エレンと迷子ちゃん 04 [ 124/167 ]
「ああ、良かったわあ。」
一段落した後。少女をオルオの元に残し、エルダとエレンは調査兵団の公舎から自分たちの訓練場への帰路を辿っていた。
少女は今夜、オルオによって家に直接送られるらしい。
…………どうやら、交渉に及んだエルダよりもエレンのほうが気疲れの度合いが大きいらしい。
彼はげっそりした表情で隣を上機嫌に歩くエルダのことを見つめていた。
「いやほんと……よくやるよ。」
そう呟けば、「どうもありがとう。」と、とくに褒めたわけではないのにお礼を言われる。
(でも…………)
エルダのやり口は少々強引だったかもしれないが、結果的にはそれでよかったのかもしれない。
泣き笑いのような表情で兄に抱きつく少女と、非常に狼狽しつつもその頭を撫でていた男性兵士のことを思い返して、エレンはそう思った。
(やっぱり……家族って良いな)
そして心の中で呟く。優しい気持ちと、少しの寂しさをない交ぜにした感情を抱きながら。
「ねえ、エレン。」
唐突に声をかけられて顔を上げると、想像以上の至近距離にエルダの顔があったのでエレンは思わず後ずさってしまった。
やだ、そんな反応されちゃうと傷付いちゃう、と言いながらエルダはエレンが離れた分だけ距離をつめる。
そしていたずらっぽく笑いながら、エレンの黄金色の瞳を覗き込んだ。
「最近、ずっと見てたでしょう?」
彼女の質問に、思わずエレンは息を呑む。
エルダは付け足すように、「私のこと。」と笑っては彼の頬を軽く突いた。
「………いや、み、見てねえよ。自意識過剰なんじゃねえの……。」
やっとの思いでエレンはそう返すが、図星をさされたばつの悪さから顔へと熱が集まるのを感じていた。
辺りは夕陽に焼かれてどこもかしこも赤く染まっていた為に、頬が淡く色付いてしまっていたことはどうやら誤摩化せたようである。
それだけが今の状況で唯一幸いと言えることだろう。
「あら、そうだったのかしら。
……私はね、実を言うとエレンとはずっと話したいと思っていたから、貴方が私に興味を持っていてくれているのかな、と気付いたときにとても嬉しかったのだけれど…」
「………お前が、オレと…?」
訝しそうに…警戒心を非常に強めてエレンが尋ねると、エルダはそんな顔をしないで、と困ったように少しだけ眉を下げた。
「イェーガーという姓を聞いた時にすぐ分かったわ。珍しい名字だもの…、あのイェーガー先生の息子さんだって。」
「……父さんを知っているのか」
「勿論よ。とても有名なお医者さんだもの。うちの父さんも、イェーガー先生が書かれた本をいくつか持っていたわ。」
エルダは何処か満ち足りた様子で茜色に浸された空気を吸い込んでいた。
それを細く吐き出してから、もう一度エレンの顔を覗き込む。
「……あんなに理論だって素晴らしい本を書く人の息子さんだもの。
どんなに秀才かと思ってたら、意外とやんちゃな子でびっくりしたわ。」
「悪かったな……。」
エレンが不機嫌そうにするので、エルダはあらあらごめんなさい、と言って彼の濃い色をした頭髪に触れようと手を伸ばすが、勢い良く睨まれてしまった為にそれは元の位置にそろりと戻って行った。
「そういえば二人きりは初めてねえ。何だかそうとは思えないけれど。」
「お前が馴れ馴れしいだけだろ……。」
エルダは何も答えずに小さく笑みを零した。
「そうかしらねえ…。それは、あんなに熱い視線で見つめられたら誰だって舞い上がっちゃうわ」
「だから見てないって言ってるだろ!!」
「あらあら」
思わずはたいてやろうと飛び出して来たエレンの掌をひらりと避けながらエルダは実に楽しそうにする。
………こいつこそ、もっと清楚な感じかと思っていたら意外と人をおちょくるきらいがある。……少し苦手なタイプだ。
「それに私たちが置かれている状況は、ちょっぴり似ているところがあるわ。」
貴方もそう思うでしょう?と聞かれて…それは確かにそうだ、とエレンはゆっくりと頷いた。
そしていくつかの共通点を思い浮かべては、どこかやりきれない気持ちになるのだった。
「なあエルダ……。」
ゆっくりと藤色に染まる空の下で、エレンはエルダの名前を呼んだ。
もしかしたら、直接名を呼びかけたのはこれが初めてかもしれない…とぼんやりと考えながら。
