光の道 | ナノ
同郷トリオと涼む [ 104/167 ]

同郷トリオと一緒(逆)シリーズ)



「なーに、してるの?」


少しだけ間の抜けた声が背後からして、アニは思わず後ろを振り返る。


そこには、馴染みの女性が微笑みながらこちらを見下ろしていた。


「………別に。何も。」


端的に返したアニはまた流れる小川へとその青い瞳を向ける。


そんな彼女の小さな背中を眺めてエルダは少しの笑みを漏らし、隣に腰を下ろした。



「……………………。」



………二人で、無言の内に川を見つめていた。


水の澄み渡った流れはこの防風林の右の方からうねり出て街の方へと繋がっている。時たまこの川で家鴨や鵞鳥がその紫の羽や真白な背を浮べてる事も見受けられた。


もう少し歩けば古びた橋が懸かる。そこを渡れば隣の街だ。川は街を取り囲む様にして、穏やかに変わる事無く流れている。



「…………アニ。」


エルダは静かな声で彼女の名前を呼んだ。何も応えずにいると、そっと髪を撫でられる。


「ジュース、飲む?」

アニが顔を上げると、エルダは自分の隣に置いていたビニール袋からごそごそと缶のジュースを二つ取り出した。


「…………ちょっと気分転換にコンビニに行ったら新しいのが発売してたのよ。美味しそうだから買っちゃった。」

どうにも新発売に弱いのよね、と何だか楽しそうにしながら差し出された物を、アニは素直に受け取る。


エルダは自分の右掌からよく冷えた缶が離れていくのを見届けると、ぷしりと音を立てて残った方のプルタブを開けた。



(二つの缶…………。)



アニは、自分の手元に収まった桃色の缶をじっと見下ろして結露した表面をなぞる。それに合わせて水滴がつ…と流れていった。



(本当は………ベルトルトと飲むつもりだったんだろうね。)



アニの頭の中には、気弱そうなクラスメイトの顔がふと過る。


…………別に、だからといってどうという訳ではないのだが。



「あら、美味しい。」


何かを考え込んでいたアニの耳にエルダの少々驚いた声が届く。


彼女はまさしく感動した様に目を見張りながら、もう一度「美味しい」と繰り返して缶に唇をつけていた。


一回り以上も年上の人間ながら、子供みたいに純粋に嬉しさを表すエルダの姿に、アニの胸の中で先程まで渦巻いていた良く無いものは緩やかに鳴りを潜めていく。


アニもエルダに倣い、銀色のプルタブを少し力をこめて持ち上げた。小気味の良い音を立ててそれは開かれる。


唇をつけて中身を喉に流し込めば、渇いていた身体が蘇った心地がした。



「……………美味しい」



小さな声で一言漏れせば、エルダは「本当にね」と未だに感動した様に応えてくれる。



小川は相変わらず一定の速度でエルダとアニの前を流れていた。



二人はそれを眺めながらぽつり、ぽつり、と言葉少なな会話を交わす。



川柳が柔らかい影を落とし、水はなだらかにのんびりと薄墨色だった。



ひどく優しい気持ちになって、アニはもう一度桃色の缶に口をつける。



少し甘過ぎる気がしたが、やはり美味しかった。







「あれ、」


並んで腰掛けていたエルダとアニに不思議そうな声がかけられる。二人同時に振り向いてみると、よくよく覚えのある顔がふたつ並んでいた。


「あら、ベルトルトにライナーだわあ」


まったりモード全開だったエルダが間延びした声で言う。


「家にいないと思ったらこんな所にいたんだ………」


彼女とひどく距離が近いアニの方をやや気にしながらベルトルトが呟いた。


「何してたんだ?」

ベルトルトの隣からライナーが声をかける。

エルダはうーん…、と考え込みながらこれといった意味はなくアニの金色の髪に触れた。


「………何もしないをしてたのかしらね?アニ。」


散々考え抜いたあげく何やら哲学っぽい事を口にするエルダ。

問い掛けられたアニは「私が知る訳無いだろ」と冷たい返答をした。しかし、未だに髪はいじられるままになっている。


「………貴方たちは………魚釣り?」


エルダは二人の手の内にあった道具を眺めながら目を細める。彼等はそれに応えて軽く頷いた。


「そう。あんまり深い所にいかない様にね。」


ようやくアニの髪から手を離してエルダは言う。


「………あの、今日はさ、エルダは…………釣っていかないの?」


仲睦まじげなアニとエルダの様子を落ち着かなさそうにしつつ、ベルトルトが尋ねた。


エルダは「そうね……」と呟いてから残りの缶ジュースを一口に飲み干す。………が、ふいに服の裾をくい、と引っ張られる感覚がしてそちらに視線を落とした。


そして浅葱色の自分のシャツが、アニの白い掌によってライナーとベルトルトから見えない位置で握られているのを発見したエルダは、もう一度ベルトルトに向き直り「……今日は、いいわ。」と応える。


