アルミンの誕生日 01 [ 128/167 ]
「………………………。」
エレンは、本から顔を上げた瞬間にまるで冷や水を浴びせられたような気分になった。
そして一拍置いたあとに盛大に叫ぼうとしたが、どうも驚きのあまり声が出せない。
ただ口をぱくぱくさせるだけの彼を眺めながら、エルダは不思議そうな顔をした。
しかし……彼が手に取っている本を見た瞬間、なるほど、と納得した表情になる。
「あらあら。男の子ねえ。」
そしてにこにことしながら訳知り顔で呟かれた彼女の言葉に、遂にエレンは我慢できずに上擦った声をあげた。
「ば、馬鹿!!違うって!!たまたま手に取った本がこれだったってだけでそんなつもりじゃっ」
「大丈夫よ。そういうお年頃だってことはちゃあんと分かってるし皆にも内緒にしとくわあ。」
「お前絶対何か勘違いしてるだろ!!っていうか何でお前ここにいるんだよ!?」
「ここは公共の本屋さんだもの、いたっていいじゃないの。
エレンの姿が見えたから遂嬉しくなっちゃって傍に来たんだけど……お取り込み中だったみたいね…ごめんなさい。」
「だから違えってば!!馬鹿にしてんのかこの野郎!!!」
エレンは思わず手にしていた本でエルダに殴り掛かろうとするが、彼女はそれをはっしと受け取って「本は大事にね」と言いながら返してくる。
改めて何とも言えず卑猥な表紙を丸出しにされてこちらにつきつけられるのが、ひどく気まずい。
エレンは非常にしょっぱい気持ちになりながらそれを受け取り、よろよろと元の場所に戻す。
「エレン。どうしたの。」
騒ぎを聞きつけたらしいミカサが少し離れた書架から二人の元にやってきた。
…………そして、エルダの姿を認めるとハッとしたあとにぺこりと会釈する。
エルダも同じように小さく会釈をしてにっこりとした。
「二人が本屋に来るなんて珍しいわねえ。」
「お前が来てるって知ってたら来なかったけどな、こんな黴臭いところ」
未だ不機嫌が収まらないエレンがぼそりと呟く。
彼の言葉にミカサが少し嗜めるように「エレン」と声をかける。
対してエルダは穏やかに笑いながら「私嫌われちゃってるみたいね」とおかしそうにした。
「今日はどうしたの。アルミンの付き添い?」
彼等二人はあまり書籍には興味が無いようだが、その共通の友人であるアルミンは反対に相当の書痴である。
彼に付き合って、ということならばここにいるのにも納得がいく。
「い、いや………アルミンは、今もう少し街の中心で別の用事をしてる最中だ………。」
アルミンの名前を聞いて、エレンは思い出したように…そしてどこかそわそわとしながら応えた。
「あら、別行動なんて珍しいわね。三人仲良しセットなのが常なのに。」
「………その言い方やめろよ。」
「なんでかしら?」
「なんか馬鹿にされてる気がするんだよ……。お前が言うと。」
またしても吐かれるエレンのエルダに対する毒。
ミカサが申し訳無さそうに彼女の方を見るが、当の本人はあまり気にした様子はなく、いつもの様に朗らかな表情だ。
「馬鹿になんかしてないわ。三人一緒にいるのを見てるとなんだかかわいいなあ、って思うのよ。」
「だから、そういうのをやめろって言うんだよ。………別にかわいくねえし。」
「あらかわいいわよ。みっつまとめてキーホルダーにしてバックにつけておきたい感じ。」
「…………お前のセンスってよく分かんねえ……」
エレンはげんなりとしてエルダのことを眺める。
どうもエレンは前々から彼女のことが苦手であり……それは接点を持ってもあまり変わることは無かった。
むしろ、天然の図々しさみたいなのが目について……余計に嫌な奴、という認識を持ってしまっている。
だがエルダはそんなエレンの気持ちはお見通しの上で、彼のことを何だか気に入ってしまっているようだから余計に話がこじれている。
エレンが避けてもエルダが関わりを持とうとしてくるのだ。
そして……エレンに近寄ってくる女性は問答無用に駆逐してきたミカサが、何故かエルダにはそれをしない。
懐いている……、気を許している……、仲が良い………、どの言葉もしっくりと来ないが、とにかくミカサはエルダに敵意は持っていない様だった。
「今日は……アルミンの誕生日なの。」
小競り合いを続けるエレンとエルダは、ミカサの言葉を聞いてその方を見る。
彼女は相変わらず動じないで淡々と言葉を続けた。
「だから……アルミンと少し別行動をして、その間にプレゼントを買おうと思っている。
それで、本屋にエレンと来た。」
ミカサの端的ながら分かりやすい説明に、エルダはなるほど。とひとつ頷く。
「そう………。サプライズなんて素敵ね。
でも、それじゃあ時間は限られているのね。忙しいところを邪魔しちゃってごめんなさい。」
「まったくだよ。さっさとあっち行け」
エレンはしっしという仕草をしてエルダを追い払おうとする。