「なんでいつも笑ってるんだ。」
本当は、直接聞くつもりなどなかった。
けれど話をしているうちに不思議と気持ちが解かれたのだろうか。いつの間にか口からはこんな質問が漏れていた。
「だって笑っていたほうが楽しいじゃないの。」
エルダは穏やかな笑顔のままゆっくりと答える。
………余程上機嫌なのだろうか。エレンの掌をそっと引いては歩き出す。
昼の強引な仕草とは違いどこか淑やかさを感じる行為だった。エレンはとくに抵抗することはなく、エルダのさせるがままにしていた。
「………そうか……。」
答えになっているようななっていないような。
けれど、そのときにエレンが欲しかったのは明確な解答ではなかったのかもしれない。
だからそれ以上追求することはせず、僅かな力でエルダの掌を握り返した。
「………もうひとつ聞いていいか。」
「いいわよ。」
エレンが積極的に話かけてくることが、どうやらエルダにとっては嬉しかったようだ。快く承諾する声は優しかった。
「今日…お前、何であんなに必死だったんだ。」
エレンの質問に、エルダはそっと目を伏せた。そして少しの間の後、ゆっくりと口を開く。
「……………。必死に見えた?」
「ああ。かなりな。」
……………そう。と、エルダは小さく零してから、エレンと繋がれた掌を小さくゆらゆらと揺らした。
「だって、寂しいじゃない。」
誰が、どう寂しいのだろうか。
またしても彼女の解答は明確な答えとは言えないものだった。
けれど、エレンにはエルダの気持ちがなんとなく分かった。……よく、分かる気がしたのだ。
「エレン、今日は付き合ってくれてどうもありがとう。」
少しだけ無言で歩いた後、エルダは静かに言った。
…………おかしなことに、その言葉だけでエレンの心に渦巻いていた不満やら疲労感やらはすっと消えて行く心地がした。
そして、全く自然な流れで彼の口からは「………どういたしまして。」という言葉が零れる。
それを聞いたエルダは心から嬉しそうに笑った。
彼女の笑顔の種類には色々とあるけれど、自分は一番これが好きだな、とエレンは思った。
「家族ってやっぱり素敵よねえ。」
「ああ…そうだね。」
藤色の空の向こうに、ひとつだけ白い星が瞬き始めた。
エルダがそれを発見しては「あら、一番星」と呟く。
「ねえエレン。もしも寂しくなった時……こっそり私に教えてね。」
ふいに耳元で、エルダはまるで内緒話のように耳打ちする。
………エレンはよく言葉の意味が分からず、きょとりとした顔でエルダを見返した。
「エレンが今日私を助けてくれたように、そのときは私が貴方の力になれるように頑張るわ。」
ね、とエルダは微かに首を傾げる。
…尚もよく分からない、という表情をするエレンに対して、エルダはもう…と小さく息を吐いた。
「要はね。寂しかったら私にいつでも甘えてもちょうだいっていうことよ。」
それともエレンにはミカサがいるから私なんて必要ないかしら。とわざとらしくエルダは傷付いたふうを装った。
「馬鹿……!!オレはミカサに甘えたことなんて一回もねえよ!!」
「あらそうかしら。それはごめんなさいね。」
…………どうも、エレンが怒ると逆にエルダの機嫌はよくなるらしい。
それに気付いたエレンは必死に感情を押さえ込もうと深呼吸した。
そんな彼の様子をエルダはあらあら、と微笑しながら見守る。
「エレン、あんまり無理はしちゃ駄目よ。」
落ち着いて来たエレンの頭をゆっくりと撫でたエルダが零した言葉は、またしてもふわりとしていて明確ではなかった。
けれどエレンはそれに対して何故か何も返すことができず、ただ大人しく頭を撫でられ続けられる。
やがて空は紫から藍色へと変化するので、エルダは「いけないわ、早く帰らないとね。」と繋いだ手は離さずに歩き出した。
二人は隣り合って、少しだけ会話を交わしながら帰路を歩む。
まともに話すのはそのときが初めてだったのに関わらず、不思議と話は弾んだ。
やがて訓練場まで辿り着くが、手を離すのを忘れていた為……実に珍しいコンビの仲睦まじさに周囲の人間が物議を醸したのはまた別のおはなし。
リン様のリクエストより
街に出かけたら迷子になってる子供と会う話で書かせて頂きました。
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