光の道 | ナノ
ミカサとお風呂に入る 02 [ 131/167 ]

「あー……………。」



湯船に浸かりながら、エルダがひとつ息を吐くようにして零した。


「きもちいいわねえ…………。」

そして夢見心地な声で続けて言う。


ミカサもそれには同意するようにひとつ頷いた。



……………エルダの提案を受け入れたのは正解だったのかも知れない。


凍れて仕方の無かった手足の先も、少し温い湯にじっくり浸かることによって感覚を取り戻してじんわりとする。

体にようやく血液が巡った気がして、とても心地が良い。



そして………ミカサはぼんやりと大きな浴槽の縁に頭をもたせながら、隣のエルダの横顔を眺めた。


薄緑の瞳は正面、石造りの壁の方に向けられている。

………そして彼女は今現在眼鏡をかけていないから……自分がこうやって彼女を観察していても、きっと気が付かないだろう。


だから、なるべくよく見ておこうと思った。


常時であれば目が合うのも何だか気まずくて…すぐに視線を逸らしてしまうから………。



エルダは、立体起動や対人格闘等よく動く訓練以外では眼鏡をかけている。


以前は座学の時間や夜のみだったが、最近どうも目が悪くなってきてしまったらしい。


でも……ミカサは彼女の眼鏡をかけていない顔のほうが良いように思っていた。



白い横顔には色の薄い髪がはらはらとおくれ毛してかかっていて、鼻筋の通っているのが湯気の中で仄見えている。


そして………顔から、彼女の身体へと視線を落とした。



(……………………。)



いや、その。



服の上からでも充分過ぎる程にそれは存在感を放っているのだが……こうして改めて直に見ると他の女子とも、自分とも明らかに違っている。


自身も、あと数年して今の彼女と同じ年になればこうなるのだろうか。……いや、多分ならないだろう。



「…………………。」



エルダがくすりと笑う気配がする。

何かと思って顔を上げると、柔らかく視線が交わった。


「そんなに見られたら恥ずかしいわ。」


そう言いながら彼女は顔にかかっていた自らの髪をそっと耳の上へとやる。仕草が同年代とは思えないほど艶っぽかった。


…………エルダの言葉を聞いて、ミカサの胸の内にはあっという間に羞恥の心が湧き起こった。

湯によって元より軽く色付いていた頬へと更に朱が差していく。


「な……。」


ようやく一音そう漏らすと、エルダは尚もおかしそうにした。


「眼鏡は無くても視線は感じるのよ。なあに、私の身体に何かついていたの。」

うん?というように尋ねてくる。


ミカサは何と答えて良いかよく分からず、エルダをじっと見つめた後に緩く波打つ湯船へと視線を落とした。



………辺りは、少しの沈黙に包まれる。



時折エルダが身体を少し動かして小さな水音をさせる以外は。



「…………そんなに緊張しないでちょうだい。楽にして良いのよ。」

何も取って食べはしないから……いえ、貴方を取って食べるのは中々大変そうだから元より無理ねえ……と呟きながら、エルダはその静寂を遮っては苦笑した。



「それとも貴方もエレンみたいに私のこと、きらい?」


その問いかけには、ミカサは思わず俯いていた顔を勢い良く上げてしまった。

突然のことにエルダは少しだけびくりとする。


「………それは違う。」


と、だけ行ってミカサはまた黙った。


エルダは彼女の答えに嬉しそうにした後、「大丈夫よ。心配しなくてもエレンをあなたからとったりはしないわ。」と目を細める。


ミカサは、エルダがまるで見当違いなことを思っていることに異を唱えたかったが……どういう訳か、彼女を前にしていると喉に栓をされたように何も言えなくなる自分がいることに気が付いた。



