ミケの誕生日 03 [ 156/167 ]
「………。もう、すっかり暗いね。」
空に星がひとつふたつ出始める頃、ナナバがぽつりと呟いた。
エルダはその隣で、少し哀しそうな表情をしながら「ええ…」と相槌を打つ。
「これ以上遅くなるといけないから…帰ろうか。」
「………………。」
口を噤んだエルダのことをそっと見下ろして、ナナバは微笑んだ。
「付き合ってくれてありがとう。嬉しかったよ。」
「…………はい。」
エルダには今のナナバの胸の内の切なさが分かる気がした。
会いたい、大切な人に会えないのは寂しいことだ。
そう思えばこそ…エルダはナナバに何を言っていいのか分からず、弱っていた。
「………あ、ナナバさん…!」
しかし…ふと、エルダが声を上げる。
平素落ち着いている彼女にしては珍しく、上擦った声だった。
不思議に思ったナナバだが、エルダが指で示す方向に視線をやった後、同じような表情になる。
「あ……、」
そして、小さな声を上げたあと、あっという間に駆け出してしまう。
その様を眺めていたエルダは随分驚いたように「まあ」と短く言った後、嬉しそうに笑ってそれに続いた。
「ミケーーーーーー!!!!」
「ふごっ」
すっかり青い夜の空気に浸された街の中、なんとも楽しげな声、その後やや間抜けな声が反響する。
ナナバの懐に仕舞われていた小さな包みは、その長い指に包まれた後…目当ての人物の頬に思いっきり押し当てられる。
あまりにも急なことに、ミケは低く唸った。
「あっはっは!お誕生日おめでとうミケ、それでは!!」
逃げるよ、エルダ!!と、ナナバは悪戯に成功した子どものように愉快そうな表情をしながらエルダを手を強く引いて、再び駆けていく。
「ミケさん、おめでとうございますー!」
エルダもまた、ナナバと同じように楽しげに笑いながら、ミケを振り返って手を振る。
当の本人は、唖然としながらそんな同僚と新入りの姿を見送った。
「……………。一体なんだ。どういうことだ、ミケ。」
彼の隣にいたエルヴィンが非常に訝しそうに尋ねてくる。
ミケは未だに事情が飲み込めず、「うむ……」と言いながら、今しがた自身に押し付けられた包みを手に取った。
「………そうか。」
そうしてまじまじとそれを眺め、呟く。
「どうやら俺は誕生日だったらしい。」
「わざわざその為に……。ナナバが。」
珍しいこともあるものだ、とエルヴィンは苦笑した。
「まあなんだ、良かったじゃないか。」
「もう誕生日が来てめでたい年でも無いんだがな……」
「それでも祝われるのは、良いものだろう?」
「……………。」
ミケは顎のほうに手をやり、少し考えるようにする。
それから小さな声で「まあ、な………」と零した。
*
「ご機嫌ですねえ、ナナバさん。」
未だににやにやと笑いの止まらないナナバをベッドの中から眺めて、エルダが言った。
「えー、そうかな。」
「そうですよ。」
「それはもう……。かわいい後輩が一緒に寝てくれるからじゃない?」
「あら、他にも理由あるでしょう。分かってますよ。」
ナナバはエルダの言葉に少々恥ずかしそうにしてみせる。
だが、相も変わらずその表情は明るかった。
机の前の椅子に腰掛けて作業をしていたナナバだったが、やがて灯りを落として「そろそろ私も寝ようかな…」と呟く。
「あら、結構早いですね。」
「そう?」
「はい。幹部の皆さんは随分遅くまで仕事しているイメージがあるので。」
「うーん、それは要領が悪い人の場合。私はキチンと働いてキチンと休むことをモットーとしているの。」
ナナバはおかしそうにしながらベッドの上、エルダの隣に身体を滑り込ませてくる。
エルダもまたうふふと微笑んで満足そうにした後、かけていた眼鏡を外してテーブルの脇に置いた。
「それにしても……本当に泊まりにきてくれるなんてびっくりだよ。」
ベッド脇のランプの灯をゆっくりと小さくしながら、ナナバが呟いた。
「ええ、私は有言実行の人間なので。」
「入団してそこまで日数無いのに、結構堂々してるよねエルダは……」
「そうですか?」
「そうだよ……。上司の部屋、しかも私みたいな美形のところに泊まるのに緊張しないの?」
「ああ…緊張なら四十していますよ。お美しいナナバさんの傍にいるとドキドキしちゃいます……」
