サシャと編み物 02 [ 138/167 ]
夜も更けて、残存する新リヴァイ班が隠れる厩もすっかり灯りが落とされる。
その中、はたと眠りの縁から意識を浮上させた人物が一人。ジャンであった。
(……………………?)
………意識が敏感になり過ぎているのだろうか。
だが、どうもそうではないらしい。室内の一角で小さな明かりの残光、そして人が意識を持って息づいている気配を感じる。
途端にジャンの背筋に冷たいものがひやりと差した。
………気配は厩の奥からである。…侵入者であるなら、いつの間に。そして何故こんなに静かなんだ。目的は一体。
目だけ開いて薄暗さが留まる天井を見つめていると、季節外れの一匹の蠅が梁の蜘蛛の巣に引っ掛かり、後肢で網を跳ねつつ暫くぶらぶらと揺れる。
そして、豆のようにぼたりと落ちた。
………ジャンはそろりそろりと、悟られない様に身を起こす。
じっとして死んだ様に眠っている馬の黒く大きな身体や、それ等を囲い仕切っている朽ち始めた木板の間から漏れる明かりの方を見た。
(え……………)
そして、曇って鈍い光の中に浮かび上がる輪郭を確認して…安堵、それから少し、息を呑む。
(あいつ……こんな時間まで、まだ)
まず目に入ったのは、視線を手元に落として静かな手芸に飽きることを知らずに興じるエルダの姿だった。
………余程好きなのか…それとも、眠る事が出来ないのか。
もしも後者であるなら、良かったかもしれない。
こんな状況においても平素の穏やかさを失わないエルダに対してジャンは一抹の薄気味悪さを感じていたので、彼女にも人間らしい部分があったのかと安心することができたから。
だが……身体を更に起こすと、もう一人何者かが座り込む彼女の傍らにいるのが分かった。
エルダの膝に、顔を埋めている。
しかし全くの無音であった。ただ、彼女の腿辺りの衣服を白くなる程に掴む指先が全てを物語っている。
エルダはサシャに話しかけることも触れることもせずに、やはり慣れた手付きでかぎ針をすいすいと操って織り目正しい編み物を繋げていた。
長い睫毛が頬にまで影を落としている。
(…………………。)
ジャンは、少なからずショックであった。
サシャがここまで消耗し切っていたことを今初めて知ったからである。
そしてどうやら、彼女たちにとってこれは日常らしい。きっと…もっと昔から、一番の脳天気に思えていた芋女は、彼女こそが
「ねえサシャ」
微かな声がして、ジャンの思考は現実へと戻される。
その呼びかけに反応する者は誰もいなかった。当の本人は相変わらずエルダの膝に顔を埋め、無反応である。
「私ね…冬は編み物をしたくなるんだけれど、春になるとレースが編みたくなるのよねえ…」
やっぱり女子の性よね、女である悦びだわ、とエルダは相変わらず…いつものゆったりとした口調で続ける。
「サシャは確かレースは編んだ事なかったわよね。教えるから一緒に編みましょう?」
やはりサシャは無反応であった。エルダは気にした様子は無い。その間も彼女の指先は作業を休めることはしなかった。
「レースは色々なことに使えるものねえ…。
そうだわ、兵長さんのスカーフにでも飾りを付けてあげましょうか。きっと王子様みたいになって素敵だわ」
エルダはうふふ、と一人おかしそうにする。
彼女はどうあってもリヴァイのことを弄らなくては気が済まないらしい。すっかり彼を気に入ってしまっているようだった。
ジャンは…ただでさえ仲が悪いリヴァイとエルダがいつか本気で喧嘩をするときが来るのだろうか、と考えてはげんなりする。
想像しただけで胃がキリキリとする抗戦であった。
ランプから煤けた油煙がズッ…と上って、頼りない灯りが揺れる。
しかし消えはしない。ぼんやりとしたままで燻っていた。
「ねえサシャ」
エルダが今一度サシャへと言葉をかける。やはり厩の中でそれに応えるものはいない。
最早独り言のようなものなのだろう。
「サシャにも…レースでリボンを編んであげるわ。そうしたら髪を縛るときの飾りにでもして欲しいの。」
ようやく…エルダは編み物をする手を休めて、サシャの茶色い髪をそっと撫でた。
夜間である為か、いつもは纏められているそれらは下ろされもつれてはエルダの膝の上に広がっている。
やわやわと撫でられる度に形を変える、柔らかそうな髪だった。
「そうだ…お揃いでユミルとヒストリアにも作ってあげましょう。
春の少し強い風の中で貴方たちが元気に走る度にレースがひらひら揺れて、すごく可愛いと思うの。」
エルダはそろりとサシャの頭から掌を離して、また編み物に取りかかる。
落ち着いた若草色をした毛糸がするりと絡んで、輪っかになって…また紡がれていった。
「早く春になると良いわね。」
最後にそれだけ言って、エルダは黙った。
辺りには再び静寂が色濃く積もり始める。
…………しばらくして…やっととでも言う様に、サシャが頷いた。微かにそっと。そのままの姿勢で。
そこまで確認して…ジャンは二人に気が付かれない様に、身を元の位置に横たえた。
目を瞑る。疲れていたので眠気はあっという間に訪れた。
そして、微睡みの中で何もしてやれない自身を歯痒く思う。
(……………強い)
声を殺して涙を流して、どうしようもなくなっているサシャからでさえ…ジャンは確かな生きる意思を感じ取ることができた。
対して、自分はどうなのだろう。迷って足掻いて……みっともなくて。
その正解は、誰も知らない。
皆戦っている。各々答えは、自分自身で探し出すより他は無いのだろう。
マナ様のリクエストより
サシャとイチャイチャするで書かせて頂きました。
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