彼女はちょっとだけ苦笑しながら「はいはい。またあとでね」と、それに従ってその場から退散しようとした。
だが…ミカサは少し考える仕草をしてから「エルダ。ちょっと待って。」と彼女を呼び止める。
エルダはなにかしら。と呼びかけに応じて足を止めた。
ミカサは一歩前に出て、彼女との距離をつめる。
「…………私たちは普段あまり本を読まないから…アルミンがどんなものを欲しがるのかよく分からない。
それで……比較的本の貸し借りをしたり、そういった面での交流がある…貴方に助言を頼みたい。」
「わ、分かったわ……。」
エルダはミカサの持ちかけに了承の意を示しつつも、先程踏み出された大きな一歩によって互いの距離がほぼ零な状況に若干困惑していた。
ともすればこちらを覗き込むミカサと顔と顔がくっついてしまいそうである。
「ミカサ……。そ、そんなに近寄らなくても聞こえるから………。」
それを指摘すると、彼女はハッとした表情を作っては後ろに退いた。
どうにもぎこちない。ミカサは未だにエルダとの距離感をよく掴めずにいた。
「おいミカサ……こんな奴になに頼んでるんだよ。」
エレンは実に不満そうな声色でミカサに言う。
彼女は気を取り直すように赤いマフラーを巻き直してはエレンの方をちら、と見た。
「でも、私たちだけではこの大量の書籍の中からアルミンが喜ぶものを探すのは難しい。
…………エレンは何回も迷子になって私からはぐれるし。」
「迷子じゃねえよ!!」
「そうよ。エレンは確固たる目的があってこの書架にまで来たんだから迷子では無いわよねえ。」
「お前まじぶっ殺すぞ!!」
エレンの叫び声が本屋に響く。エルダは彼の唇に人差し指を軽く当て、しー、と囁いた。
本屋というのは静寂を愛するものである。ちょっと残念ではあるが、これ以上からかうのはやめにしよう、と考えながら。
「…………………でも。」
エルダは未だに息が荒いエレンを宥めるように肩をぽんぽん、と叩いた。
「私は確かにアルミンと本の話はよくするから…欲しがるものは大体分かるし、彼が愛読しているシリーズの新刊がつい最近発売したことも知ってるわ。
………でも、そういうのはきっとアルミンは自分で買っちゃうと思うのよ。」
彼女はそう言いながら近くの書架から本を取り出した。
ぱらぱらと捲っては小脇に抱える。どうやら気になったらしい。
ちら、と見えた中身によると旅行記の様である。
一体こんなものを読んでどうするのかは分からないが、本に関しては雑食傾向にあるエルダらしい趣味だな、とエレンはぼんやりと思った。
「だから…貴方たちが選んで買った本の方が、普段読まないものに触れることができてアルミンも面白いんじゃないかしら。」
エルダの言葉を聞きつつも、彼女が脇に抱えた本をじっと眺めていたミカサが、少し上の方にある書架から一冊本を取り出して彼女に渡す。
なにかしら、という様にエルダはそれを受け取り、中身を見た。
登山に関する本である。彼女はやや小首を傾げながらミカサのことを眺めた。
ミカサは不思議そうなエルダの表情を見て…急に恥ずかしくなり、マフラーを口元までずり上げる。
そして小さな声で「………山の本が、好きなのか、と思って…」と呟いた。
先程ちら、と見えたエルダが持つ本の挿絵が山に臨んだ景色だった為に………良かれと思って気を効かせてみたのだが、どうやらそれは裏目に出てしまったらしい。
ミカサは…どうにもぎくしゃくとしかできないエルダと自分とのやり取りを非常にもどかしく思った。
何故、エレンやアルミンと接するときのように自然にすることが出来ないのだろうか…
エルダはしばらくミカサから渡された本を眺めたあとに、「ありがとう」と笑っては少し背伸びをして、彼女の頭を撫でる。
身長こそミカサよりも低めなエルダだったが、何故かその行為は不思議と大人びた空気を漂わせていた。
「それに…何よりも、二人からのプレゼントだもの。
貴方たちがアルミンのことを考えながら、一生懸命探す事自体に意味があると思うわ。」
エルダは気を取り直すように、ミカサに渡された本も先程のものと一緒に脇に抱えながら優しく言う。
「でも…」とミカサが何かを言いかけるが、それはエルダの「大丈夫よ。」という言葉でやんわりと遮られた。
「大丈夫よ。強い絆で繋がれてる三人だもの。きっと喜んでくれるものが見つかる筈よ。」
ね、と呼びかけるようにして、今度はエレンの頭を軽く撫でようとしたエルダだったが、非常に嫌そうな表情をされてしまったので差し出した掌は引っ込めることにした。
「………それじゃあ…なんの本買ったのか、良かったらあとで教えてね。ちょっと興味が湧いちゃったから…」
そう言いながら、エルダは静かにそこを後にする。
その後ろ姿を、エレンは未だにじっとりした目付きで、ミカサはやや残念そうに見送った。
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