オルオの誕生日 [ 136/167 ]
リヴァイと軽い雑談に興じていたオルオは思わず舌を噛んだ。
その原因に気が付いたリヴァイもまた口に含んでいた紅茶を飲み込む事が出来ずに…咽せた。
その所為で彼の口の端からはだばりと液体が漏れる。
阿鼻叫喚の景色を繁々と眺めた後、エルダはあら大変…と呑気に呟いてハンカチをリヴァイに渡した。
しかし未だに激しくむせ返っていたリヴァイはそれを受け取ることが出来ない。元より受け取るつもりも無かったのだが。
ようやくひと呼吸置いた彼は少し溜めを取ってから叫ぶ様に言った。
「てめえ何でここにいやがるんだあ!!!!」
エルダはその質問には答えずに彼等の向かいへと腰掛ける。
「いやいや勝手に座ってんじゃねえよ!!?」
再び辺りに響いた怒号…今度はオルオのものである…はまるで聞こえていないらしい。
エルダは口元に軽く手を当ててただ上品に微笑うのみであった。
*
「……まあ。と言う訳で妹さんの代理で私がお祝いを渡しに来たんですよ、オレオさん。」
「俺の名前はオルオなんだが」
「お誕生日めでとうございます、オリオさん。素敵な一年になると良いですねえ。」
「いやだから」
………オルオは正面に座る得体の知れない女を何とも渋い面持ちで眺めた。
この女、会ったのは一度きりであるが勿論覚えている。
人畜無害そうな顔をして非常に厄介な性質なところとか。大いに。
だがそれにしてもしかし………
「リヴァイさんもお務めご苦労様です。そしてこの前はどうもお世話になりました…」
リヴァイへと軽くお辞儀をする彼女が身を包んでいたものは、自分たちと同じく渋紙色の制服である。
エンブレムのみ違う。その左胸には交差する刃の紋様がかっちりとして留まっていた。
「…………お前兵士だったのかよ……」
うわあ、ありえねえー…とオルオは思わず付け加える。
以前妹を連れて来た彼女に会った時は私服だった為にそこいらの暇な主婦か何かだと思っていた。確実に子供も一人か二人いそうな雰囲気を纏っていた。
それがまさか訓練兵だったとは……いやそれ以前に十代だったとは……年下かよ……
何とはなしに彼女の掴めない空気…そして柔和な態度の隙間から時折覗かせる刺を苦手とするオルオは、精々この女が調査兵団には入団しないでいてくれることを願うしか無かった。
「おいクソ女」
紅茶が注がれたカップに再び口をつけていたリヴァイが口を開く。
エルダはそれに笑顔で「クソ女じゃありませんよ、エルダです。」と応えた。
「そうか分かった、おいクソエルダ」
「なんにも分かってませんねえ兵長さん、一言多いですよ。」
「なるほど…ただのクソか」
「あらあら正解から遠ざかっちゃってますねえ」
「やかましい、人間なんて一皮剥けば全員肉とクソの集合体だ」
「それを言うと兵長さんまでそびえ立つクソの山ということになりますが…」
「俺はそこまでは言ってねえ!!」
リヴァイは再び怒鳴ってカップをソーサーの上に乱暴に戻した。
がちゃんという音と共に紅茶の飛沫が辺りに軽く飛び散る。
エルダは笑顔を崩さずに先程リヴァイに渡そうとしていたハンカチでそれを拭き取ってやった。
「……確かにそびえ立つは言い過ぎかも知れないな兵長に身長的に」
「お前はどっちの味方なんだオルオ」
「あ、ごめんなさい」
オルオは自身の失言を取り消す為に謝罪する。
リヴァイはしばらくじっとりとした視線を彼へと向けていたが…やがてそれをエルダの元へと戻した。
「………でだ。俺は貴重な休憩時間をお前のようなクソに構って潰したくはない。さっさと用事を済ましてさっささっさと消えろ」
「そんなに睨まないで下さい、怖い顔をすると幸せが逃げますよ。」
