マルコの誕生日 03 [ 152/167 ]
「随分派手な花束だな」
どうしたんだこれ。と………照れ臭さの最中からようやく抜け出したらしいジャンがふと尋ねる。
示す先には先程エルダからもらった花々が、相変わらず鮮やかな色彩を周囲に放っていた。
マルコは、おっといけないと零してから、それらを包んでいた薄紙を外した。
手頃なコップが近くにあったので、一寸拝借して簡単に生けてやる。
「さっき、エルダから。」
薄桃色の小さな花の向きを整えながら、マルコが答えた。
ジャンは不思議そうな顔をして「……エルダ?お前あいつと仲良かったっけ。」と首を傾げる。
「うーん、そこまで仲良しじゃないかもね。」
思い通りの位置に花が揃ったのか、彼は満足げな表情で生け花を眺めた。甘い香りがふんわりと漂ってくる。
「まあ……なんか、花を沢山もらったらしいよ。それのお裾分け兼、誕生日祝いだってさ。」
…………満ち足りたマルコの横顔を眺めてから、ジャンは生け花のうちで一際強い香りを放っていた山百合へと視線を移す。
真っ白で分厚い花弁の中心で、雄しべが毒を吐いた様に紅い粉をふいていた。
「…………。随分、豪華な花だな。」
ジャンの浮かない声と表情に、マルコは「ん?」と訝しげな反応をする。
山百合の花弁の先にちょっとだけ触れる。艶やかな肌触り、それから小さな突起がちりちりといくつも指先を翳めていった。
「まあ……売り物の花だね。ちょっと綺麗すぎて違和感があるけれど…」
「………売り物の中でも相当高価な部類だぞ。これ。」
「そうなのか?僕は花にはあまり詳しくないから……」
「へんに思わねえか。食うものにも困る世の中で、腹に溜まりもしねえ花に金がかけられる連中がいる…
いや……それ自体はどうでも良いが、なんであの女……エルダの元にそれがあるのか。
つまり、コイツをあれに贈った奴がいるってことだよな。」
…………ジャンの言葉の合間に、マルコが触れた反動か…真っ白な百合は自分の重みでふらふらと動いた。
その匂いは鼻の先で、骨にこたえる程の甘さを湛えている。
「オレはあの女が苦手だよ。女共にはそこそこ好かれているらしいが、どうも……。」
「そんなこと……言ってやるなよ。
確かにちょっと、掴みどころが無いかも知れないけれどエルダはきっと悪い子じゃ……」
かぶりを振って、ジャンはマルコの言葉を遮った。「分かっている」と付け加えて。
「オレがこう言うのには理由があるんだ。
………見たんだよ。数ヶ月前になるか。奴はたった一人で街を歩いていた。
勿論後をつけるつもりなんか無かった。本当に偶然なんだが……
あいつが、確かに13番街へと続く路地へと姿を消して行くのを、オレは。」
見たんだ。
ジャンはもう一度繰り返す。
13番街。
縁も所縁も無い土地だが、勿論そこがどんな場所かマルコも知っていた。
身体を売る女の為の街だ、そこは。
(そういえば)
マルコも、ある日の街でそこへと向かう彼女の姿を目撃したことがあった。
まさかと思っていた。何かの見間違い……若しくは、彼女が道を謝っているのか。ともかくその時はあまり深くは考えなかった。
だがしかし……目の前にある、滴るような美しさを備えた花。この色が、形が、匂いが、嫌な予感を裏付けて行く。
(決して、僕たちみたいな貧しい訓練兵には手が届かないもの……。何故気が付かなかったのか)
再び極彩色の花々のことを眺める。白、赤、青、橙、緑。混食しない顔料をそのままぶちまけたような……
ふ、とべたついた感触から掌へと視線を落とす。
いつの間にか真っ赤な百合の花粉が皮膚にくっついて、病のような斑点をそこに残していた。
*
「おまたせしたわね、マルコ。」
その日の夜、エルダは伝えられた時間より五分ほど遅れてやってきた。
「カードゲームが白熱してしまってたのよ。中々放してもらえなくて……
ごめんなさいね。初夏とはいえ夜はまだ冷えるのに待たせてしまって。」
邪気の無い笑みが優しくマルコへと向けられる。
ふいに彼の耳の内側に、昼間のエルダの発言が蘇った。
『こうして見ると貴方も年相応の少年ね』
彼女だって、こうして見れば年相応の少女だ。どこにでもいる……愛されて育った、普通の。僕と同じ。
………けれど。
マルコは、手の内の灯りを束ねたように絢爛な花々をゆっくりとエルダの方へ差し出す。
彼女にはその行為の意味が分からないらしい。どうしたの?と淡い緑色の瞳が尋ねてくる。
「…………エルダ。この花束はさ…どこで手に入れたものなんだ。」
抑えた口調で尋ねれば、その新緑色は数回瞬きをする。薄い色の睫毛が印象的だった。
エルダが何も言わないので、マルコは言葉を続けることにする。
「僕には……。エルダが何をしようと、口出しする権利は無いのかもしれないけれど。理由も聞かずにとは思うよ。