露骨に消沈して見せるベルトルトの隣でライナーもまた少々残念そうにした。


「そうか……。お前は見かけによらず中々釣るのが上手いからな。……コツを教えてもらいたかったんだが。」


「うふふ。コツは教わるものじゃなくて掴むものなのよ。」


エルダが何だか得意そうにライナーに笑いかける。

その後、「……瀬脇より少し浅い所は重り無しでやると良いわよ」と言ってから空缶を元のビニールへとしまった。

アニの方にも手を伸ばしてくるので、彼女もそれに従っていつの間にか空になっていた缶をエルダへと差し出す。


………肩を軽く触れ合わせたアニとエルダの事を、尚もじっと見つめていたベルトルトだったが、ライナーに「おい、行くぞ」と声をかけられてのろのろと歩み出した。


「ベルトルト」


その背中にエルダが声をかける。


首だけ動かして振り向いたベルトルトに、エルダは「今夜は唐揚げよ。」と楽しそうに言った。


ベルトルトは少しの間目を瞬かせていたが、やがて嬉しそうに「………うん。」と頷いてみせる。


その姿に満足した様にエルダは手をひらひらと振った。行ってらっしゃい、という事だろう。



ベルトルトはエルダに再び背を向けて、待っていてくれたライナーの隣に並ぶ。心の中は何とも言えない幸せで満ち溢れ、川沿いを歩く足取りも軽かった。



…………そっか。そうだよね。


エルダと一緒に住んで………一番長い時間を共にしているのは、僕なんだ。


そう思うと小さなやきもちなんてどうでも良くなった。


そしてエルダや………この街の皆と過ごす日々がこれからも続いていく事が、この上も無く愛しい実感として湧いてくる。



今日も、明日も、明後日も。…………僕は、君の傍にいたいなあ。そして、少しずつで良いから色々な事を知って、大きくなって………いつかは、



――――



「…………意外。」


少し離れた場所で渓流釣りを楽しむライナーとベルトルトを眺めながらアニは零した。


「何が?」

エルダが眩しい太陽に手をかざしつつ応える。


「いや………あんた、釣りとかそういうの、苦手そうだから。」

「そう?」

「だって………なんか、鈍臭そうだし。」

「ひどいわねえ。」


苦笑しつつ、エルダは履いていたサンダルをよいしょ、と漏らしながら脱ぎ捨てた。

そして足を流れる小川に浸しては、はー……、と気持ち良さそうに息を吐く。彼女の真っ白い脚は薄墨色の水の中で涼しげに泳いでいた。

アニも何とはなしにサンダルを脱いで同じ様に川の中に脚を浸した。川の流れは静かで、予想以上に冷たい。


「………この川はね。私も小さい頃、よく遊んだのよ。」


やがて、エルダが再びアニの髪に触れながら何かを懐かしむ様に零す。

どうやら、彼女はアニの髪を大層気に入っているみたいだ。長く垂らした前髪を三つ編みに編み込んだりと随分好き勝手にしてくれている。


…………だが、どういう訳かこうされる事に、アニは悪い気はしなかった。



「勿論渓流釣りも飽きる程やったわ。昔はもっと魚が沢山いて、バケツが一杯になったのをよく覚えてるもの。」



そして………エルダにも、今の自分の様な少女の時代があった事にとても不思議な感慨を抱いた。


その頃に同じ年齢の子供として出会えていたなら、私たちの関係はどんなものになっていただろう。



水辺独特の湿った風が流れてくる。陽炎で小石だらけの地面は短くゆれていた。


………アニが視線を感じて浅瀬の方を眺めると、こちらをはた、と見つめていたベルトルトと目が合う。


エルダもそれに気付いたらしく、彼に向かって手を振って視線に応えてやった。


ベルトルトはたちまち嬉しそうにふにゃりとした表情で笑うと、同じ様に手を振り返してくる。


隣に居たライナーも友人に倣って軽く手を上げて笑った。



「…………アニも、一緒に遊んで来たら?」


一通りの交流を終えたエルダがそう言ってアニへと尋ねる。


アニは至極嫌そうな顔をして「誰が」と短く答えた。


