光の道 | ナノ
アニと鳥と好きな人 01 [ 157/167 ]

『ミケの誕生日』続きの時間軸)



「…………もうすぐ演習でこっちに来るそうじゃないか。」

ふと、思い出したようにライナーはアニに言った。

声を潜めながらも、明るく振る舞おうとしているのがよく分かる。

アニがなにも応えないので、そのままでライナーは続けた。

「良かったら会うか。………こうして毎度夜間にこそこそと会うのもなんだろう。」

「…………。会っても話すことなんて無いでしょ。」

「お前なあ……。」


平素からアニはお世辞にも愛想が良いとは言えないが、最近は殊更である。思わずライナーは溜め息を吐いた。



「そんなんで憲兵団の連中と上手くやれてるのか?」

「別に………。大きなお世話。」

「…………………。」


ライナーは思わず唸った。………これではまるで年頃の娘を持つ父親の気分である。

少しの思索の後、ライナーは再び口を開いた。


「こっちの連中も、お前に会いたがってると思うぞ。」


そんな彼の言葉を、アニは至極興味無さそうに聞いていた。

………そして、いつまで経っても戦士と兵士の顔の使い分けが上手く出来ない友人に対して少しの苛立ちを募らせた。


「なんなら………エルダだって」


ライナーが続けようとした言葉は寸でのところで飲み込まれた。

アニがいつにも増して鋭い瞳で彼をねめつけたからだ。


「…………………。」


ライナーは非常に渋い気持ちになった。………最近、彼女はどうしてもこう頑なのだ。

且つてあれほどまでに…依存と言えるほどに大切にしていたエルダさえも……いや、だからこそだろうか………ひどく遠ざけようとしてしまっている。


「必要以上の接触は……危険だと思う。」


アニは、緊張してしまった場の空気を収めるように視線を伏せ、極力落ち着いた声で言った。

ライナーは微かに頷き、「そうだな」と相槌を打つ。


「今のところもう話し合うことは無いでしょ。」

「確かにそうだが……。」

「それにあんただって、私に気を遣う必要は無いんだから。」


アニはもう一度、自身よりも随分と高い位置にあるライナーのことを見上げる。

その青い瞳はいつものように冷たい色をしている。しかしライナーは、その奥にどうしようもなく不器用な彼女なりの優しさを感じ取り、またひとつ、息を吐いた。


「今は……自分の務めのことを考えないと………。」

「会ってやれば、ベルトルトも喜ぶとは思うが。」

「その必要はない。」


食い下がるライナーに対して、アニはぴしゃりと言った。


「エルダだって…………」

「やめて」


なおも続くライナーの言葉を遮るようにアニは少し強い口調で言った。

彼女の意を汲み、ライナーも素直に口を噤む。


もう今夜はこれで終わりだ、と言うようにアニはそこから立ち去ろうとしていた。

猛禽類が鳴くらしいか細い声がする。ライナーはそれにしばし耳を傾け、遠ざかりつつある友人の背中を見送った。



「……………そうだ。」


足を止め、アニがなにかを思い出したように振り返る。美しい金色の髪が弱い月光に反射して鈍く光っていた。


「エルダに、伝えて欲しいんだけど。」


どこかで枝が折れる音がする。…………後、傷付いた獣の泣き声。夜行性の動物の狩りが、闇深い森の奥で静かに行われているようだ。


「もう私は、あれに会うつもりは無いから………。迷惑……来るな、って。言って。」


少しの間を置いて、ライナーは「良いのか、それで。」と低い声で言った。

アニは無言で頷く。


しばし二人は互いの瞳の中の色を確かめ合う。…………暫時して、ライナーも同じように頷いた。

アニは本当に小さな声で、ありがとう、と礼を述べた。







一人歩く暗い森の中で、アニは考えていた。

何を?

