朗らかに応えてみせる。


「…………えっと、僕みたいなの、とでも?」

「随分自分に自信がないのねえ。………その謙虚さが貴方の良いところでもあるけれど。」


手を繋いだまま、エルダが歩く速度を上げていくので、ベルトルトは引っ張られるような形になって彼女の後を追った。

歩きながら振り返るエルダが「じゃあ問題ね。これから私が行くところはどこだと思う?」と弾んだ声で質問する。


「ヒントは私が好きなものがいっぱいあるところよ。」

「えっと………。うーん…。眼鏡屋さん…とか?」

「別に好きでかけてるわけじゃないのよ。貴方って本当にいつも面白いこと言うわね。」

「あっ……えっと。ごめん。」

「あらあら謝らないでちょうだい。」


エルダはどうやらベルトルトの発言がツボにはまったらしい。一通り可笑しそうに笑い終えると、「はい、ここはどこでしょう。」とちょっとだけおどけながら足を止めた。


「そっか。本屋さんか…。」

「そうよ、本屋さん。あんまりここに来るのに付き合ってくれる子がいないから…今日は一緒に来てくれて嬉しいわ。」


ベルトルトは今更ながら、自分の先ほどのトンチンカンな答えが恥ずかしくなって赤面する気持ちになる。

しかしエルダはそれに構うことなく、掌を繋げたままで店内へと進んでいってしまった。


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