でも君の答えによっては、僕はこれを受け取るわけにはいかない。」
彼女は黙ったままで、差し出された花束を受け取った。
相も変わらず穏やかに表情で微笑んでいる。………何も、弁明せずに。
彼女は決して勘の悪い人物ではない。
故にその行為は、マルコの考えに対する答え…無言のうちの肯定を意味していた。
………マルコは、何とも言えずに悲しい気持ちになる。
それと同時に白百合のべたついた匂いを思い出して…少しだけ、彼女のことを蔑んだ。
「そうね。この花は、マルコが思った通りの場所で手に入れたのよ。」
ようやくのエルダからの返答に、彼の表情はけわしくなる。
………マルコは多くの例に漏れず、ある種の女性の罪を快く思わない人間だった。
幼い頃から道徳をきちんと教育された彼にとって、そのようなことに手を染める女性、またそれを助長させる男性は軽蔑の対象である。
思わず唇から「なんで」という言葉が漏れた。
今まで清純で優美とすら思えたエルダを取り巻く空気が、一気に卑しいものに思えてしまって仕様が無い。
「………金が必要だったのか。」
マルコの声が刺を含み始めたことを理解した彼女は、困ったように眉を下げる。
明確な否定をしないその態度が、今の彼には堪らなかった。
「お前、馬鹿じゃないか。」
絞り出すようにマルコは零す。
二人の視線は鋭く交わっていた。
…暫時して、エルダが弱々しく口の端を上げる。
「でも……貴方の想像にはちょっと間違えがあるわ。
私はただこれをお客さんから贈られた女性から…譲り受けただけ。」
彼女はそう呟いて掌の中に収まっていた鮮やかな花束を見下ろす。
「私が……お父さんが死んでから、乞食みたいな生活をしていたって聞いてるでしょう。
…………ああいった女性たちは、その時に沢山私を助けてくれたから……」
勿論、ひどいことをする人にも同じくらい沢山会ったけれど。
そう付け加えて、エルダは持っていた花から一輪、真っ赤な薔薇を夜空に向かってそろりと放す。
燃え立つような色彩の花弁は風に乗って青い闇の中へ吸い込まれていった。
「お前は…………」
マルコは途切れ途切れになりながら、やっと掠れた声を出す。エルダはそっと首を振って否定した。
「それは違うわ。私はね、彼女たちが守ってくれていたから……」
そういう彼女は笑顔である。マルコは思わず「じゃあなんで」と尋ねた。
エルダは何も答えなかった。うふふ、といつものように優しい含み笑いをするに留まる。
ゆっくりと花々が白い掌から夜空へと放たれていく。
深い闇を伴った風が黒い樹々の間を塗って翳める。鮮やかな花弁が滴る甘い匂いと共に夜へと溶けていった。
最後の一輪、大きな山百合が風に煽られて消えると…エルダは今再びマルコの瞳をじっと覗き込む。
邪気の無い子供みたいに純粋な色だと、マルコは改めて思った。しかしその中にはほんの少しの寂しさもあるような気持ちがその時、初めて起こった。
「マルコ」
エルダが空になった掌で自身を見つめる少年の手を静かに取る。
淑やかで女性らしい皮膚の感触に馴染みの無いマルコは、やや狼狽えた。
「貴方、お父さんやお母さんにとても愛されて育ったのね。」
突然の発言に、「え」と声を漏らすしかできなかった。
しかしエルダは構わないらしい。「私も同じよ。お父さんにとても大事にされて生きて来たの」と言いながら、握る掌の力を強めた。
「だからかしら………。
身体を売りたくて売る女性も……罪を犯したくて犯す人も、いないのよね。そういう……そんな簡単なことに
私、お父さんが死んで一人になるまで気が付けなかったの。」
エルダの笑顔に、今度こそはっきりと寂しさの陰りが現れる。
…………マルコには、まだその言葉の真意がよく分からなかった。けれど理解できないわけでは無い。……本当に、少しだけれど。
「エルダ………」
気が付くと、マルコは彼女の掌を握り直していた。
自身から女性へと積極的な行為をするのは初めてである。
普段ならとても出来ないそんなことが出来てしまえたのは、恐らく……とても僅かにだが、彼の心の根っこの部分が揺さぶられたからであろう。
………何に?
一体、何故……こんな。
胸に渦巻いた表象が言葉になる前に、エルダはそっと掌を解いていった。
しかし握り返されたことが嬉しかったらしく、その瞳は優しい形をしている。
「お誕生日おめでとう、マルコ。来年こそは貴方にプレゼントを渡せたら嬉しいわ」
彼女はもう一度、マルコの誕生日に対して祝辞を述べた。
返事をしない彼を一瞥して淡く笑う。そうして、おやすみなさいと夜の挨拶を。
マルコもまた、エルダを引き止めなかった。
先程目の前に広がっていた鮮麗な色々が嘘のように辺りはただずっと、黒い闇だった。
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