光の道 | ナノ
アニと鳥と好きな人 04 [ 160/167 ]

「………なんでいるの。」

「偶然よ。」


エルダの応答に、アニは「嘘吐かないで」と冷ややかに言った。

「偶然なんかじゃない癖に………」

「あら……。それじゃあ、運命かしら。」

「ふざけないで。」


真っ赤な夕日を見据えたままで、彼女は吐き捨てるようにする。

そうして……嫌だ、と思った。絶対に会いたくないと心から思っていたのに。


エルダが笑う気配がする。いつものように穏やかな表情で。


アニは彼女を睨みつけながら、その方へ挑むように一歩踏み出した。

周りに残っていた数羽の鳥が驚いたらしくそこから飛び立って行く。


「私がここに来るって……知っていたんでしょ。」

「ええ、知っていたわ。私は貴方に会いたかったわよ…アニ。」


いとも簡単に彼女は答えてみせた。

背景では水の流れる音が規則的に響いている。穏やかな夕刻だった。


「…………私は、会いたくなかった。」

やっとの思いで、アニは言う。しかしエルダはずっと変わらずに微笑んでいるようだった。


「それも知ってるわ。ライナーからちゃんと聞いてるもの。」

「じゃあなんで、私の隣に今いるの。」


エルダの目がゆっくりと細められる。安らかな表情だった。

河の向こうで激しく燃える夕日とは対照的に、その瞳の色はどこまでも静かである。


「貴方が………こういう時、どこにいるかなんてすぐ分かるわよ。」

エルダの白い指が、アニの掌を握ろうと伸ばされる。その気配を察して、アニは身を固くした。


「いつも、わざと私に見つけてもらえるようなところにいるんだもの。」

「そんなことない……」


掠れる声で否定するが、もうこんなことに意味がない事実くらいアニにも分かっていた。

けれど、拒否しなくてはならない。

自身に触れようとする彼女の淑やかな指先を振り払い、「やめて」と短く言った。


「……気安く触らないで。」


エルダはとくに気に触った様子もなく、大人しく掌を元の位置に戻す。


「あんたのそういうところが嫌い……。」


アニはエルダの肩の辺りを強く押し、その身体を退かせようとした。

しかし上手く力が入らない。いつもの通りならば、こんなか弱い身体の持ち主なんて容易く突き飛ばして、膝をつかせることが出来るのに。

エルダは精々少しよろめいただけで、二人の距離は少しも隔たらなかった。


「アニ、こっちにおいで。」


エルダはアニに拒否された事実をものともしないらしい。昔と変わらず、ひどく優しい声で傍に誘おうとする。

その強力な誘惑を、アニはやっとの思いで堪える。


「近付かないで」


固い口調で言葉を続ける。

誘惑に負けないように……彼女の優しさは自分だけのものではないんだ、と言い聞かせる。


「あんたは………どうせ私から離れて行くんでしょ」


そしてその事実を思い返せば、耐え難い気持ちになった。


「一生一緒にいてくれないなら、私はあんたなんかいらない………。」


その温かさを向けられる全ての人間が、堪らなく妬ましくなった。

それから………荒んだ心の中に意地悪さが顔を出す。

こんなことはもうやめようと頭の中で囁く声を無視して、アニは出来るだけ冷たい視線をエルダへと注いだ。


「どうせ……私じゃなくても良いんでしょ。あんたさ、人に取り入るのは上手だもんね。
………早く帰ったら。お友達が、待ってるでしょう。」


だがどういう訳かエルダは決して笑顔を絶やそうとはしなかった。それどころか、より一層笑みを濃くする。

まるで小さな子どもの我が儘を聞いて、微笑ましく思う母親のような笑い方だった。


「なんだか……ライナーにも、似たようなことを聞かれたのよ。」

そう言いながら、彼女は再び近付いて来た白い鳥へとそろりと手を伸ばす。

鳥は桃色の足でエルダの指先へと留まった。彼女は愛おしそうにその様を眺める。


「アニと一生友達でいれるのか……とか。……アニが親の仇でも友達でいれるのか……とか。
もしそれが不可能なら、もう会わないで欲しい……とか。」

「…………それで、なんて答えたの………。」


エルダの指先に留まっていた鳥が、泳ぐように大気の中へと飛び立って行く。

赤く染まる景色の遠くへと遠ざかって行くそれを、彼女はしばし見守っていた。


「………………。私は、それでもアニの友達よ。」


そして小さな声で、けれども確かに言った。

彼女は緩やかな弧をゆっくりと唇に描き、優しい表情をする。


「………父親の……仇でも………?」

「ライナーといい貴方といいそんなことばかり。貴方と私のお父さんが死んだことになんの関係があるの。」

「まだしらばっくれるの。」


アニの言葉に、エルダは笑うのをやめた。そうして……ライナーの質問への回答と同じものをアニへと示す。


「………ええ。お父さんの仇でも、ね。」