「お前がここに来た時点で俺の幸せはとうに逃げ果せた」
「……………。そう言えば先日お伺いした掃除についてのアドバイス、暮れにとても役立ちました。
私たちが使用している訓練場、見違えるように綺麗になったのでお暇な時があれば是非ご覧にいらして下さい。」
「そうか、てめえがいないときに行く」
「あら冷たい」
オルオはあからさまに不機嫌なリヴァイの様子をハラハラとしながら見守るが…
ピリピリとする彼の発言に対して、場違いにのんびりとしたエルダの口調の所為か場の雰囲気はそれほど悪くは無かった。
「…………煙突の煤は落ちたのか」
「はいお陰様で。あと窓ガラスは濡れた新聞紙で拭くとすごく綺麗になるんですねえ、びっくりしました。」
「新聞紙。」
「そうなんですよ、こう……握れる大きさに新聞紙を丸めてから、十分ぬるま湯で濡らして窓の上から下までギザギザを描くようにしっかりと擦ると良いんです。」
「…………………。」
(すげえ『聞く』の姿勢になってる……)
身を乗り出した上司の姿にオルオは驚き半分呆れ半分の目を向けるが、応対するエルダはどこか嬉しそうにしているような気が…した。
「汚れがひどいときはもう一度新聞紙を濡らして固く絞って、同じように上から下へこするんです。」
(………うわあ兵長メモ取ってる)
周囲には…リヴァイがどこからか取り出した手帳にこれもまた突如現れたペンで几帳面な文字を書き付けるカリカリとした音が響く。
「最後に濡らしていない新聞紙を同様に丸めて窓の上から下、左から右へ小さな円を描くように拭きましょう。
この時に跡が残らないように気をつけて下さいね。」
「………………………。」
「窓の汚れは外側がチリや泥、内側は手垢、ヤニ、油はねやホコリなどが原因なので…新聞紙のインク油の成分がそう言ったものを分解してツヤも出すんです。
あとそれから……いけない、遂長話しちゃいましたね…ごめんなさい。」
にこやかに話をしていたエルダだったが、何かをハッと思い出した様にして言葉を区切る。
そしてオルオの方に向き直った。しばし呆気に取られていた彼は……少々びくりとする。
「いや、待て。その話をもっと続けろ。」
「でも確か私はさっささっさと用事を済まさなくてはいけないのですよねえ」
「構わねえよ。ほら……飴やるから。」
「それはとても魅力的ですが、そろそろおいとましなくては帰る頃に日が暮れてしまいますので…」
「まだ大丈夫だろ」
「では日付を改めましてお伺いするときにゆっくりお話いたしますね。」
「おう次はいつ来るんだ」
(この二人実はそこそこ仲良いんじゃ)
どうやらエルダはあれから幾回かこちらに来てはリヴァイと顔を合わせているらしい。
二人のやり取りから…オルオの脳裏には夜寝る前に本を読み聞かせてやる母親と、続きをせがむ子供の図が何とはなしに過った。
過らすだけで深くは考えないことにする。……そうこうする内に手元の紅茶はすっかり冷えきっていた。
「では。改めましてオラオさん。」
「良い加減覚えような、俺の名前。」
「お誕生日おめでとうございます。」
「話を聞こう、な。」
エルダはオルオの言葉は無視して持っていた鞄から赤いリボンのかかった包みを取り出して彼へと手渡す。
………彼は口の中で不平をぶつぶつと漏らすが…何だかもう栓が無いと思って大人しくそれを受け取った。
「それとこっちは…ほんの少しですが私からです。」
その光景を見届けた後、エルダは更に茶色い封筒をひとつ取り出す。
机に置かれたそれを覗き込んだリヴァイは目を細めて「……随分ペラいな」と呟いた。
「ペラくても役には立つと思いますよ。」
「なるほど、金か。」
「やだリヴァイさんは私を何だと思ってるんですか」
「…………そびえ立つクソの山だな」
