光の道 | ナノ
ベルトルトの心配 03 [ 142/167 ]

「……………本当に止んだね」


エルダとベルトルトは並んで、湿った空気の中を歩いた。

入浴でほどよく温まった身体に濡れた髪。いつかも同じような状態で二人きり、一緒にいたことがある。


「そうねえ……。風も少しあったかくなってきたみたい。春が待ち遠しいわね」


エルダは穏やかな声で応えた。

その背景では森かげの梟が夜霧の中から心細そうに鳴くのが聞える。

ただ、野の末から野の末へ風に乗って響くような音だ。


「………入浴は、問題無かった?」


ベルトルトは未だに彼女の腕の様子を気にかけているらしい。

エルダが「流石にお風呂まで手伝ってもらうわけにはいかないものね」と言えば、彼は少し決まり悪そうにする。


………隣り合って身体が少し触れるので、ベルトルトはエルダと手を繋いだ。

よく、手は繋ぐ。でも今夜はそれに何か意味があるような気持ちがした。



「じゃあ……おやすみなさい。」


男子寮と女子寮と別れる道で、エルダがベルトルトに声をかける。

いつものように微笑していた。好きな表情だ。

でも右腕を吊った白布が暗闇の中にぼんやり浮かんで、痛々しい。


「………どうしたの」


黙り込んでしまったエルダが掌を離すようにやんわりと促す。

離すことは出来なかった。今別々になってしまったらきっと不安になる。


(僕は……エルダのことが大事なんだろう)


でもそれだけじゃない。……自分のことばかり考えている。

自身がいたたまれない気持ちになるのが、無力を痛感するのが嫌だから……

何よりも今確かに存在する幸福をまた失ってしまうのが恐ろしいから、たまらなくて仕様が無いのだろう。



「………………エルダ。」


梟の声はやはり遠くでずっとしている。

夜は彼等猛禽の時間だ。晴れて星も出て来た。狩りに出掛けるに違いない。


「なに?」


…………心配しているようで、心配され放しだ。

安心させるために、彼女が務めて気を使って尋ね返したのが口調から分かった。


「やっぱりさ……調査兵団は、やめたほうがいいよ。」


ベルトルトの発言にエルダは何も返さない。

…………やめるつもりは無いのだろう。彼女は物腰の柔らかさに似合わず意志が強い。


(似たもの同士なんかじゃ全然ないんだ)


「きっと……もっとひどい目に合うよ。エルダは知ってる筈じゃないか……あのとき、そこにいたんだろ」


やはりエルダは黙っていた。

まるで独り言を呟いているようで不安定な気持ちになる。


「…………それに、僕は前にライナーから聞いたんだ…。
君はお父さんが話していた…死んだ人間は亡くなって鳥になる…
あの話から、壁外にお父さんがいると…自分は探し出せると信じて調査兵団に入ろうとしているって……」


……今から言おうとしているものが、どんなに残酷な意味があるかは承知している。

けれどこれ以上彼女を危険に晒すのは見過ごせない。……我が儘なのだろう、しかし許して欲しい。


「君のお父さんはいないよ……。どこにも。」


雨上がりの風が運んで来た爽やかな空気の中、ベルトルトの声は小さくてもよく響いた。

話している内容とは打って変わって、辺りは清々しさで満ちている。


エルダはゆっくりと瞼を下ろしてから、また開いた。

空は満天の星らしい。瞳の中に沢山の輝きが映り込んでばらまかれている。


「………知っているわ」


彼女は変わらない微笑のままで「本当に貴方は優しい人ね」と感心したように呟いた。


「でも信じるのは自由だし…夢見ることはロマンだわ。」


自然とエルダは繋いでいた手を離して空を指差した。


「そこと…隣の小さいの…あと右にひとつ。繋げてはと座よ、分かる?」


ベルトルトにはさっぱり分からなかった。どれも点滅する似たような光にしか見えない。


「分からないわよねえ。私も知識として知っているだけであれから鳩を連想させるのは中々強引だと思うわ」

「うん……。」

「でも、あるらしいのよ。それに昔の人は確かに夜空に羽ばたく鳩を見ていたんでしょうねえ。」


エルダはベルトルトの背中をぽん、と叩く。

そのゆったりとした行為から…分かった。彼女はどれだけ止めても壁外に行くのだろう。……行ってしまうのだろう。


「ねえベルトルト。今夜はもう少しお喋りしましょうよ。」

「うん……。いいよ」

「私、貴方といるのが好きなのよ。」

「僕も好きだよ……」

「嬉しいわ」


だから……ちゃんと僕のところに帰って来てね。

………勿論。

一緒にいてくれるよね。

ええ。約束するわ。

………約束。



そろりと抱き締めてみた彼女の身体は温かい。解かれた長い髪から石鹸が香る。

エルダは左腕で抱き返してくれた。優しい声で約束よと繰り返す。


「……朝まで、一緒にいても良い」

「素敵ね。私…夜更かし苦手だから寝ちゃうかもしれないけれど」

「良いよ。一緒なことが大事なんだ……」


身体を離して、もう一度手を繋ぎ直した。

口約束なんてものは意味が無いのだと分かっている。でも、今は不思議とそれを信じてみたいと思えた。

不安な心がそのときだけは溶け去ってしまっていたのだ。

そうして、『信じるのは自由だし、夢見ることはロマン』なんだと……そんなことを。



進撃面白いです様のリクエストより
手を怪我してしまい、治るまで世話焼かれるで書かせて頂きました。


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