「………全然ドキドキしてなさそうじゃん」
いつものように落ち着き払った口調のエルダに、ナナバはやや不満そうに漏らす。
エルダはまあまあ、と困ったようにしながらもなんだか嬉しそうだった。
「…………ミケさん、随分びっくりしていましたねえ。」
毛布の中で、エルダがくっく、と押し殺した笑いを漏らしながら呟く。
それにつられてナナバも笑った。「あの朴念仁の鳩が散弾銃食らったような顔見れただけでも、今日歩き回った価値あるよ」と零しながら。
「ナナバさんの執念の勝利ですね。」
「なんの。エルダが背中を押してくれたからだよ。」
ありがとう、と礼を述べてからナナバはエルダの髪にほんのちょっと触れてから、そこを撫でた。
彼女はくすぐったそうな反応をする。
「でもなんかね……本当に、久々に童心に返って意固地になったっていうか……すごい、楽しかった。」
「それなら良かったです。……来年も、お祝いしてあげましょうね。」
今度は私もミケさんにプレゼント用意しますよ、とエルダは穏やかに言った。
ナナバは頷き、部屋にはしばしの沈黙が訪れる。
少しうとうととしてきたエルダが瞼を閉じようとしていたとき、ふとナナバが「まだ、さ……」と呟いた。
エルダが寝返りを打ってナナバの方を見ると、隣の人物は天井をじっと眺めていた。端正な横顔が、薄闇の中に浮かび上がっている。
「………まだ、昔さ。」
ナナバはエルダに話かけるというよりは独り言のように言葉を繰り返す。
エルダは黙ってそれに耳を傾けた。
「君みたいに、調査兵団に入ったばっかりの時はいつだって皆で一緒にいて、誕生日だって毎年当日に祝ってやれてたのに…
いつの間にか、一言おめでとうって言ってやるのにこんなに苦労がいるようになっちゃったんだね…」
噛み締めるようにそこまで言って、ようやくナナバはエルダの方を見た。
薄緑の瞳が、きょとりとしながら自分を捕えている。
綺麗な目だと思った。そして且つては自身も、こういう風に澄んだ瞳の色を持っていたに違いない、とも。
「まあ……なんだろ。
こういう仕事柄、友達と一緒に過ごせる時間っていうのはひどく短いものでいて…とっても尊いものなんだよ。」
だから君も今…それを大切にしてあげてね。と言って、ナナバはエルダの頬を撫でた。
またもエルダは少々くすぐったそうにするが、ほんの少しだけその瞳に憂いが宿る。
「それは……なんだか、分かります。」
ナナバに触れられるのが心地良いのか、エルダは目を伏せて応えた。
「うん……」と、ナナバは続きを促すように相槌する。
「本当に……当たり前に一緒にいることができなくなっちゃって………」
眠いのか、エルダの声はいつものように歯切れ良くなかった。
舌足らずに喋るその様子がかわいらしくて、ナナバは彼女に気付かれないよう、ほんの少しだけ目を細める。
「でも……会えるんですよ?会いに行ってるんです……。
それなのに……いっつも、会ってくれなくて……。」
エルダは辿々しく言葉を紡いだ。
(慣れてないんだな)とナナバは思った。
(きっとこの子は、自分の心の内を話すのに、とても慣れていないのだろう。)
「彼女はもう、私とは会ってくれないんじゃないかって不安で……」
その声に、涙の気配が微かに混ざった。
なんだかナナバは堪らなくなて、兵士と呼ぶにはひどく脆弱な新入りの身体にそっと腕を回す。
「私、貴方とただ一緒にいたいだけなのに………」
それだけ呟いて、エルダはもう喋らなかった。
(寝たのかな)
ナナバは彼女の背中の辺りをやわやわと擦ってあげながら、そんなことを考える。
呼吸に合わせて規則正しく膨らんだり縮んだりするエルダの身体は、温かかった。
妙に微笑ましい気持ちになってナナバはまた目を細める。
「なんだ」
そして小さく呟く。
「新入りの癖に随分大人っぽく見えたけど、こうして見ると年相応で、かわいいね。」
ぎゅっともう一度抱き直してやる。
こうやって人の肌…女性の肌に触れるのもなんだか久しぶりな気がして、懐かしかった。
「おやすみ、エルダ。」
そう囁き、ナナバは腕の中で眠る少女の頬へと静かに口付けをした。
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