「まあ仕返しなんて大人げない」
(結局仲良いのか悪いのかどっちなんだ)
オルオはげんなりとしながら渡された包みのリボンを解いて中身を確認する。
…………マフラーであった。恐らく手編みの。
「以前より家にお兄さんが帰ってくれる機会が増えた…って彼女喜んでいましたよ。良い妹さんをお持ちですね。」
エルダは穏やかに笑ってゆっくりと席を立った。
言葉の通り、用事を済ませたのでさっさと帰る様子である。
「では失礼いたします。今日はお話して下さってすごく楽しかったです…。」
……………来た時と同じ様に、彼女はこつ然と消えていってしまった。
終始柔和な微笑みを絶やさぬままに。
しばしオルオとリヴァイは何だかぼんやりとして…先程までエルダが腰掛けていた向かいの椅子…現在は当然空である…を眺める。
ふいに、未だに触れられずに机の上に放置されていた例の封筒を開けてみろとリヴァイが促した。
従ってオルオは恐る恐る封を切ってみる。
………中身はやはりペラかった。
厚紙が一枚…いや、深い青色のリボンが飾られている。
取り出してみるとようやく何か分かった。栞である。クローバーがひとつだけ押し葉されていた。
「……………あいつは結局何なんでしょうね…。」
ようやく口を開いたオルオは溜め息を交えて言った。
休憩した筈であるのにどういう訳か身体はいつもの倍疲れた気分でいる。
「さあな…。敢えて言うなら良い奴の皮を被ったいやな奴…」
リヴァイはそれに応えつつ冷めた紅茶を啜った。オルオは「はあ」と相槌を打つ。
「……に見せかけた良い奴…っぽい何かだろ。」
「ややこしいっすね。」
「まあ、悪い奴では無いんだろ。」
「そういうもんですかねえ。」
オルオもまたリヴァイに倣って紅茶を一口啜った。そうして手の内の栞に今一度視線を落とす。
(確かに実用的ではある……)
だが本当に『ほんの少し』だな、とオルオは思った。
「こんな季節でも探せばあるもんなんだな……。」
栞を取り上げて少しの間観察していたリヴァイが零す。
妹から贈られたマフラーを手持ち無沙汰に弄っていたオルオは、何の事かと思って上司へと疑問の表情を投げ掛けた。
「………四葉。」
彼へとペラい栞を返しながらリヴァイは補足する。
言われて初めてオルオはそれに気が付き…自身の手の中に戻って来たものをじっくりと眺めては心弱く、笑った。
*
(………………。)
真っ赤に燃える夕焼けを眺めながら、エルダは一人帰路を辿っていた。
(緊張したわ……。)
ほう、と溜め息をしてそれを考える。
すっかりと辺りは冷え込んでいる為に吐いたものは白かった。
(それにしても……掃除の知識を仕入れといて良かったわねえ。とても。)
彼女は一心に自身の言葉を聞いてはメモを取っていたリヴァイの姿を思い出しては少しおかしく、くすりとする。
(マフラーも喜んで頂けたようで…何よりだわ。)
冷える指先を擦り合わせて歩くエルダと反対方向へと、母子が手を繋ぎながらゆったりと歩いていた。
すれ違う際、温かい笑い声が耳をかすめる。
思わず立ち止まってその後ろ姿を少し眺めた後、エルダは再び足を進めた。
昨晩降った雨による水たまりが路に僅かに残って、澄んだ茜色の空とそこに流れる同色に染まった雲を映している。
(少しは仲良くなれたかしら……)
空はどんどんと暗くなるようであった。しかしそれに反して彼女の心持ちは不思議と明るい。
「だったら嬉しいわねえ…。」
…思いがけず一人ごちてしまったことに何だか恥ずかしくなって、エルダは誰に聞かせるでも無く小さく咳払いをした。
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