……………ミカサが何も言葉を発しないので、辺りはまたしてもしんとしてしまう。


ぽちゃり、という…どこかの天井から水滴が浴槽へと落ちていく音がした。



だが……エルダはあまりなにかを気にかけた風では無く、相変わらず気持ち良さそうに湯船に浸かってはそれを堪能している。



それに反してミカサはどうにもこの状況が苦しくて、息詰まりだった。


…………別に居心地が悪いわけではないし、彼女といるのが嫌なわけでもない。

ただ、胸の奥がぎゅっとするのだ。

それの理由が分からないのがひどくもどかしかった。



「………私は、あなたにどう接すれば良いのかが分からない。」


だから、それを正直に言葉にしてみた。

ぐたぐたと悩み続けるのはミカサの性分にはあまり合っていなかったから。



「それは困ったことね……。」


エルダは全く困ってなさそうに、穏やかな声でそう返した。



「胸はぎゅうぎゅうして苦しいし、自分の発言によってあなたの反応がどうなるかをいちいち考えてしまう。
だから上手く話すことができない。」


端的に自分の心持ちを述べると、エルダはなるほど……といったように顎のあたりに手を当てる。


それから、「まるでミカサは私に恋をしているみたいね。」と言いながら少し照れたように自らの頬に掌を移動させた。



ミカサはどうにもふざけてはぐらかされている感じがして些か機嫌が悪くなる。


そして、「……女は女に恋はしない。」と愛想無く言った。



「それはどうかしらね……。」


エルダのゆっくりとした発言のあと、浴場には今夜何度目かの沈黙が広がる。



石造りの地下牢のようなこの場所の空気には、白い湯気が満ち満ちていた。

それが何だか夢うつつなぼんやりとした気分にさせる。

ミカサは……ゆっくりゆっくりと、身体の中心に熱が集まるのを感じていた。



…………………ふと、湯船の中で掌をそっと握られた。


それに気が付いた途端に心臓が鷲掴まれた感覚に陥って息を呑む。


エルダは掌を握ったまま湯船の中からそろりと立ち上がった。

細かい水滴が真っ白い皮膚から柔らかな曲線を描いて流れていき、また浴槽へと戻る。


(え…………。)


ゆっくり、エルダは泳ぐように広い浴槽の中を歩んだ。

勿論手を繋がれたミカサもそれに連れられる形になった。


エルダは浴槽の一番端、素地がむき出しの石壁に板が打ち付けられている箇所………両開きの木の扉である。物置か何かであろう………の前にまでやってくると、ミカサのことを見上げてにっこりと微笑む。



「今から見るものは、他の皆には内緒よ。」


そうして…しい、と言うように唇に人差し指をあてた。


ミカサの掌から手を離して、エルダは打ち付けられていた板を外す。

釘が錆びて朽ちてしまっていた所為か、それは簡単に剥がれてしまった。


扉の金具に彼女は手をかけて両方向にそっと開く。


てっきり内部は黴臭い暗闇が広がっていると思っていたミカサは、その光景に目を見張った。



(……………青。)



そこには、一面に深い青色の世界が広がっていた。



遠くには真黒な森が高く低く連なって、その上に橋をかけたように濃青な晴れ切った冬の夜空が架かっている。

そして夥しい星が白熱した花火みたいに輝いていた。

森の上に留まる月は石鹸球のような虹の色をして、綺麗だと……素直に思った。



「…………今夜が良い天気で良かったわ。」


惚けているミカサの様子に満足そうにしながらエルダが零す。



「あの、これは……。」


ミカサが小さく尋ねれば、エルダは機嫌良さそうにうふふ、と笑った。


「換気のための窓だったんでしょうね。……でも、打ち付けた板の老朽化から鑑みるに随分と前、塞いでしまったんだわ。
私がこれを見つけたのはつい最近だけれど。」


「何故塞いでしまったのだろう……」

こんなに見事な星空が見えるのに。


ミカサがそう呟けば、エルダはちょっと苦笑いしながら「……だって、外から丸見えになっちゃうもの。」と返す。


「あ…………。」


ようやく思い当たったミカサが声を漏らすと、「大丈夫よ。こんな時間だもの、誰も見てやしないわ。」と彼女は言う。


「だから………皆には内緒よ。
あんまり多くの人がこれを知るところになるといつかはちょっとした面倒が起きるわ。」

とくに男の子に知れたりしたらね……、とエルダは少しいたずらっぽく片目を瞑った。



「だから、二人だけの秘密よ。」



そう言ったエルダの言葉は、湯気が留まる室内から夜のきんと冷えた空気にのって……どこか遠くの方、黒い森へと消えていくようだった。


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