やはり、その言葉にこめられたのは誠意だった。

アニは堪らなかった。彼女の真摯さが眩しく、自身がより一層醜く見えて嫌だった。

鳥が数羽、またエルダの傍へとやってくる。

………本当に鳥に好かれる女だ。いや……彼女が鳥を好きだから、なのだろう。


愛されていると分かるからこそ、愛しくてたまらない……

当たり前過ぎる、原始的な感情である。


「復讐したくて、調査兵団に入ったんじゃないの。」

「違うわ。」

「殺さないの。」

「私は殺さない。」

「なんで…………」


アニの問いに対して、エルダは力なく首を横に振った。それから少し困った表情をして言葉を返す。


「私……お父さんが死んですごく悲しかったけれど、そのお陰で、やっと……あの人が言っていた言葉のひとつひとつを、少しだけ理解出来た気がするの。」

エルダは視線を夕日の方へと向ける。それが沈みいく運河の向こうには壁があった。先ほどの鳥の姿は、もう見えなかった。


「………一人になって、悪い大人に沢山騙されて……
でも、そういう目にあわないと、私……分からなかったのよね。」

「……………。恨んでないの。」

「恨まないわ………。」

「辛く……苦しくはなかったの。」

「それを知らずにいるほうが、もっと怖いもの。」


怖いの。

エルダはその言葉を繰り返し、もう一度アニの掌を取った。

二人は……ようやく自然な形で繋がった。それに安心したらしいエルダが握ってくる。

アニは握り返すことが出来なかった。どうすれば良いか分からず、ただ戸惑っていた。



「ねえ………、アニ。」


呼びかけながら、エルダはゆっくりと握った掌を離し、今度はアニの双肩に両手を乗せる。

真っ直ぐにこちらを見つめて来る彼女の輪郭は、真紅の灯に縁取られて燃えているようだった。


アニはゆっくりと瞼を閉じる。

エルダの優しい声を確かめるように聞く時……脳裏には様々な記憶が蝋燭に火を灯すようにふうと蘇っていく。

………閉じた瞼の裏でも、まだ光を感じた。それほどまでに激しく美しい色の夕焼けであった。


「辛かったわね。」


初めて人を食らった日、生い茂る森の向こうで一筋の光を投げ掛ける月を見た。


「悲しかったわね。」


何度も何度も沢山の命を蹂躙していった日、足下に転がる死体の周り一面に真っ白い花が咲いているのを見た。

風がそれらの花弁をほろほろと運んで行く。


「寂しかったでしょう?」


仲間が、自分が、誰にも言えない罪を抱えながら少しずつ壊れていくことを感じ怯えて過ごした日々、いつも思っていた。

世界はどうしてこうも残酷で、美し過ぎるのだろうと。


「分かるわ、私もとっても寂しかったもの。」


アニはゆっくりと瞳を開く。

やはり、眼前の景色は美しかった。紅の夕焼けは雲を浸して、黄金色の波がちらちらと水面に輝いている。


「…………辛かった。」


アニの口から出た言葉は、想像以上にか細くて、すっかり掠れてしまっていた。

そして……それは、言ってはいけない言葉だった。決して認めてはいけない感情だった。


「悲しかった…………。」


それを知ってしまえば、戦士にはなることは適わないことも分かっていた。

人を愛してしまえば、嫌が応にもそれを思い知ることだって充分に理解していた。


「寂しかった………!!」


……嫌だ、と思った。自分はきっと泣いてしまう。だから絶対に会いたくないと心から思っていた。

でも、嬉しかった。何度拒否しても、追いかけて来てくれるのが嬉しかった。

自分を愛してくれている目の前の女が死ぬ程愛おしくて、同じくらいに憎らしかった。


辺りは静かで、河の流れる音だけが寂々と響いている。


アニは、一度は拒んだ彼女の胸の中に自分から飛び込んでいった。

柔らかで温かい、彼女しか持たない熱に包まれるのが分かる。


強く抱かれて、髪を撫でられた。

ずっと、こうして欲しかったことを思い出せば堪らなくなって、なにも言えなくなる。

自分の役目も、戦士の誇りも全てこの瞬間だけは忘れて、アニはその温もりに全身を委ねた。

本当に本当に、懐かしい………


「うん………。」

エルダの声が聞こえる。温かな鼓動と一緒に。


「頑張った。」


まるで子どもに言い聞かせるような口調で、彼女は言った。


「頑張ったわねえ、アニ。」


エルダが抱き締めて来る力は、どんどん、どんどんと強くなった。


肌寒い風が、やがて少しずつ夜の気配を漂わせてくる。

赤い夕日は、炎のような輝きを保ったままで地平線へと沈んで行くのだろう。


アニは呪った。エルダが一生自分から逃れられないようにと強く強く呪いをかけた。

夜と昼の間、極彩色の青赤橙が二人の頭上の空で混ざり合う。まるで毒を吐いたような、美事で壮麗な景色であった。


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