雨が降る日は屋根の下で 02 [ 118/167 ]
また、少しした後……エルダは再び、背後からの視線に作業する手を止めた。
………ゆっくりと後ろを振り向く。
しかし、扉の間からは静まり返った廊下が覗くばかりであった。
気の所為かと思って視線を元に戻すが…やはり、見られている。
…………エルダは、今膝の上と隣にいる二人以外にも、もう一人面倒を見る様に言付けられている少女の事に思い当たる。
(……………………。)
そして、自身の胸に身体を預けて気持ち良さそうに眠るクリスタをそろりと抱き上げると、本が積み上げられて埋もれてしまっているソファへと向かう。
乱雑に積まれているそれ等を…両手は塞がっているので、少々お行儀が悪くもあるが…足で、どかした。
エルダは非常に書籍を愛する女性ではあるが、その扱いはわりと雑だった。
ようやく人ひとり分のスペースが確保できたソファに、クリスタをそっと寝かせては薄い毛布をかけてやる。
そして、本の世界に食い入る様に浸っているアルミンを一瞥すると…エルダは自身の部屋から、廊下へと静かに足を踏み出して行った。
*
………軽い足音が、近くで聞こえる。
パタパタと走っては、それは止まり…また何処からか、こちらを伺う気配。
勿論、彼女よりもこの家に精通しているエルダは、のんびりとその足音を辿っては、廊下を歩く。
木の桟に嵌った窓硝子には、つつましやかに水滴が滑っていた。辺りには、濃厚な雨の匂いが立ちこめている。
やがて廊下に突き当たり角を曲がると、ちらりと金色の髪がそのまた向こうの角へと消えて行くのを捕えた。
「アニ」
彼女の名を呼べば、角の向こうの気配が立ち止まっては、こちらの出方を伺う。
エルダはそれを確認してから、ゆっくりとその方へと歩を進めた。
…………そして廊下を曲がると、冷たい壁によりかかり、自分の爪先を眺めてはじっとしている少女の姿が。
「アニ。」
もう一度、エルダがその名を呼ぶが、無反応である。
…………エルダはほんの少し苦笑した後、アニの隣で同じ様に壁に寄りかかっては、雨が降る外の景色を…窓硝子越しに、眺めた。
「ベルトルトは…どうしたの?」
確か、アニ、アルミン、クリスタ、ベルトルトの四人で一緒に遊ばせていた筈である。
エルダの問い掛けに、アニは視線をこちらに向ける事は無く、「…凄い格好で寝てる。」と端的に答えた。
「…あらあら。」
彼女の言葉に、エルダは…ベルトルトのギャグ漫画レベルの寝相を思い出しては可笑しそうにする。
「………成る程ね。雨が降ると、何だか眠くなっちゃうものだから…。」
そう言ってアニの方を何とはなしに見下ろすエルダ。
………どうやら彼女も眠くなって来てしまっているのか、小さく欠伸をしていた。
それにつられる様に、エルダもくわ、と一度欠伸をしつつ目を擦る。
その間にも雨は静かに降り続いていた。屋内は静まり返り、ただ雨音だけが鳴る様に響いている。
「…………アニ。私の部屋のソファにあと一人くらい寝れるから…おいで。少しお昼寝しよう?」
こっくりこっくりと立ったまま舟を漕ぎ出したアニに対して、エルダは声をかけた。
しかし、アニはゆっくりと首を横に振る。
「そう…?じゃあ、下の居間が良いかしら。待っていてね、今寝やすい様に用意するから……」
そう言って布団を取りに行こうと場を離れかけるエルダ。しかし、それは弱い力でシャツを引かれる事によって阻止されてしまった。
…………振り返ると、アニは何処かぐずる様に再び首を振っては、相変わらず自分の爪先を眺めている。……白く細い指は、エルダのシャツを握ったまま。
(………………。)
エルダは……。どうしたものかと短い間、思案する。後…ゆっくりと口を開いた。
「それじゃあ、ここで寝ちゃおうか。」
彼女の提案に、アニは少しだけ驚いた様にエルダの事を見上げる。
エルダは自分より幾分背の低いアニに合わせる様にその場にしゃがんみ、青い瞳を覗き込んだ。
しばらく、見つめ合う二人。戸惑う様にしているアニとは対照的に、エルダは穏やかに笑っている。
そして…どうしたら良いか分からないと言った体のアニの身体が、これもまた慣れた動作で抱き上げられては、すっぽりとエルダの膝へと収まって行った。
「ほら、こうすれば大丈夫。流石にこの板の間で寝るのは身体に応えそうだものね…」
最初は弱くではあるが抵抗する兆しを見せていたアニではあったが、迫り来る眠気には勝てなかったのか徐々に身体をエルダへと寄せてくる。
背中を軽くとんとんと叩いてやると、眠気はより加速したらしく…エルダの胸の辺りの服をきゅっと掴んでは瞼をとろりと下ろして行った。
「………………………。」
そのままの姿勢で少しの間過ごし……アニが完全に眠った事を確認すると、エルダは自室のソファに彼女を寝かせてやる為にゆっくり立ち上がろうとする。
しかし、胸の中で「駄目」という小さな声が聞こえた為に、エルダの動きは中腰のまま停止した。
そしてそろそろと、元の位置に腰を下ろしては自身の胸の中で眠っている筈のアニの顔を覗き込む。………確かに、瞼はしっかりと下りているのだが。
「…………駄目。」
そして弱々しい声でもう一度同じ言葉が繰り返される。
白いシャツを握る力が強くなった。
「駄目……。ここにいるの………。」
そう言った後、アニはエルダの首筋に顔を埋めて小さく息を吐いた。
…………その間も、雨はしっとりとした音を規則的に奏でて行く。
エルダは…アニの細い髪をそっと撫でては、改めて廊下の土壁に背中を預け直した。
「うん…………。」
………庭先では、水滴が白い煙の様に舞い上がって薄い霧をこさえている。エルダの声は生温い空気を縫う様にして、よく響いた。
「大丈夫。………ここにいるわ。」
そう零してやれば、ようやくアニは安心したのか…今度こそ小さな寝息を立て始める。
エルダは…アニの事を胸に抱いたまま……ただ。透き通った糸の様な雨が上から下へと垂れて行く光景を見守っていた。
………そして今、自身に抱かれて眠っている女の子もまた、自分の少女時代に少なからず似ている所がある事に思い当たる。
(いえ………。少女時代だけでは無いわね。…………今だって、)
雨垂れは深さを増して行く。庭先では、沢山の水たまりが空を映しては轍模様を広げているのだろう。
…………気付けば、エルダはアニの華奢な身体を力一杯に抱き締めていた。慌てて、力を緩める。
アニはとくに苦しくは無かったのか、相変わらず静かに寝息を立てて眠っていた。
自らの傍で安心してくれている事が分かり、とても嬉しかった。
そして…甘え下手な彼女の為に、出来る事なら何でもしてあげたいとぼんやりと思う。
……………せめて、不器用ながらとても優しい彼女に、私と同じ思いをさせぬ様…
エルダの視界は徐々にぼんやりとして、瞼が静かに下りてくるのを感じていた。
それにはとくに逆らう事はせず……エルダはアニと同じく、微睡みへとゆっくり沈んで行く。
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