アルミンの誕生日 02 [ 129/167 ]
「……………なんであの女に手伝いなんて頼んだんだ。」
………エルダが去った後、エレンは読んでいると頭が痛くなってくるような細かい活字の羅列の本に目を通しながら、ミカサに不満丸出しの声で尋ねる。
「……さっきも理由は言った筈。エルダは私たちよりもずっと本に詳しいから…」
「オレはあいつにはなるべく借りは作りたくねえんだよ…」
「そう……。でも、エルダはエレンが思っているほど悪い人ではないと思う。」
「……………お前もあいつに懐柔されたクチか。」
「懐柔とか……。そういうのじゃない。」
「じゃあなんだよ。」
「………………私も、よく分からない。」
「何だそれ。」
「でも、何だろう。エルダは少し、母さんに似ているところがある。」
「はあ?母さん!?あいつとオレの母さんは似ても似つかねえぞ。」
「……………私、そんなに年いきに見えるかしら?」
本屋という場所柄、なるべく声を潜めて話をしていた二人だったが、背後から唐突にかけられた言葉に思わず大きな声を出しそうになる。
………………勿論、声の主はお約束のように話題の渦中の人物であった。
「お、お前。」
「なにかしら。」
エレンは冷や汗をこれでもかと言う程にかきながら後ろを振り返る。
そこにはいつもと変わらぬ笑顔を浮かべたエルダの姿があった。
「い、いつからそこにいた」
「えーと、『オレはあいつにはなるべく借りは作りたくねえんだよ…』くらいからかしら」
「なら声かけろよ!!」
またしてもエレンの口から怒鳴り声が漏れ出るので、エルダは再度慌てて彼の口を人差し指の先で塞ぐ。
そして小さく溜め息を吐きながら「流石に貴方たちほど大きな子供がいる年齢じゃないわよ、私」と呟いた。
どうやら、エレンの露骨に嫌気を感じさせる態度よりも母親に似ていると言われたことにショックを感じているようである。
「…………エルダ。どうしたの。」
エレンが静かになるのを見計らって、ミカサが再度自分たちの前に現れたエルダに尋ねる。
彼女はそれに応えるようににっこりと笑うと、「これ、渡そうと思ってね。」と言ってミカサに深緑色の小さな紙の袋を渡した。
「折角アルミンが誕生日だって教えてもらえたんだもの。私からも何か渡しておきたいなあって思って。」
そう言うエルダの言葉を背景に、ミカサが袋の中を覗いてみると…小さな人形がついたキーホルダーがみっつ、入っていた。
「良かったら三人で使ってね。」
エルダはもう一度二人に向かって微笑むと、先程と同じようにあっさりとその場から立ち去ってしまう。
去り際に、「三人、仲良くね。」とだけ言い残して。
「………………………。」
「………………………。」
エレンとミカサは、またしても彼女の後ろ姿をしばらく見送っていた。
「…………相変わらず変な奴。」
なんだこれ、と言いながらエレンは先程もらったキーホルダーを摘まみ上げる。
………近くの露店ででも購入したのだろうか。手作りらしく、多少顔の造形が崩れてしまっていた。
「でも………やっぱり、悪い人じゃないと思う。」
ミカサもまた繁々とキーホルダーを見つめる。
……ひとつ赤いリボンがついているあたりから、これは自分用なのだろう。
「そうかなあ………。まあそれも分からなくもないんだけど、どうも何考えてるか分かんなくて苦手なんだよなあ…。」
エレンは神経の摩耗を表すように息を吐く。そして摘まみ上げていたキーホルダーを紙袋の中に戻した。
(やっぱり……、ちょっとお母さんらしい、かな。)
ミカサもまたキーホルダーを袋にいれながら、心の中で呟く。
(…………友達じゃなくて、でも傍に居るとなんだか懐かしいような……)
意味も無く、安らぐような。
エレンやアルミンほど距離は近くは無いけれど。……むしろ、接点は他の人よりも少ないけれど。
不思議な人だと思う。
*
「あ、エルダ。」
街から帰り、早速手に入れた本を食堂で読んでいたエルダに、のんびりとした声がかけられる。
エルダはそれに応じて顔を上げ、声がした方に向かって微笑んだ。
「………もう。今日一日折角のお休みだったのに…また本屋に行ってたんですか。」
サシャはぱたぱたと足音を鳴らしながら彼女の傍までくると、話かけながら隣に着席する。
「ええ。でも面白いことが色々あったわよ。」
「エルダが面白くても私はつまんないですよ。
カードゲームではユミルとクリスタに散々負けるし……気付いたら二人はどこかに行っちゃうから話し相手もいない…」
少しむくれながら喋るサシャの頬を、エルダは軽くつついた。
柔らかくてすべすべとした肌触りである。
それが心地良くてもう一度つつくと、くすぐったかったのかサシャは少しおかしそうにした。
