エレンと迷子ちゃん 01 [ 121/167 ]
「帰れ」
一際冷たい声、威圧する態度でリヴァイは眼前の女性に告げた。
「嫌です。」
しかし、それはにっこりと……花でも背負いそうなほど艶やかな笑顔で却下されてしまう。
リヴァイは不機嫌を隠そうともせず舌打ちした。
女性は少々驚いたように「まあ」と言うが、またすぐに元の…いや、それよりも一層濃い笑顔に戻り、「あらあら、怒らないで下さい。」と彼を宥めるように両掌をゆっくりと上下させる。
エレンは…その姿を彼等の背後、扉の隙間からはらはらとしながら見守っていた。
(くそ……なんだってオレがこんな目に………。)
そして彼もまた舌打ちがしたい気分だった。……偶の休日なのに関わらず、何故自分がこんなに気を揉まなくてはならないのか。
………そもそもの原因は全部目の前、菩薩の皮をかぶった悪魔のような女の所為である。
今すぐにでも逃げ出したい気持ちは山々だったが、この女を前にそんな臆病風に吹かれたようなことはしたくなかった。
だから、待っていろとか…そういうことはとくには言われてないのにも関わらず、ただただ砂を食むような気持ちで鬼の形相の兵士長殿と、それに対して全く動じない、ある種の厚かましささえ覚える彼女の静かなる戦いを眺めるしかできないのである。
何故、こんなことになったのか。それは数週間ほど前に遡る――――――――
*
「あれ…そういえば私、エルダに一度も怒られた事ありません。」
ある日の夕食後である。ユミル、クリスタと何やら騒がしくしていたサシャの口から漏れ出た言葉。
(え)
それに対して、思わずエレンは心の中で間抜けな声をあげてしまった。
(一回も……怒ったことが無い?)
前々からクリスタと同等に……いや、それ以上にエレンにとっては胡散臭い存在だった女、それがエルダである。
何故彼がここまでの不信感をエルダに募らせていたかというと…それはもう何があっても崩れない金剛石の如く頑丈な笑顔の所為である。
彼は勿論、この一年と少しの間という決して短く無い共同生活の中、何人たりともそれが崩されるのを目撃したものはいない。(らしい。)
あのクリスタでさえ、時々は怒ったり悲しんだり表情を変化させるのに、エルダはエレンの知る限りでは、いつも変わらぬ笑顔である。
それが逆にどこか人間らしい感情が欠落しているようにも思えるのだ。
(………しかもサシャとあいつは幼馴染だろ?ガキの頃からそれってどうなんだよ…。
ちょっとは我が儘言ったり喧嘩したり、普通そういうものじゃねえか……。)
一回も怒らず、苛立ったりしない。そんな完璧な人間が存在するのだろうか。
いや、ありえない。
クリスタの背面、時々感じる演技臭さと同じように、こいつだって内面の憤りとかを無理くり押し込めているに違いない。
………それを隠すのが異様にうまいだけで。
まして。あいつは…自分、そして自分達と同じように、先の事件で親を亡くしている。
どこか少しくらい後ろ暗いところが見えたって……おかしくはない筈なんだけれど…………
ちら、とユミルにからかわれて半泣きのサシャをよしよしと慰めているエルダを盗み見た。
相も変わらず柔和に微笑んでいる。曇りひとつ無い、晴れた日の湖面みたいな表情だ。
それを眺めていると、エレンの腹の底からはどうにも落ち着かない気持ち悪さが湧き出てくる。
心はなんとも腑に落ちず、ただただ微妙な表情をして彼女を見つめるしかできない。
ミカサに脇を小突かれるまで、エレンはエルダの白い横顔を穴があくほどに凝視し続けてしまっていた。
そして……それからである。エレンが自然とエルダを目で追うようになったのは。
化けの皮が剥がれるほんの一瞬を見逃さぬように、けれど気付かれないように……エレンは注意深く、エルダのことを観察し続けた。
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