エルダは困った様に笑った後、「そんな事言わないの」と言ってアニの柔らかな頬を軽くつつく。


からかわれている様で癪に触ったのでじろりと睨み上げてやるが、エルダは穏やかに微笑み返すだけだった。



「…………10才かあ。」



ふと、エルダが独り言の様に呟きながら水面に浸した脚をゆらゆらと揺らす。水面には小さな泡が湧き起こった。



「羨ましいわ。」



彼女の発言に、アニは訳が分からないと言った風に眉間に皺を寄せる。

「嫌だ、怖い顔しちゃ駄目よ。」と言いながら、エルダは何処か幸せそうな……けれど、ほんの少し寂しそうな表情をした。


「貴方たち位の年齢の時代ってあっという間だけれど、本当に毎日が新鮮で……素敵よね。」

「そんな事ない。」


エルダの言葉をアニがきっぱりと一刀両断する。話の腰を折られてしまったエルダはあらら、と小さく声を漏らした。

けれど気を取り直して軽く咳払いをすると、また言葉を続ける。


「気付かないだけよ。過ぎてみて分かるけれど、私にとってはとても大切な時間だったわ。」


彼女の声の背景には、流水の和やかな音が重なっていた。


エルダは何やら会話を交わしているベルトルトとライナーへと視線を寄越し、ほう、と溜め息を吐く。


そして今一度アニの顔をじっと眺めると、「羨ましいわ。」と同じ言葉を零した。


「………今だけの今を、大事にね。」


何も応えようとしないアニの肩を自然な所作で抱き寄せ、耳元でエルダは囁く。


……アニには、やはり彼女の発言の意味がよく理解できなかったが………しばらく、エルダに抱かれたままで、缶詰の缶を釣り上げて非常に情けない表情を描くベルトルトとそれを慰めるライナーを見つめた。


やがてアニは濡れた脚をそろりと川辺に引き上げ、サンダルを履いて立ち上がる。


未だ少しの逡巡をしているらしい彼女の掌をエルダはふわりと握ってやり、「行ってらっしゃい」と優しく言葉をかけた。



アニはその手を無言で握り返して応じた後、日に照らされた砂利の上を一歩ずつ確実に、エルダの元から遠ざかっていく。



エルダは…………しばらくその後ろ姿を見送ってから、脚に触っていく心地良い冷たさを感じる為に瞼を下ろす。


……………少しの間かつて少女だった頃に記憶を馳せ、もう一度瞳を開いた時には、よく見知った可愛らしい三人が真剣な表情で話し合っている所が目に入った。


緊張感を漂わせていた彼等だったが、やがて周りを取り巻く空気は和やかになっていく。



…………そうね。あの年頃は、何の損得勘定も無しに、すぐに誰とでも仲良くなれるのよね………



じっと見つめていたのがバレてしまったのか、ベルトルトが照れた様にこちらを気にしている。

再び手を振ってやると、それに気付いた後ろの二人も一緒になって楽しげに振り返して来た。



そのやり取りに、エルダは胸の内では何とも言えない嬉しさがこみ上げる。


(…………10才の時は確かに幸せだったけれど………今も、それと同じ位………)


ふいに涙が零れそうになるのを誤摩化しながら、彼女は「みんな大好きよー」と少し大きな声で呼びかけた。


途端に頬を染めるベルトルトをアニが素早く睨む。ライナーはその光景を見て多少呆れた様に溜め息を吐いた。



(もしかしたら………それ以上に。)



エルダは最後にもう一度大きく手を振ると、ゆっくりと川縁に立ち上がって、深く呼吸する。


少し焦げた様な、甘い様な………そんな、懐かしい故郷の空気を胸一杯に溜めると、サンダルを履いて元来た道を辿り始めた。


きっと今夜………ベルトルトはお腹をすかして帰ってくる筈だから、沢山の唐揚げを作って待っていてあげよう。



私たちのあの家で、ね………。



茶様のリクエストより
同郷トリオと水辺で涼むで書かせて頂きました。


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