ユミルとの距離 01 [ 92/167 ]
ユミルの長い指が、エルダの柔らかな頬をそっとなぞる。
彼女の肌は熱かった。新しいところへ触れて行くたびに「これは熱い」と思われた。
…………ベッドの上に座っていたエルダが、腰を引いて頬をなぞるむず痒さから遠ざかろうとする。
ユミルはそれをさせまいと、彼女の腕を掴んで逆に引き寄せた。エルダの身体はいとも容易くその力に従い、二人の身体の距離は先程よりもずっと近くになる。
「「………………。」」
エルダが思わず目を伏せた。
長い睫毛の間からはいつでも変わらない優しげな色が覗いている。それは闇に呑まれた部屋の中、妙に懐かしく心を揺さぶるものがあった。
「……………私じゃ、嫌なのか」
ユミルは頬に触れたまま、そして彼女の腕を強く握ったまま、耳元で囁く。
エルダはゆっくりとその目を開いた。薄緑が自ら発光している様に輝いてユミルの事を捕える。戸惑いと、薄い涙の膜を湛えながら。
「…………嫌じゃないわ」
小さな、けれどはっきりとした声でエルダが答える。ユミルは彼女の言葉を受け取ると、安心した様に息をひとつ吐いた。
そして、彼女の首元まで閉められたシャツの一番上の釦に手をかける。…………しかし、その行為はエルダの震える両の掌によって遮られた。
ユミルは舌打ちをしてエルダの事を軽く睨むが、彼女は弱々しく首を振るだけだった。
「…………どうした。私はお前にもう許可は得た筈だ。何も問題は無いだろうが。」
その言葉に、エルダは困った様に眉を下げる。………駄目だ、と言う様にユミルはそれを鋭い眼差しで見下ろした。
「…………駄目だ。」
言葉にも出して、自分の意思をエルダへとはっきり伝える。
もう、後には戻れないのだ。…………私も、お前も。
それとも何だ……………、
「やっぱり、………私じゃ嫌なのか。」
エルダの瞳をひたりと見据えながら再び尋ねると、彼女は唇を軽く食んでこちらを見上げる。
これでは埒があかないと、ユミルはエルダの肩を強く押してその身体をベッドへと強引に沈めた。―――――自分の髪がばさりと頬にかかって不快だった。
そして………その際に弱く抵抗されたが、勿論無視する。
……………もう、とっくに色々なものが限界を越えていた。
何が理由で拒まれているかなんて関係は無い。このまま襲う様に奪ってしまおうか。
そう思ってベッドに彼女を縫い付ける力を一層強くすると、エルダの口からか細い声で「ちがうの……」と言葉が紡がれる。
「ユミルが良いの。………それはずっと変わらないわ。」
エルダの訴えに、ユミルの腕の力は緩まった。その声色はひどく痛々しく、真剣だった。
「じゃあ………何でだよ」
外ではいつの間にか雨が降り出している。ユミルの声は湿った雨音の合間を縫って、よく通った。
「…………………。」
エルダの唇が、何かの形を描いて強張る。
耳をそこへ寄せてやると、自分の首に彼女の白い腕がそっと巻き付いて来た。
「こわい………。」
エルダの吐息と変わらない程微かな声が鼓膜を翳める。自分を抱き締める腕の力が強まっていく。
「怖いよ、ユミル……!」
それだけ言うと、エルダはユミルの身体を強く自分の元へと寄せた。肌が触れ合う面積が増えて初めて、ユミルはエルダが震えていた事に気が付く。
……………雨が、外の真っ黒な樹々の葉をなぞっていく。
それが月の光に反射して冷たい光を窓から投げ込んでいた。薄い闇の中、二人の視線はしっかりと絡み合う。
ユミルもまた、エルダの背中に腕を回した。そうすると、少しは安心したのか彼女の震えは収まってきた。
「……………私は、お前の事を傷付けたりはしねえよ。」
ユミルはエルダの事を強く抱き締めながら囁く。心からの言葉だった。
「大事にするから……………」
そう言いながら、今一度エルダの首元の釦に手をかける。…………今度は、何の邪魔も入らずにそれをぷつりと外す事ができた。
もうひとつ、開ける。鎖骨が露になる。想像以上に白い窪みに息を呑んだ。
更にひとつ開ければ豊かな膨らみが微かに覗く。………この食糧難の中、何を食ったらこんなにデカくなるんだ……。
そこに指を這わし、左胸の上でぴたりと止める。心臓の音を確かめる様に掌で包むと、エルダが小さく声を漏らした。
「…………私に、お前を愛させてくれよ」
出来るだけ、優しく言ったつもりだった。今までで一番。
私は今までこいつの顔を見れば罵倒の言葉しか口を吐いて出なかったから……こんな風に、本当に穏やかな気持ちで、大切な言葉を紡ぐ事になるとは思わなかった。
でも、これが今の正直な気持ちだった。
なあ…………、頼むから、拒否しないでくれ。
私はお前の事を、こんなにも、…………
エルダの首が、少しだけ縦に動く。それをユミルは黙って見ていた。
「…………良いわ。」
精一杯の勇気を振り絞っての言葉だろう。エルダの肩は未だ僅かに震えていた。
「ユミルに、あげるわ………。」
貴方は、いつだって優しくしてくれるものね……と呟いてエルダは瞳を閉じる。
その一言に、胸が支えそうになりながらユミルは息を吐いた。
………………ひどく、幸せだった。
今ここで、確かに信頼してもらえた事が。
それを伝える為に、ゆっくりと目を閉じたままのエルダに口付けた。
やはり、エルダの赤い唇は柔らかかった。
もっと、もっとと深くしてやれば、背中に再び腕が回ってくる。
夢中になって口付けを繰り返す内に雨脚はどんどんと強まるが、耳障りな程のその音は、全く持って気にはならなかった。
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