…………ここ最近で考えることなどたったひとつだった。


夜霧のほのかな中から鳴き声がするので、その方向……頭上を見上げる。

茂る葉に隠れて見えないが、確かにそこにいるのだろう。夜の森を我が物顔で飛び回る、巨大な猛禽が。


「……………あっち行ってよ。」


アニは呟き、足下にあった小石を拾い上げて気配の方向へと容赦無く投げる。

空を切る激しい羽音の後、気配は無くなる。

アニは舌打ちをする。鳥は嫌いだった。


そして…………あの人は、鳥が好きだった。

ともすれば脳裏に、慈しむように鳥を見上げていた懐かしい姿が蘇る。

その優しい表情が辛かった。

彼女がどれほど父親の教えを物語る鳥を……鳥になって、壁を越えて、いつでも見守っているという………

そして父親を想っているかが分かれば、その気持ちはひとしおだった。


その幻覚を追い払う為、アニは激しく首を横に振った。


(嫌い。)


なにに言うでもなく、強く思う。(嫌い、嫌い。)と繰り返して。

先ほど追い払ったのに、猛禽はまた近くまでやってきているらしい。夜空を横切るのびやかな羽音が、微かに聞こえた。







エルダを目の前にして、非常に言いにくそうにライナーは口を開く。

「アニは………もう、お前に会いたくないそうだ………。」


しかし、躊躇いながらもきっぱりと言い切る。

エルダは少々惚けたようにライナーを眺めていたが、やがて静かに頷いた。


「理由を聞いても良いかしら。」

「…………。そこまでは、与り知らない。」

「困ったわね。理由が分からないと納得出来るようなことじゃないわよ。」

ライナーは、エルダという女が意外と諦めが悪い人間だということを思い出す。

だが………現在、アニは来る日に対して非常にナイーヴになっている。仲間として友人として、彼女の平穏を出来るだけ守ってやりたかった。



「なあ………エルダ。お前は、ずっと………アニと友人でいてやれるか……」

…………言葉を選び、ようやく絞り出したライナーの質問に対して、エルダはいとも簡単に「勿論よ。」と答えてみせた。



「もしも……アニが、お前の親の仇でもか………」

そして続けられたライナーの言葉に、エルダは「え?」と不思議そうな声を上げる。

それから少し困ったように「待って、ちょっと話が見えないわ……」と付け加えた。



「そのままの意味だ。お前の父親の仇がもしあいつだとして……それでも、今と同じように付き合ってやれるのか。」

「……………そんなこと言われても……。」


明らかにエルダは戸惑っていた。

当然のことではあるが……、それでもライナーは構わずに続ける。


「もしも今、俺のこの問いに答えられないなら、もうアニのことは忘れてやって欲しい。」

「あらあら、ちょっと待って。あまりにも急だわ。そんな空想的なこと……すぐに答えろなんて無理があるもの。」


エルダは、どうやらライナーの言葉を性質の悪い冗談くらいにしか考えていないようだ。

けれど……自分を見下ろす彼の瞳があまりに鋭いことから、ようやくなにかしらを感じ取ったらしい。


ライナーは少しの間を置き、続ける言葉を紡ぐ。容赦をしようとは思わなかった。

それがアニの為であり、引いては自分の為であると、確かに思った。


「更に聞くが、お前は何故調査兵団に入ろうと思った?
もしも父親の仇の巨人を見つけたらどうする?殺すのか?殺すんだろう。その為にここにいるんだろう?」


……………エルダは人一倍穏やかで静かな人間だが、その奥底に色濃い苦しみと悲しみが流れていることを、ライナーはよく知っていた。

ただ一人の肉親を失ったことからくる深い孤独を、エルダはライナーにだけは覗かせてくれていたから………


エルダはライナーのことを見上げた。

彼の視線の強さに応えるような、真摯な瞳の色をしていた。誠意が感じられた。


ライナーは、彼女のそういうところが好きだった。

だからこそ、この問いを躊躇うことなく出来た。

どのような答えが返ってきても悔いを残さない為に。

答えによっては今ここで彼女の命を終らせてしまう自分に対して、正直でいる為に。


エルダは非常に戸惑いがちながら、唇を開く。

聞き逃さないように、ライナーは全身の神経を澄ませて、その言葉を待った。


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