サシャの憂鬱 03 [ 107/167 ]
一週間。
ごく短い日々が巡り、エルダと例の男性が交わした約束の日は遂に明日へと迫っていた。
その期間中、サシャはクリスタとユミルとも結託してどうにか彼女のお見合いを阻止しようとしていたが、相変わらずエルダは笑顔でさらりとそれを交わすだけで、彼女達の抗議が実を結ぶ事は無かった。
最終的にはユミルが「どうせ見合いなんかしてもあいつの見事なスルースキル発動の結果おじゃんになるって」と決断を下し、クリスタもそれに従う形となる。
しかし………サシャの胸の内には悲しい、悔しい、寂しい、色々なものが折り混ざって鬱屈とした空気が留まり続けていた。
正直に言うと、おじゃんになろうともエルダが見合いをするという事実が嫌だったのだ。
あの気に食わないおっさんが用意したものなら尚更である。
自分の大切な人が………知りもしない男に、恋愛対象として見られるなんて、考えるだけで寒気がした。
そして、………その他にも、様々なものが自分を非常に不安にさせてくる。それが何なのか、上手く言葉にする事はできないけれど……………
『年に一度……たった数週間の滞在だけの期間で、全てを分かった様な気になるとは随分ですね。』
*
その日の夜、皆が寝静まった後もエルダは明日の準備の為に小さなランプを灯して起きていた。
ここに来てから、外に宿泊する等初めての出来事である。
且つては旅慣れしていた筈のエルダであったが、この一年と少しのブランクで随分その仕度が覚束なくなっていた。
床にぺたりと座り込んで、今一度忘れ物はないか大きな鞄の中身を点検する。
「エルダ………。」
その時ふいに、自分の名前を呼んだ声にエルダは微かに肩を揺らした。まさかこんな時間に自分以外の人間が起きているとは思わなかったのだ。
次に、震えた肩へとするりと腕が回って後ろから強く抱き締められる。
……………声色と、慣れ親しんだその感触から、エルダはすぐに背後の人物が誰だか分かった。
「どうしたの、サシャ。………ごめんなさい。うるさかったかしら。」
エルダは自分の首の辺りでしっかりと組まれた腕にそっと掌を添える。
女性ながら日々の訓練によって鍛えられたそれは少し固かった。
(でも……………。)
やっぱり昔から変わらず、サシャの体は柔かで温かね。
声には出さずに、きゅっと腕を握る事で気持ちを伝えようと試みるエルダ。
それは果たして成功したのだろうか。
「…………エルダ。行っちゃいやですよ……。」
サシャは抱き締める力を強くしながら小さな声で囁く。普段の彼女の騒々しさが嘘の様なか細い声だった。
「…………。心配しないで。また、必ず帰ってくるから。」
エルダは首だけ動かして自分にしがみついている少女の方を向くが、暗がりの中俯いているその表情を伺う事はできなかった。
「………ほら、私がこう言って貴方の所に帰らなかったのは壁が壊された時の一回だけでしょう?約束はちゃんと守るわよ。」
「うそです」
「…………え?……っ、、?」
唐突に、エルダの首筋に痛みが走る。
驚きに言葉を失っていたエルダだが、やがて懐かしいこの感触を思い出しては少し呆れた様に溜め息を吐いた。
「こら」
そして、サシャの頭を軽く小突いて微笑む。何だか昔に戻った様な気持ちがしたのだ。
「拗ねた時の噛み癖、まだ治ってなかったのね。私はご飯じゃないっていつも言ってたでしょう。」
サシャが黙ったままでいたので、エルダは体をゆっくりと反転させて向き合う形を取る。
薄闇の中でもよく分かる程、サシャの頬は色付いていた。耳まで真っ赤である。
…………これは恐らく照れている訳ではない。泣くのを必死で堪えている時の、彼女独特の表情だ。
「………確かに、私が知っているエルダはきちんと約束は守る人です………。でも、もしかしたら、今回は違うかもしれない。」
「………サシャ?」
エルダが不思議そうに彼女の名を呼ぶ。…………息を深く吸って、サシャは続けた。
「だって……人の考えなんてすぐに変わりますし、」
声を発した時、それが随分と震えている事に驚いてサシャは言葉を切る。………そして少しの間を置いてから、あの言葉を口にした。
「私は……年に一度、たった数週の間だけのエルダしか知らないんですから………」
涙が一滴、固い床へと飲まれていく………と、思っていたが、それは柔らかなエルダの寝間着へと吸われて行った。後にはじわりとした沁みが残る。
全身をゆったりと包み込む優しい感覚が心地良くて、サシャの体を取り巻いていた緊張はようやく解れ始めた。
そっと眼を閉じると、エルダの心臓が穏やかに波打つのを感じる。
(やっぱり…………。)
大好きだなあ。
サシャは自分からもエルダの体に腕を回して心からの気持ちを伝えようとした。
………きっと伝わっていると思う、という根拠の無い確信を抱きながら。
「………確かに、サシャはまだ私の事、よく知らないのかもしれないわね。」
そしてエルダは、サシャの耳元で優しく囁いた。
「私はね、サシャが思っている以上にとても寂しがり屋なのよ。」
黙って耳を傾けていると、髪を梳く様に撫でられる。
「…………皆の傍にいられない事を思うだけで、体が千々に裂ける様に辛いわ。」
少しの眠気を誘う、ゆったりとした手付きだった。
「こんな私がここからいなくなるなんて、あり得ないでしょう。」
……………サシャは少しの間、瞳を閉じて何かを考えた後、ゆっくりと首を縦に振る。
それから、もう一度強い力でエルダの事を抱き締めた。
「私も大好きよ、サシャ」
微睡み始めた時、エルダの微かな声が聞こえた。
良かった………。やっぱりちゃんと伝わっていたんですね………。
心の中を安堵が満たして行くのを感じる。大好きな匂いに包まれて、サシャは幸福な眠りへと緩やかに沈んで行った。
*
…………自分の腕の中で穏やかな寝息を立てるサシャの事を、エルダはじっと見下ろして小さく息を吐いた。
(サシャは……。本当に可愛いわね。)
それから少しの笑みを浮かべて、褐色の髪を撫でてやる。
身長は同じ程に成長しているのに関わらず、未だによく甘えて来てくれる彼女の事を、エルダはとても大切に思っていた。
「知らなくても良いのよ。お互いが好きな事さえ分かっていれば、充分だわ。」
それに、全部分かっちゃったらつまらないじゃない、とエルダは誰に言うでもなく漏らす。
エルダはよいしょ、とサシャの事を横抱きにすると、彼女のベッドにではなく自分のベッドへと運んで行った。
(これ位の我が儘は、許して頂戴ね。)
エルダはくすりと笑って今まさに寝かせた彼女と同じベッドの中へと潜って行く。
「おやすみなさい、サシャ。」
緩やかに開かれたサシャの掌を握って、エルダはこの上なく優しい気持ちで呟いた。
ねこねこ様のリクエストより
なかなか振り向いてくれない主人公をサシャが襲うで書かせて頂きました。
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