…………もう、機嫌は直ってしまったようである。
彼女のこういう素直で明るいところが、エルダは昔から好きだった。
「………今日はサシャにお土産があるのよ。」
エルダがそう零すと、サシャは一層機嫌を良くして彼女の首に腕を回す。
…………このはしゃぎっぷりは、恐らく土産物が食べ物であると踏んでのことなのだろうが……生憎そうではない為に、エルダは少し苦笑いをしてしまった。
「………はい。これ。」
そして差し出されたものを前に、予想していた通りに……サシャの期待に満ちていた表情はみるみるしぼんでいく。
「本……。本ですか……。いえ、お土産は嬉しいんですけど………。………本ですか。」
あからさまな落胆を隠さずにハードカバーの隅っこをつんつんと触る姿がおかしくて、エルダは思わず吹き出してしまった。
「ただの本じゃないのよ。……旅行記なんだけどね、」
そう言ってエルダはパラパラと中身を捲る。
未だしょんぼりとした表情のまま、サシャもまたそれを覗き込んだ。
「ほら、ここ。これを書いた人はダウパー村にも長いこといたみたいで…そこの景色のスケッチが随分細かく載っていたものだから…………」
エルダが示したページには、確かに……白黒の荒い印刷ではあるがサシャの故郷の景色が描かれている。
………サシャは、しばらくダウパー村についての記述がある十数ページをパラパラと眺めていた。
徐々に彼女の頬が紅潮していくのを見て、エルダはそっと目を細める。
それから自分が今まで読んでいた本に視線を落とした。
少しの間、…………騒ぐか寝るか食べるかを行動の中心軸に置いているサシャが大人しく本を読んでいた為に食堂は静寂に包まれる。
「エルダ…!」
サシャが唐突に大きな声を出してエルダの名を呼ぶ。
エルダは少々驚きながら顔を上げると、……どうやら興奮しているらしい……瞳をきらきらとさせ、頬を紅潮させたままのサシャが彼女の掌をはっしと握った。
「い、いつか……いつか、長いお休みが取れるときが来たら……お互い所属兵団が決まってからでしょうか……一緒に、ダウパー村に帰りませんか……?」
そして、熱心にエルダに語りかけてくる。
未だにきょとりとした表情をしている彼女に対して、サシャは更に詰め寄るようにした。
「エルダが一緒なら、きっとお父さんも喜ぶ筈です……!
何より私はまた、エルダと一緒にあの村に帰れたら……ってそう思うと……」
すごく嬉しいから…と若干まとまりきらない言葉の羅列を並べていく彼女の様子を見て、エルダは心の中がじんわりと温まっていくのを感じる。
そしてサシャの手を握り返しながら、「そうね、いつか必ず行きましょうね。」と囁くようにした。
大きく頷き返してくるサシャの頭を、そっと撫でるととても嬉しそうにしてくれる。
そしてもっと、とねだるように身体を寄せてくる彼女をとても愛しいと思うと同時に……
今日、街中で会った警戒心の強い猫のような少年を撫でようとした時にされた嫌そうな表情を思い出しては、おかしそうに笑った。
「…………他に、どんな本買ったんですか?」
すっかり上機嫌に切り替わったサシャは、エルダの身体にぴたりとくっついては甘えるように腕を組んでくる。
「えーっとね、今日買ったのはサシャにあげたのと、今読んでるこれよ。」
エルダの言葉を受けて、彼女の前に置かれた本に視線を落とすサシャ。
「………………登山の本ですか?」
そして実に不思議そうな声で尋ねる。
「ええそうよ。」
「する予定あるんですか?………あ、冬山訓練に備えてでしょうか。」
「うーん、それもあるけれど……。」
「………面白いですか。」
「ええ、なかなかよ。」
相変わらずエルダは本ならなんでも読むんですねえ、と感心したようにサシャが言う。
そしてエルダの肩に頭を乗せては、自分もそこに書かれた文章を何となく目で追い始めた。
……エルダはすぐ近くにいるサシャを横目でちら、と見つつ……昔から変わらない友人の暖かい空気にじっと感じ入る。
そして……瞼を軽く下ろすと、いつも仲良く一緒にいる例の三人の姿が何故か頭を過った。
「……………仲良きことは美しきかな、ねえ。」
その小さな呟きはどうやらサシャには聞こえなかったようである。
少々退屈そうにし始めたサシャに気が付いたエルダは本を一度閉じ、「何かお喋りしましょうか。」と穏やかな声で話かけた。
エルダの読みの通り活字に早くも飽きていたサシャは、嬉しそうに姿勢を正して彼女の方に向き直る。
…………自分の傍で無邪気にしてくれるサシャの様子が……やはり堪らなく愛おしいなあ、としみじみと感じ入りながら、エルダは静かに微笑み返した。
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